新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月25日 その3 アメリカの大統領選挙戦の状況

2024-08-25 13:43:03 | コラム
知性派のアメリカ市民が見る現在の状況は:

ワシントン州でリタイア後の生活を楽しんでいる往年の仲間の技術者から「そちらではカマラ・ハリス副大統領が民主党の候補に正式に選ばれたことをどのように受け止めているか。アメリカ国内世論調査では、ハリス副大統領は驚くべき人気を得たとなっているが」と照会してきた。

私からは「こちらでのマスコミ論調では、アメリカ史上初のアフリカ系でありアジア系でもある女性大統領の出現に対する期待度が高まっているし、トランプ氏が劣勢になりつつあるとの見方が広まりつつある。だが、左寄りの傾向があるメデイアでは、ハリス氏は勢いが良いが何ら具体的な政見も政策も発表しない点に疑問を呈している」と伝えておいた。

彼からは、直ちにこれに反応するメールが来て「民主党はハリス氏には現時点では政策を明らかにしない策を採らせている。その狙いはトランプ氏側がそれに反応して否定的なことを言い出して口撃し始める事を防止する為である。私はハリス氏がどのような手を打っていくかを、暫時見守りながら待っている姿勢で行くことにした」と知らせてきた。

彼の見方も民主党に好意的であるが、これは中々微妙なことなのだ。アメリカ西海岸のワシントン州は伝統的にも民主党が優勢なのだが、ウエアーハウザーは昨年亡くなった元CEOの故ジョージ・ウエアーハウザーがパパ・ブッシュ大統領とYale大学の同級生で親密な間柄だったこともあって共和党支持なのだ。さらに、このメールの送信者も、元の上司たちも、全て共和党支持者でありながら、トランプ氏否定または毛嫌い派なのである。

私はこの益々激化していくだろう民主党と共和との争いがどのような形で決着するかを、彼と同様に「待ちの姿勢」で見ていこうと思っている。これまでに何度も取り上げてきたことと言えば「我が国にとっては民主党政権の出現は何時もbad newsだった事」なのだ。例えそうであっても、私は以前から言い続けてきたことで「絶対にトランプ氏のファンではない」のである。

8月25日 その2 大谷翔平が40ー40を達成

2024-08-25 11:01:25 | コラム
「大谷はピッチャーなんです」:

先ほど恒例の「喝」の時間で槇原寛巳がこう言って「忘れないで」と念押しをしていた。「ピッチャーがあれほどの大記録を打ち立てたことを認識して下さい」とも言っていた。確かに、今季はtwo-way(「二刀流」などと言う戯けた表現は断固採らない)ではなくて、投手だけに専念している。片方だけに専念すれば、あれほど出来る選手である事を立証した。

昨日は懸命になってリクルート進学総研の「高校生がブランドと思う大学」の追跡調査をしているところに、二男から「MLBの野球が面白い局面になったから直ぐに見れば」と知らせてきた。何事かと作業を一旦停止してテレビを見に行った。なるほど、Dodgers(ダジャースである)が3対3のままで9回裏、大谷が打席に入ってきたところだった。「8月は調子が下がっている大谷だが、何とかするか確率は50%では」と見ていた。

すると1球目のアウトサイド(「アウトコース」という用語は、支離滅裂で意味を為していない)低目に来たスライダーと見えた投球を掬い上げ気味に打った途端に「行った」と見えた。だが、センターが如何にも捕るつもりで追いかけて、しかも塀の前で飛び上がって見せたのだった。しかし、外野席にいた観衆が取り損なったのかボールはグラウンドに落ちて、ホームランだったと証明。

凄いことに滅多にない「サヨナラ満塁ホームラン」だった。矢張り「大谷翔平という選手は普通の者とは違う『何か』を持っているのだ」とあらためて認識させられた。長男からは何時も「大谷についての評価が厳しすぎないか」と言われている。その通りであるが、厳しい事を言うのは「あれほど超高額の年俸を取っていて、今季のあの程度の成績では、それに充分に見合っているのか」と見ているからだ。

アメリカという国にあっては「報酬と成績は常に見合っているかそれ以上であること」は、当たり前すぎるのであり、私は「社会通念である」とすら理解している。大谷君がその点を認識して懸命にやっているのだと見てはいるが、より高いところを目指して行く必要があると思う。現に、ヤンキースのAaron Judgeにホームランの数で何本離されているかを考えても良くはないのか。(余計なことと言われるのを覚悟で言うとNYYにいるのは「エアロン・ジャッジ」である)

誤解なきよう申し上げておくと、私は大谷翔平の成績を貶しているのではない。彼は立派以上に凄く働いていると思うと賞賛するのに吝かではない。貶したいのはマスコミである。彼等は現在のように「気分爽快」にしてくれるような話題が余りにも少ないので、海外に出て諸々の素晴らしい外国人選手を尻目に大活躍する大谷を(過大になることを怖れず)取り上げて視聴率を確保し、新聞の発行部数低下を避けようと懸命なのだと解釈している。

