新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

国難は国内にあり

2017-11-28 09:37:57 | コラム
証拠のテープが認められて朝日新聞が嬉しそうだった:

全く困ったものだと思う。貴重な国費を使って開会した国会の予算委員会では相変わらず野党は「モリとカケ」で奮い立っている。長妻昭は総理に向かって「国民に謝罪しないのか」と迫っていた。彼らはこんなこと以外に支持者の点数を稼ぐ手段がないのだし、後押しをしてくれている朝日新聞以下の偏向新聞に報いる手法がないのだから。予算委員会が始まれば、こうなることとは十分に予想できていたが、矢張りその通りだったのは情けないを通り越して、呆れているだけだ。

野党とマスメディア連合軍は我が国が今直面している諸問題の中で「モリとカケ」が最大且つ最重要だと認識しているようだが、私に言わせて貰えば、これは「この程度の野党議員を選んでしまった我々国民の救いようがない民度の低さが引き起こした事態だ」となってしまうのだ。

私は未だに与野党共に予算委員会(本議会でもかな)安倍総理に先のトランプ大統領の来日時に如何なる問題と懸案を突き詰めて語り合い、討議し、議論されたかをなどという話を質問していない。それだけではない、トランプ大統領が中国に出向いて見事に習近平にコケにされ、一部には実態のない28兆円だったかの商談が成立したかのような話だけで終わったかのような、あのトランプ・習近平会談の実態などに議員諸君は何ら関心がないのかと呆れている次第だ。

習近平は明らかに世界全体とまでは言わないが、太平洋以西の覇権を目指しているのは明らかで、アメリカは少なくともそれを何とかして食い止めたい諸国を先導すべき立場にはいたはずだった。それが、オバマ大統領は「世界の警察官」を辞職したかと思えば、戦略的忍耐とやらで中国に南シナ海でのやりたい放題を放置した。その後に出てきたトランプ大統領は「アメリカファースト」に凝り固まってTPPもパリ協定からも脱退を決めた。

その流れの中で韓国は朴槿恵前大統領の頃から中国への接近を始め、文在寅大統領に到っては明らかに対中国依存度は顕著になってきた。トランプ大統領は相も変わらずTwitterを重用されて色々と曰うようだが、「アメリカファースト」を標榜して大統領になって以降は、色々な問題を国内外で巻き起こしては来られた。だが、国内で景気は好調で失業率は下がるは、株価は上昇気流に乗っているはの状況である。アメリカの有力地方紙が流すfake newsばかり聞かされている我が国民には、一向に見えていないようだが、37%の低い支持率の割りには、国内では好成績を挙げているとしか言えないのだ。

そのアメリカの同盟国であり、安倍総理はトランプ大統領の sidekick とまでアメリカの有力新聞に書かれる位置を確保しておられるのは誠に結構なことだと思う。だが、「アメリカ第一」に徹底しておられる大統領はやりたい放題の独裁者的中国の指導者・習近平には、その実力では一歩も二歩も譲っていると私は見ている。これが、我が国が目下直面している国際的な諸問題の中で最大の難関であると思う。

総理は先の総選挙で「国難」を大義に掲げられていた。だが、私にはその国難の対象が直ぐそこにある隣国、しかも2ヵ国もあると実感している者が我が国にどれほどいるのかと疑っている。中国の、ではなかった習近平の野望などは、最早止める手段があるのかと心配になるほど、着々と進行している。その時にあって、長妻のように総理に「国民に謝罪する気は?」などと言っている時かなと思ってしまう。

それだけではない。テレビ局は朝から晩で日馬富士であり、貴の岩であり、貴乃花親方がどうしたのであり、横審がどう判断するかばかりだ。こんなものばかりを採り上げて、と言うか視聴者と言うか国民を愚弄するのが彼らの仕事のようである。酷い話だ。マスコミの連中は挙って中国が我が国を支配下に置いて下さる日を待ち望んでいるとしか思えないのだが。枝野幸男さん、玉木雄一郎さん、貴方のご意見は如何ですか。


今日も懲りずにマスコミ批判

2017-11-27 16:17:55 | コラム
「程度が低すぎる」なんて怒っているのは無意味だと悟った:

先週の中頃から体調が低下してずっと引きこもっている状態なのである。その間につい何を無意味に空騒ぎして報じているかを承知でもついうっかりテレビを見てしまう。そこに出てくるのが、日本全国からAHOどもを総結集したかと思いたくなる「あること」「ないこと」を論じている、単なる酒の席での力士間の喧嘩とでも言えば良いような殴り合いを、如何にも大事件であるかのように騒ぎ立てているだけの空疎な番組ばかりだ。それも全テレビ局挙げてだ。

