新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

11月7日 その3 小池都知事批判

2017-11-07 13:42:22 | コラム
豊洲への移転までにいくら無駄金を:

偶々語り合ったある感性鋭い中年者が「小池都知事はこれまでにいくら都民の税金である資金を投じたのか。豊洲の6,000億円の投資で固定させてしまっただけでも、どれほどの金利というか資金コストになっているのか承知か。それ以外にも、業者への補償に来年に予定されているような移転までいくらかける気か。都民の一人として腹立たしい」と笑っていましたが、目が笑っていませんでした。

彼は更に「あんなことをするのであれば、みみっちく細かい公費を私的に使ってしまい、その咎めにあって都知事を辞職に追い込まれた桝添の方が、移転の時期を決めていただけマシだったのではないのか。今になって言ってもしようがないが、どうしてマスコミはこの点でも小池都知事はもっと責めないのか」とも言いました。

何となく私の「小池都知事の資金コストに対する感覚の鈍さ」を批判してきたのと似ているかと思って、敢えて紹介する次第。


11月7日 その2 ロン・ヤス関係

2017-11-07 08:26:15 | コラム
Shinzo対Donald関係と一緒にするな:

もう何十年も昔のことだったか、中曽根康弘総理は当時のアメリカ合衆国大統領 Ronald Reaganと親密な間柄となって、別荘にまで招待していた。その関係をマスコミは「ロン」、「ヤス」と呼び合う間柄に発展したと、中曽根康弘総理を賞賛した。私は結構なことだとは思ったが、「マスコミは何を言っているのか」と心の中では冷笑していた。

それは、その頃からずっと今もなお彼らは欧米(アメリカだけでも良いかも知れないが)は「ファースト・ネーム、ファースト」で呼び合う文化を持つ世界であり、ファースト・ネームで仮令初対面でも呼び合うのはごく普通のことなのである。我が国のよう文化のように、相手の年齢・身分・地位・性別に従って色々な敬称を付けるか、呼び捨て(近頃は「ため口」と言うようだが)にするかを使い分けることはしない。

彼らの中ではごく普通に初対面であってもファースト・ネーム乃至はその略称であるニックネームで話しかけている。または名刺交換の文化が中々普及しなかった国であれば、初対面の双方がニックネームで名乗ることは極めて一般的である。かく申す私も、初めて転進したM社の事業本部長に会った時もいきなりファースト・ネームで呼びかけられた。これは必ずしも親密さを表す現象ではない。

W社の8代目CEOのジョージ・ウエアーハウザーは Mr. Weyerhaeuser と呼びかけられることを「自分の前で儀式張ったことをするな」と言って嫌った。故に社員は皆「ジョージ」と呼んでいた。1978年に初めてジョージに出会った時は副社長兼事業本部長に「この点を十分に気をつけろ」と固く注意された。そこで、ジョージの前に立って「ハロー、ジョージ」と言った時には足が震えていたものだった。

ここまでに述べた通りで、彼らは「何と呼べば良いのか(または「敬称を付けるのか、ファーストネームか、ニックネームか」を確認することもあるが)、ごく普通にファーストネーム・ベイシスで語りかけていくものだ。マスコミはこの文化を知って知らずか、多くの場合に外国人を呼ぶ時にファーストネームに「さん」、「氏」、「様」を付けることを以て礼節としているかの如くだ。

我が国の文化では、いきなり名前(近頃の奇妙な日本語で言う「下の名前」のこと)呼びかけることはしない。その為があったのだろうか、中曽根元総理は恐らくレーガン大統領に President を付けたか、Mr.を付けて呼ぶことから入って行かれたのだろう。思うに、ある期間を経た後で、レーガン大統領に「他人行儀は止そう」とでも持ちかけられたのではないのか。即ち、彼らはファーストネーム・ベイシスでないことを快くな思わない場合が多いということ。