当方の長年の持論は「マスコミに過剰に持て囃され、持ち上げられた人たち(経営者も政治家もスポーツ選手も)には余り好ましくない結果になってしまった例が多い。しかも、その過剰な賞賛が先方にまで届いて慢心したのではないのが問題だ」と指摘し続けてきた。大谷翔平が史上希に見る凄い素材である事を、私は彼がアメリカに行く前から認めると言っていた。

その素質がアメリカに行って本格的に育ったのであるから、彼が望んで「ヒリヒリした試合が出来て、World seriesの勝者になれるまで、もう少し静かに、可能な限り彼の活躍と成績を讃えていて欲しい」と希望しているだけなのだ。30歳を超えた大谷が来年はtwo-wayに戻って、40―40に加えて20勝でも達成するように、落ち着いて見守ってやって欲しいのだ。

米が売り場から消えた

2024-08-25 07:28:00 | コラム
オイルショックの再来かな:

昨24日の11時過ぎのこと。高田馬場駅前のバス停のベンチに座っていた。目の前がドン・キホーテという立地条件。そこに、高年齢と思しきご夫婦がお揃いの濃紺のle coqspotif (「ルコックスポルテイフ」というフランスのスポーツウエア)のシャツにRolex(断固として「ローレックス」で「ロレックス」ではない)という出で立ちで「どうしようか」と相談の後で、ご主人が差し迫った硬い表情でドン・キホーテに入って行かれた。

暫くして、落胆の表情で出てきて「ここにも無かった」と奥方に告げられた。奥方は深刻な表情で「どうしようね」の一言。それから暫く何か相談してから「仕方がないね」と諦めの表情でベンチに座り込んだのだった。

確かにここ数日私が何気なく入った数店でも、米売り場の棚は見事に空っぽだった。この傾向は昨年の猛暑による不作で品薄と報じられてからは、値上がりすれども品物は不足の状態に陥っていた。そこに南海トラフ警告と7号台風に対する危険信号が出たのだから堪らない。我が家の前のイオン系の「まいばすけっと」でも米だけではなく、食料品売り場の棚には「空っぽ」が急増し始めた。

店の人に「買い溜めの傾向ですか」と尋ねると「いえ、違います。在庫を絞っているのです」という上手い答えが返ってきた。でも、米は無くなっても「おむすび」は何処に行ってチャンと棚に並んでいる。報道によれば9月になればこの品薄問題は解決されるのだそうだ。

結局は何事も起きなかった南海トラフでの地震云々は、誰にでも「今買っておかないと」とオイルショックの時のあの買いだめ騒ぎを想起させたのだろうと思う。善意から出た警報の副反応はこのように案外に強烈だったのだ。

私は「どう考えても現在の暑すぎる夏は今年限りで終わること」はあり得ないので、不作や凶作になってしまうのは、何も米だけではないとしか思えない。それだけではなくて気象予報を聞いていれば、海水温の上昇傾向は止まるところを知らないようだから、異常気象は続くだろう。台風が発生すれば大型化ではなくて超大型化するのを、現代の科学の力や人力では防げないのだろう。「サンマが大漁」などと喜んでいられる時ではないと思う。

私のように米はいうまでもなく食べる物が本当に無かった戦中・戦後に育ってきて、引退するまでの20年ほどは年の3分の1ほどは米飯が無い国で過ごしてきた者は、米飯が無くても痛痒は感じないのは例外だろう。これから先に「お米を食べて育ってきた世代」のために米作りをどうするかを、為政者は真剣に再検討せねばなるまいと思う。

能登半島地震の後の復旧の手立てでさえ不十分なこの時期に、今週には大型化が予測されている10号台風が本州に迫ってくる。新幹線を止めてしまうとか飛行機を減便するような対策以外の、根本的な策を工夫する時ではないのだろうか。この自然災害対策は自民党の総裁選に誰が出るとか出ないのという問題よりも、米の需給対策と同様に遙かに国民にとって重要であると思う。

続・個人的に関心があった話題の紹介

2024-08-24 13:23:41 | コラム
この話題を追跡調査してみれば:

個人的な興味が尽きないので、中部地区も併せて追跡してみました。ブランドとしての大学を我々から見るのと、現役の高校生とでは違うものだと解りました。

甲信越地区の高校生の11位以下は、
11位には筑波大学で、12位には同率で上智大学と都立大学、専修大学、神奈川大学、横浜国立大学、東海大学、駒澤大学、東京理科大学、埼玉大学、
となっていました。ここまで来ても、ICUが出てこないし、学習院大学も無かったし、武蔵・成城・成蹊も無かったのが不思議といえば不思議な感があります。