相撲協会とは「我々が住む一般社会の常識の遙か埒外にある文化(ある集団の原語・風俗・習慣等を言う)を持つ長い歴史を誇る集団であり、一般社会に住む者たちが介入すべき世界ではないのである」とは既に指摘してきた。それなのに彼らはしたり顔で「私は何でも知っている」とでも言いたいようだ。無意味であると解っていない

それにも拘わらず、それと承知しているべきはずのマスコミは視聴者を愚弄する気か、あるいは舐めきっているのかとすら思うが、愚にもつかない情報や議論を専門家?であると元アナウンサーを引っ張ってきては、最早完全な芸能ネタと化したこの一件を朝から晩まで飽きずに取り上げている。

家人ですら(「いえ、家人だからこそ言えるので」と訂正すべきか)「誰が誰を殴ったかが明らかで、被害者となってしまった集団の長が既に警察に届けてしまった案件である。警察が如何に処理するかを待っているだけのはずだ。それなのに、加害者の属する団体が調査するの何のと言っているのおかしい。警察の決定を待っていれば良いだけのことではないか」と言っている。それ以上でも以外でもあるまい。

それを無意味に騒ぎ立てて、あちこちから訳の解らぬ連中を連れてきては空疎な論議を聞かせているのは、「腹立たしい」を通り越して最早笑うしかないほど無意味だ。悪い例えかも知れないが、野党とマスメディア連合軍が未だに「モリだカケだ」と騒ぎ立てているのと同程度に空疎さだ。

中でも際だって馬鹿馬鹿しいのが、協会の事情聴取とやらに応じない貴乃花親方を如何にも悪者の如くに言う輩がいることだ。彼は当の被害者の保護者である。庇って当然ではないのか。協会もAHOで、何の為に被害者から事情を聞こうとするのか。迂闊にも論評してしまった。論評に値しないと思っていたのに。

と、ここまで言ってきた疲れた。以前から指摘してきたことだが、あるテレビ局の幹部に「何故あのような低俗の番組ばかりを流すのか」と詰問された大学の先生に対して、その幹部は「貴方のような高級で知的な方を対象にして番組を作っていない」と答えたという。

「そうなんです、あの関連の報道は貴方を対象にはされていないのですよ」と、あらためて思い出して認識すれば、あの余りにも下らない報道が朝か晩まで続くのも腹が立たなくなると、漸く認識できてきた。対象になっているのは、当方とは別の層の方々だったのだ。休んでいると、詰まらないことで腹が立ってしまい、回復が遅れそうだ。


ACLで浦和が優勝した

2017-11-26 11:23:10 | コラム
正義は勝つ:

大仰な見出しとなったが、偽らざる実感である。昨25日に浦和で行われたこのアジアチャンピオンリーグ(ACL)の決勝戦の試合は浦和がサウデイアラビアの「アルヒラル」を苦しみながら見事に1対0で押しのけ、2戦合計の2対1で優勝したのは本当に結構なことだった。体調の不備から抜け出してのブログ復帰は27日からと予告はいていたが、この観戦記だけは外せないかと敢えて手がけてみる次第だ。頭の回転と指の動きが何処まで合うのかは不安だが。

私は以前から中近東、と言うかイスラム教圏の諸国のサッカーは、常に小汚い反則に採られそうで採られない行動を繰り返すし、本当に当たっても当たられていなくともピッチに倒れ込んで悶絶しそうな動作が時間稼ぎをする悪質さが余り好ましくないと、イヤ本音で言えば嫌いだと言い続けてきた。ところが昨夜のアルヒラルは実質的にサウデイアラビア代表テイームだったという沽券にかけても勝たない訳に行かなかったのか、「大汚いサッカー」に終始したのは、折角のACLのチャンピオンを決めるには相応しくない粗雑な内容にも見えたのは残念だった。

私の24日からの閃きでは「浦和が勝ち抜ける」と出ていたので、それを如何にして達成するかに興味と関心を持って見ていた。言うなれば「大汚い」と「フェアープレー賞受賞の常連」との対決だった。それにしても、2度の目の対戦だったにもせよ、浦和は善くぞその相手の(嘗てのオーストラリアや韓国をも凌ぐ乱暴且つ危険な当たり方をしてくるアルヒラルの)サッカーに耐えて守り切ったものと賞賛しておきたい。その精神力も立派なものだったと思う。