何度か例に挙げたが、我が社の1970年代の技術サーヴィスマネージャーは名刺の裏側に当然漢字とカタカナで会社名を表記し、氏名はファーストネームかを先にしてカタカナで表していた。これを見たある地方の工場の生産課長さんが、ファーストネームに「さん」と付けて会談中呼びかけ続けたことがあった。

話し合いが終わってから、彼は感動覚めやらぬ面持ちで言った「自分も漸く彼に仲間だと思って貰えた。長年の訪日の苦労が報われる時が来た」と言って。しかしながら、私がその課長さんに確認してみると、「単に先に書いてある方が名字だと思った」だけのことで、マネージャーは失望落胆したのだった。

私が思うには安倍総理は留学の経験もおありだし、この文化の違いを十分に弁えておられるので、あの記者会見の中でもキチンと使い分けをしておられたし、その点ではトランプ大統領も同じと聞いた。間抜けな記者たちはその辺りを解っていたのあろうか。2番目に質問に立った産経の田北真樹子さんはシアトル大学の出身だったはずだから、日本語で質問はしていたが、その点は弁えていたと思っているが。

思うに、安倍総理は初めてトランプ大統領に会われた時から、日本式な儀式や他人行儀を巧みに排してトランプ大統領に接しられて、sidekick とまでアメリカの有力な新聞に書かせるまでの間柄を素早く樹立されたのだろうと、遠くからお察ししている。良いことではありませんか。余談だが、この一文のジャンルは「文化」でも良いかと思う。


アメリカ側のTradeの問題点

2017-11-07 07:33:57 | コラム
トランプ大統領は矢張り自動車を問題にした:

トランプ大統領は安倍総理トランプ大統領の記者会見では触れていなかった自動車の問題を、駐日アメリカ大使公邸の会見では正面切って言い出していたようだった。この件は就任早々にも、かの Big 3 なるメーカーの首脳が大統領と面談して例によって例の如き「日本の自動車メーカーの対アメリカ姿勢は不公正であり、その市場は我々に門戸を閉ざしている」と訴え出た嘘偽りを何の躊躇いもなく、またもや言い出したに過ぎない。

この事実一つを採ってみても明らかに言えることは「トランプ大統領は忠実に国内産業の言い分を詳細に分析することもなく代弁しただけで、日本とアメリカの自動車産業界に何十年と続くアメリカ側の誤認識と低品質の車しか作っていないことを堂々と語っただけだったのは明らかだ。

私ですら承知していることだが、この「自分たちの至らなさを反省することもなく、相手側が悪い、世界最高のアメリカ製品を買わない日本が誤っている等々の、責任は自分たちにはない」と言い募るのがアメリカ人なのである。オバマ大統領も今回のトランプ大統領と全く同じことを主張して我が国を非難した実績がある。即ち、彼らは何の学習もしていないのだ。20数年も内側からアメリカ側の一員として働いてきた私が言うのだから間違いない。

実は、6日夜のPrime Newsに出演された、TPPで散々苦労された元担当大臣の甘利明も「あのトランプ発言はオバマ大統領と全く同じ」と、「彼らは実情を知らずして何回同じことを言うのか」と穏やかな口調で批判していた。私は「善くぞ仰って下さいました」と思って気分良く聞いていた。

念の為、一言お断りしておくと「アメリカの社会には驚くほど頭脳明晰な優れた人物は何%かいる。そういう知的に上層に属するの連中がビジネスの世界にも数多くいるのは間違いない。私が知る限りでも、そういう切れ者たちが自己の非を悟っていないはずはない。であれば、承知の上で「これを言うことで失いものはない」という彼ら独特の debate の姿勢で出てくるのも、またごく普通のことである。

問題点は、この「失うものはない」戦法に屈しないことだ。同時に言えることは「失うものはない」作戦の実行に出てくる者たちは、単なるお使い奴であることが往々にしてあるのだ。こういう者どもは実態など知りはしないのだ」から強気に出てこられるのだ。日本側はこの作戦に惑わされてはならないのだ。