中部地区高校生では、
第1位が名城大学、以下名古屋大学、名古屋市立大学、静岡大学、中京大学、岐阜大学、南山大学、愛知学院大学、名古屋工大、中部大学、
の順でした。

またも、個人的な関心事ですが、南山大学も上智大学と共に下位に沈んでいるのは、もしかしてカトリック系は不人気なのかと感じたのですが。

念のため、確認しておきますと、調査したのは「リクルート進学総研」でした。

続×3アメリカ合衆国では

2024-08-24 07:57:06 | コラム
会社の在り方が我が国とは違うのだ:

“company”を「会社」としてしまったので、アメリカと我が国の会社の「文化」または在り方にはたいした違いがないような感がある。だが、実際にその中に入ってみれば解ることなのだ。だが、大小取り混ぜて違いが多い事は我が国では余り広く認識されていないようだ。今回はその違いを取り上げていこうと思う。

*“flat pay”:
「平らな支払い」とは何の事かと思われるだろう。これはアメリカでの一般的な給与の形態で「本給のみで諸手当は一切無し」なのである事を示している。我が国の制度というか給与の形態とは全く異なるという意味である。

そこで、AIでは何と言うか試してみた。そこには「flat payという表現は、一般的に「固定給」や「定額給」を指し、基本給のみで手当が含まれない給与形態を意味します。」とあった。より具体的に言えば「役職手当、交通費、残業代(過勤手当?)、住宅手当等々は無いというか、本俸に含まれているとの解釈にもなるか」なのだ。

*社宅は準備されていない:
嘗て、技術者たちと我が国の大手製紙会社の工場を訪問した時のことだった。工場の周囲に恰も城壁ようにアパート群が取り囲んでいる風景を見たアメリカ人たちは不思議がって「あれは何だ。何で街から外れた場所に多くのアパートを建てたのか」と尋ねてきた。

そこで、「あれは社宅といって転勤してくる社員の為に会社が用意して住居であり、通勤等の便宜を図っているのだ」と説明したが、アメリカ人は即座にその意味が理解できなかった。

簡単に言えば「アメリカでは住居は社員が自分で手当てするべき性質で、会社は関与しないから」で、我が国の制度とは異なっているのだ。「転勤してきて入居する社員は某かの家賃は負担する」と説明したところ、「会社はそこまで福利厚生を考慮してくれるのか」と羨ましがった者もいた。それに、事業部の中でも、転勤は滅多にないこと。特に後述する「専門職」で採用した者を転勤させてどうするという事でもある。

*大学からの新卒者の定期採用制度は無い:
この件はこれまでに何度も取り上げてきた相違点である。これは製造業の会社でのことで、銀行と証券界では4年制の大学の新卒者を採用していると聞いている。従って、新卒で入社してきた者たちを教育して、社風に馴染ませるという考え方はないと言うこと。では、新卒者はどうするのかは、既に述べたことがあるし、本稿とは別な話題である。

*段階的に昇進する制度は無い:
この点も我が国との大きな違いである。即ち、年功序列と成績次第で順を追って役職に就けていくという考え方がないのである。と言うよりも、中途入社の経験者を言わば「job型雇用」で専門職に就けていくのだ。他社から転進して来る者たちに序列をつけようが無いし、専門職に就けた者を役職者に任命するという制度も考え方も又ないのである。

即ち、事業部長の下は全員が横一線であり、彼等の中から事業部長に昇進した例など見たことがなかった、そういう地位は多くの場合に、一流大学でMBA等を取得した者たちが占める席なのだから。換言すれば、我が国のように課長代理から課長を経て部長に昇進し、更に取締役に昇進する制度ではないのである。

*人事権は事業部長にある:
と言うことは、我が国のような人事部も勤労部もないのである。即戦力となる経験者の新規採用は事業部長がその権限で実施するのだから、人事部があっても介入し得ないのだ。その中途入社してくる他社での経験者の給与は、事業部長との話し合いで決める。

*個室制度:
この制度はその会社で異なるようだ。M社でパルプの副社長の個室で「凄いofficeですね」と賞賛したら「このofficeに入れるまで何年かかったか考えて見ろ」と言われた。個室で執務できるのは、長年の功績に対する論功行賞だったのだ。確かに、Weyerhaeuserでもパーテイションによるofficeであっても、副社長ともなれば人工湖に面した窓辺であり、広くて調度品も違っていた。

Weyerhaeuser Japanではマネージャーにはパーテイションで仕切られた個室が与えられていた。経験からも言える事は「個室の中では外部と別れているので、個人的には事務能率が促進されて効果的だったと認識していた」のだ。各人が異なる事業部に所属し夫々の任務を遂行している以上、他のマネージャーたちと隔絶していても支障は無かったのであり、意思疎通の必要も無かったのである。

個室制度は矢張り「個人の主体性尊重」の国のシステムだったのだと理解している。