新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

11月1日 その4 お詫びで「勝敗の分かれ目」は その3 でした

2017-11-01 22:06:22 | コラム
お詫び:

体調は朝一番で駆けつけた掛かりつけのクリニックで受けたブロック注射で立ち直っていたはずでしたが、粗忽者は「その3」と表示するのを失念しておりました。

お許しを。

ブロック注射は最短でもその効果は3日は維持されますから、明日はこんな単純な失敗はしないと思います。なお、野球の感想は明日にしますが、DeNAがヒットを打ちすぎた気がするのが懸念材料かと。

真一文字拝

勝敗の分かれ目

2017-11-01 17:16:00 | コラム
「ここぞ」の時に現れるのが弱点なのだ:

31日夜の日本シリーズの野球はこのような問題点を抱えた方に残酷なほど悪い結果をもたらしのだ。それは、ラミレス監督がシーズンの途中から評価して二塁手に使い出した柴田竜拓(24歳)のことである。確かに足も速いし時々良いヒットも打っていたが、如何せん経験が不足だし、私には「(野球)学がない」としか見えなかったのだ。欠陥は平穏無事な時には出てこないものだ。

DeNAは1、2回戦で1回の裏に柳田ヒット、今宮バント、粗っぽい打者のデスパイネがヒットで先取点を与えてきた。昨夜は先発のウイーランドは首尾良く柳田をセカンドゴロに仕留めたが、何とそれを柴田が粗雑な体勢で捕り損なって記録上は「安打」となったが、DeNA前監督で解説をしていた中畑清でさえ「あれは捕らなければ」と言ったほどの取り返しの付かない「失策」だった。

私は、実は「これで、この試合は終わった」と決めつけたほどの大きなチョンボだったと見た。軽率な守備だったし、1回の裏(ではなくて、昨夜は表だったが)の重大さを認識できていなかったのは致命傷だったという意味だ。ウイーランドは頑張って(私はこんな粗雑な打者に打たれる方が悪いと見ている)デスパイネは高い球で空振りをとって三振させたが、内川に高い球を投げて打たれてしまった。これでは、益々この試合は終わったと思わずにはいられなかった。

大体からして、二塁手に人を得ていないか、何処かの球界の盟主球団のようにとっかえひっかえするテイ―ムの野球の質は低いのだ。DeNAは肝腎のこのポジションに適材がいないのは欠陥だ。それだけではなく、捕手も安定していない。そういう問題点を抱えていれば、必ずと言って良いほど、そのポジションに据えられた者が所謂「アナ」となるものなので、勝負は必ずそのアナから崩れるのだ。

柴田の問題点はそれだけではなかった。何回だったかDeNAは「一死で二・三塁二走者を置く」という絶好の機会を得た。だが、そこでの打者が柴田だった。ここで求められるのが「最悪でも前進守備のナイを抜けるゴロを打つか、深めの外野フライを上げること」だ。だが、柴田は焦ったらしく下からしゃくり上げるような打ち方でセカンドフライに終わって、得点できなかった。中畑は「最低の仕事も出来なかった。せめてゴロを打たねば」と厳しい口調で非難した。尤もだ。

柴田は「何をすべきか解っていなかったのか、解っていても出来なかったのか」の何れかも知れない。しかも、ラミレス監督の失敗は柴田を首位打者の宮崎の後に置いたこと。私は「これでは、ソフトバンクホークスは『しめた』と思ったのではないか」とすら考えた。6番にはせめて嶺井か戸柱を上げておくべきだっただろう。

それ以外の試合を捨てたに近い失敗もあった。それは、ソフトバンクの先発投手・武田翔太が制球に苦しんで1回裏に二つも四球をくれたのに、両方とも盗塁の失敗で折角貰った機会を逸してしまったこと。どちらかの盗塁失敗は「ラン・アンド・ヒット」のシグナル(「サイン」は誤りのカタカナの野球用語だが)の見落としだったらしい。私はこういう失敗をするからDeNAの野球が雑だと言うのだ。

こういう経緯で試合は終わったと思ったが、万が一のこともあるかと7回までは Prime News との両方を見ていた。だが、諦めて(何を?)昼間の疲れもあって、寝ることにしてしまった。DeNAは完全に『モメンタム』失っているし、もしかして監督の采配もおかしいのか知れないが、選手たちが指示されたプレーの通りに動けないほどソフトバンクが巧みにこのテイ―ムの弱点を突いているのかも知れない。

では、柴田を引っ込めればそれで良いかという問題ではあるまい。私はシーズン中の宮崎があれほど下からぶちかますようなバッテイングをしているのを見ていない。彼が力みすぎか、ソフトバンクのスカウテイングが徹底しているのかも知れない。反対に、DeNAはデスパイネを欠陥を調べてこなかったのかとすら疑う。そんなはずはあるまい。勝敗の分かれ目はそんなところにもあるのだ。


