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シャバロフカ・ラジオセンター開局90周年によせて

2010-03-12 | ラジオ
今からちょうど90年前の1920年3月1日、クレムリンからモスクワ川を挟んだほど近いところにある、ロシアの声からは歩いて20分の距離にある通りに出力100KWのラジオセンターが造られた。
これは世界の代表的なラジオ局と出力の点で肩を並べる、ロシア当時はソ連だがソ連初のラジオセンターでヨーロッパ諸国との通信を輸送するものだった。

当初ラジオセンターは高さ150メートルの木造3本のマットに似た物を建て、そこに吊るされたアンテナで放送を送っていた。
しかし開局した同じこの1920年、(?)がこのマットの内に引っ掛かってしまい、地面に倒れてしまうという事故が起こった。

(?)に出来たアンテナと電波塔、それを造る決定が下された訳だ。
しかもその美しい鳥かごのような、ユニークな姿を保っているタワーを設計したのはエンジンニアのシューホフだ。
彼は曲線を格子状に(?)両極面構造の外観を持つタワーを造りだした。
シューホフは当時、高さ350メートルのタワーを考えていた。
350メートルというのは1889年、パリでの産業博覧会の際に造られた、あの有名なエッフェル塔よりも50メートル高いものだ。
シューホフのプロジェクトによれば300メートルのエッフェル塔は、およそ7300トンもの重量なのに対し、このシャバロフカの電波塔は予想される重量は僅か2200トンだった。
つまりエッフェル塔の三分の一以下の鉄(???)で充分だった訳だ。

しかし1920年代はロシア国内ではボリシェヴィキ(十月革命)革命後の内戦が続く大変な時代で、鉄もそして資金も不足していたため、シューホフはせっかくの自分の野心的なプロジェクトを修正しなくてはならなかった。
結局網状となったセクションは9つから、1セクション25メートルずつの6つに減らされ高さは350メートルから160メートルとなった。
そして1922年3月19日、シャバロフカ通りの放送局のこの電波塔から初めてのインターバルシグナルがソ連全土に流れ、多くのヨーロッパ諸国もこのシグナルを受信した。

またソビエト初のテレビ放送の歴史も、このシャバロフカの電波塔と結びついている。
1937年シャバロフカのラジオセンターに、テレビ放送用アンテナが据付けられ、翌1938年モスクワテレビセンターの業務がスタートした。
それ以来、シャバロフカ電波塔の美しい姿は、ロシア国営テレビのエンブレムとなり多くのテレビ番組のスタート画面に使われている。
シャバロフカのテレビ塔はその美しさにおいて、パリのエッフェル塔に並ぶといわれている。

設計したシューホフ氏の曾孫で、名前もこの曾祖父から貰ったウラジーミル・シューホフ氏はロシアの声からのインタビューに次のように答えている。
「私達はエッフェル塔を見慣れているが、ロシアにもそうしたものが或いは、もっと良いものが在り得たということを、すっかり忘れている。
私達は多くの課題を解決したパイオニアだったのだ。
スペインの有名な建築家ガウディはバルセロナで、巨大建造物を造った際、シューホフのこの網状の構造物を参考にした。
しかし皆がガウディを知っているが、シューホフを知る人は世界で僅かだ」ウラジーミル・シューホフ氏は、この様に述べている。

尚、日本でも神戸のポートタワーが、シャバロフカタイプの電波塔になっている。
シャバロフカの電波塔はロシア・アバンギャルドの傑作であり、またユネスコの文化遺産としても登録されている。
建てられてからすでに90年近くなるが、これまで一度も全面的な改修工事が行われたことはない。
現在求められているのは、一日も早く金属の腐食からこのタワーを守ることだ。
昨年そうした修復のため1億6500万ルーブル(550万ドル)が拠出された。

現在、専門家達はこの塔を守る作業の仕事の分担を決めている。
シャバロフカの電波塔の修復がもしなったならばパリのエッフェル塔の様に、モスクワを訪れる人々の観光スポットとしてさらに注目を集めるものと期待されている。

(?)は電波が弱く聴き取れない
(???)は男性アナウンサーの不明瞭な発音で聴き取れず

ラジオの戦争責任 (PHP新書)

坂本 慎一
PHP研究所


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3月1日放送 ロシアの声・ラジオジャーナル