私の目にはアルヒラルたあのような乱暴な当たりをしてきて、浦和も負けじと当たって行っていては、イエローカードが多く出されるのは必定で、何れかは赤いカードになるだろうとしか見えない試合運びだった。主審がアジア随一と称されている人だとアナウンサーが言うので、「その人の判定に賭けるしかないな」と思ってみていた。ところが、いきなりイエローカードを出されたのが浦和の宇賀神となって些か不安になったのは確かだった。

試合の内容である。負けたアルヒラルは恐らく「日本の清く正しく美しいサッカーには、あの当たりで行くのが重要な戦術だと思ったのではないか」との戦略を立ててきたのかと思わせるほど、体の大きさの違いの活用を図っていたのかも知れない。しかし、浦和は良く耐えていたし、宇賀神以外にも確か3人ほどカードを出されるほど当たり返していった。その結果がどうか、アナウンサーがエースと呼ぶ#77のカルビンが後半の途中で交代したのは、明らかに当たり負けであり、所謂「壊された」のではなかったか。

私はイスラム教に言う「目には目、歯には歯」というような試合は好ましくはないと思うが、昨夜のような展開になっては否定は出来ない浦和の当たり方は避けて通れなかったと思う。あのままにやられ放題では、彼らが図に乗ってしまうからだ。浦和の当たり方にはアルヒラルのように最初から悪意を以て当たっていくのではなく、止むに止まれず当たったのあると善意で解釈しておく。結果的には累積2枚での退場者はアルヒラルから出て、10人になった後での失点だったのだから、自ら墓穴を掘った結果になったのである。

技術的には余り見るべきところがなかった試合で、浦和は未だ足長族の欧米人(中近東勢もその中に入れるべきだろう)との試合に慣れていなかったようで、実に頻繁に「通るはずだ」と思って蹴ったパスが引っかかっている場面が多過ぎた。それだけではなく、パスの意図が読まれ過ぎていたのも目立った。要反省だろう。短足を如何にして補うかを考えておかないと、この先本戦に出ればまた同じ問題で悩むのは必定だから。

シュート力の弱さというか思い切りの悪さも、私の目には明らかに見えた。前半開始早々に長沢に2度も決められそうな場面があったが、思い切りの悪さと蹴る足の選択がおかしかったのが残念だった。あの決勝点となったラファエルの思い切りの良さを見習うべきではないか。詳説は避けるが、左サイドにいて左足で蹴ってはどうしても弱くなるし、前が空かなくなるものなのだ。この問題は技術力ではなく育ちの問題で、子供の頃にそういう理論を叩き込まれていなかったからだと思う。

アルヒラルだ。アナウンサーは如何にも彼らが上手かったかのように言っていると聞こえた。私はそうは思わない。間違っているかも知れないが、「浦和は彼らに決定的な形を取るだけの力はないと見て、中盤は勝手にやらせて置いて、何とかゴールに近くなったところで防げるか、防いでいこう」という戦法で来たのだと思っていた。確かに保有率(フットボールで言う time of possession)ではアルヒラルは60%を超えていたが、結果的には無得点だったではないか。

私には彼らの中盤での寄せの速さ、競り合いの強さと、所謂「セカンドボール」の獲得率の高さは素晴らしいとは見えたが、如何にも弱い方に見えた浦和が勝った事実をどう評価するのか。決勝戦ともなれば、双方の頭に血が上って乱戦になるのは仕方がないとしても、アルヒラルのあの試合振りは見苦しかったし、質が低すぎた。

浦和には言い過ぎかも知れないが、誰も傑出した者がいなかったと見た。それでも全員が一所懸命に自分に与えられて役割を果たしていけば、色々な不利な点を補ってかれるものだと立証したのは立派だったし、偉かったと褒めておきたい。本選での健闘を祈るが、最後に一言本心を言えせて貰えば「もう好い加減にFIFAはイスラム教圏の諸国をアジアに押しつけるのを辞めて、本来の同じ人種であり、根は同じ宗教を持つヨーロッパに入れるか、独立の地域にして貰いたい」と心から願っている。

あらためて「善くぞ勝ってくれた」と浦和の健闘を称えたい。お陰様で良く眠れた。有り難う。

体調不備につき

2017-11-24 07:27:44 | コラム
お知らせ:

21日以来伏せっておりまました。原因というか正体不明のような体調の悪化で、PCもただ今久しぶりに起動したところです。この間は食欲もなく寝ているだけでした。また、運悪く最悪の状態だった昨日は休日で掛かりつけのクリニックにも行けず、苦しんでおりました