11月1日 その2 カタカナ語表記の不統一さを責める

2017-11-01 08:31:53 | コラム
ドッジボールと自動車のDodge:

先日MLBの Dodgers を採り上げたので、この「ひらりと体をかわす」とでも言えば良い意味の言葉をもう少し掘り下げてみよう。先ずは Los Angeles Dodgers から。この古くはNYのブルックリンに本拠を置いていた球団はアメリカのテイ―ムであるにも拘わらず、我が国では「ドジャース」と表記されたしそれが通用してきた。

これは全くおかしなカタカナ語である。dodger の発音はダにアクセントを置く「ダージ」か「ダッジ」である。それを誰か決めたのかローマ字読みの「ドッジ」にして「ドジャース」になってしまった。また、面白くも何ともないが、dodger には「いかさま師か詐欺師」という意味があるのだ。私は何故にアメリカの球団をUK式にドジャースとしたのか不思議に思えるのだ。これは「ダジャース」だよ。

次に、今でもそういう遊びがあるか知らないが「ドッジボール」か訛って「ドッチボール」という相手にボールを当てる遊びがある。これは上記のように「ひらりと体を交わす」遊びである。即ち、dodge ball なのだ。ここでも、何処かの誰かが素直にローマ字読みか憧れの(?)高級な英語のUK語にあやかって「ドッジボール」にしてしまったようだ。それが訛ってと言うか変化して「ドッチボール」にもなっている辺りが、カタカナ語の悲しさだろう。

視点を変えると、アメリカには嘗て栄耀栄華を誇ったクライスラーという自動車会社があって、そのブランドに “Dodge” という車があった。これを我が国ではごく普通に「ダッジ」と呼ばれていたと思う。私には「ドッジ」というのを聞いた記憶がない。私が指摘したいことは「何が故にこういうバラツキを生じるのか」なのだ。もっと言えば、何故ローマ字式な読み方を何ら躊躇せずにカタカナ表記に採用するのかという疑問だ。何処かにこういう不統一さを気づく者はいないのか。

いや、怒りに似た感情論かも知れないのだ。何故、カタカナ表記をする連中はUK式を尊重するのか。Dodgers にしても Dodge にしてもアメリカの球団であり、自動車だ。カタカナ語表記を担当する団体(そんな役割を果たす機関があるのかな)はもう少し、我が国における英語というものの存在に頭を使うべきではないか。話が大きくなったが、マスメディアももう好い加減に目が覚めても良くはないのか。

1日に4箇所も回るとは

2017-11-01 07:57:15 | コラム
大奮闘の10月31日:

31日は9時半過ぎに出発して国際医療研究センター病院に向かった。それは10時半の予約時刻よりも早く着いていれば遅れずに呼ばれるかなとの淡い希望的観測があったから。しかしながら残念ながら、呼ばれたのは予約時刻に遅れることこと45分の11時15分だった。待っている間に判明したことは、私よりも遙か前の番号を持っている患者が何人もいたこと。彼らは一体何時に病院に来たのだろうかと恐れ入った次第。

血液検査や心電図等の諸々の循環器か系統の検査は前日に済ませてあった。その結果は問題なしだと主治医に告げられて一安心だった。また、目下悩みに悩んでいる自律神経失調症の如きものについては、主治医から「検査のデータには何ら疑問の点もないので、心配する必要はないだろう。症状が消えるまで耐えていくことだ」との診断を頂いた。これも良い話だが、昨日はそろそろ痛み出した頃で少し憂鬱だった。支払いを済ませてから人民大食堂とでも呼びたい大味な料理しかない地下の大食堂で¥600の日替わりランチを。

食べ終わって直ちにバスを乗り継いで高田馬場駅前のビッグボックスのジムに。大きな風呂に入ってジャクージーの噴流を浴びれば少しは血流も良くなって、全身の筋肉痛か凝りか知らぬが少しは楽になるかと入浴。あまり効果があったとも思えなかったが、気分は爽快。帰宅する前に我が家の近所の調剤薬局に立ち寄って処方箋を置いてくるという忙しさ。

家では暫時休憩してから3時半の歯医者さんの予約でまた外出。4時前には終わったが、これだけ動き回れば流石に寒さとの戦いにも負けたのか疲労困憊。ぐったりとなって夕食までまた一休みという具合で、大健闘の1日だったが、84歳には一寸過剰負担だったようだった。どう考えてもDeNAには分がない野球を最後まで見ようかと気力は残っていないような気分だった。