本日は何とかクリニックには出掛けられると思いますので、よく診て貰おうと思っております。この調子では27日に復帰できれば良いかなと考えております。

11月21日 その3 「あーあ、稀勢の里」 #2

2017-11-21 13:51:28 | コラム
結局、マスコミの餌食になったのでは:


以下は去る7月14日に稀勢の里をと言うかマスコミを非難したものに多少改訂・加筆したものである。故に #2 とした。彼の今場所は4勝5敗という体らくである。

何度も述べてきたことで、私は相撲に関心がないし「あれはスポーツではなく、日本伝来のと、言うか江戸時代から続いている興業である」とも指摘してきた。それでは何でこの期に及んで稀勢の里を採り上げるのかである。それは彼がマスコミに余りに過剰に持て囃された結果と、明らかに怪我による練習(稽古と言うようだが)不足で、目下開催中の場所で負けてばかりいるのみならず、またぞろ負傷したようだからだ。

マスコミの日本出身という奇妙な持て囃し攻勢は琴奨菊が優勝してしまった時から一層過激となり、その悪影響からか彼は明らかに思い上がりの嬉しそうな表情になり、アッという間に転落していった。そこにはモンゴル出身者からしか横綱が出ないせいもあって、日本出身という奇妙な紹介のされ方をする力士が優勝すると、マスコミは待ってましたとばかりに総力を挙げて過剰に持て囃すのだ。

彼ら優勝力士にその煽て上げる声が直接には届かないとしても、力士たちはテレビも見ればスポーツ新聞だって読むだろう。自分が賞賛されている記事を見れば良い気分になるだろう。そこには、本人が如何に自戒しようとしても「俺は偉いのかな」と思いたくなるものではないのか。そのような「思い上がり」を押し止める為にはよほど自覚を持って日々を過ごしていかなければならないのだ。私は稀勢の里はそれに失敗したのだと断じたい。即ち慢心したのだと見る。言って置くが「彼らは紙を伸ばし、視聴率を摂る為なら何でもやる人種」なのだ。それが証拠には稀勢の里は優勝する前の顔付きと、横綱昇格後ではまるで異なる、言わば「傲慢不遜」な顔付きに私には見えたのだった。

しかも、相撲嫌いの私に言わせて貰えば、彼の優勝の時には白鵬が不在だったので、古い言い方で「鬼の居ぬ間に洗濯ジャブジャブ」だった気がしてならない。しかも、その直後のあの左上半身を打った怪我である。私は「怪我などは練習不足」か「筋力の鍛え方不十分」か「気の緩み」で生ずるものだと確信している。稀勢の里には「気の緩み」も「練習不足」も当てはまると思う。

繰り返し言うが、あの同郷という高安の好成績があった後の、マスメディアの褒め称え方は異常と言うよりも「やはりそう来たか」と思わせてくれた有害無益なものだった。私でさえ彼ら二人が共倒れになりはしないかと気遣ったほどだ。稀勢の里君は横綱の責任感からが負傷が回復していない様子のままに登場し、負傷を抱えていれば負けるのは当然という惨敗(らしい)を続けた挙げ句の負傷である。

陳腐な言い方をすれば、マスメディアの持ち上げすぎと練習不足のコラボレーション(カタカナ語だ!)ではないか。見ていてご覧、そのうちに彼らマスコミは褒めあげたのを忘れて稀勢の里批判の論陣を張るよ。彼には負傷があったという者も出てくるだろうが、それは何の慰めにもならない。怪我をするのは所詮は「ヘボ」だという証拠だから。

結論めいたことを最後に言えば「日本出身の力士たちはマスメディアの持ち上げすぎに十分に注意して、いくら褒め上げられても自己過信に陥ることなく、思い上がらないように努め、琴奨菊と稀勢の里の轍を踏まないように心がけること」が肝腎ではないか。こういう現象は興業の世界だから起こること。NHKには可及的速やかに相撲をスポーツニュースから除外して「興業」の枠を設けるべきだ。あんなものを(言い過ぎだったら御免)をスポーツに分類されては迷惑だ。

プロ野球やサッカーのJリーグなどで優勝したからと言ってタニマチとやらが集まって優勝者が片手に大きな鯛を持って祝い、大きな杯で酒を飲むか。私は健康管理上も運動選手が酒や煙草を嗜むことは極めて宜しくないとすら考えている。それにも拘わらず相撲は・・・となるのだ。