水面の風景プラン

目標は金閣寺の池での制作。今はその為の実績づくりで頑張っています。by 平間雅己

しゅうばんせん。。。

2006-11-09 23:55:58 | 「学びの森」での美術展
さて、「学びの森の」展示も後数日。

ワイルドな子供たち。
台風の様な突風。

野外展示がメインの展覧会だったので案の定の出来事。

今にして思えば

公園デビューを果たしたお母様方と保育園ぐらいまでの小さい子供たち。
ウォーキングに励むご年配の方。

が、主役の公園で展示された現代美術展だったんですよね。

これから野外で行なわれる展覧会は、こうした雰囲気に囲まれて行なわれることが圧倒的に増えるのだろうと思う。

都会のビル街の小さなスペースで個展を行うことが、いかにも現代的と思われがちだけど、こうした環境で行なわれる活動の方がより現代の状況に即した展開なのかもしれない。

ストレス → 引きこもり → ゆったり

そんな、ながれのなかで憩いの場での活動が求められてくるのかもしれませね。



そのことをふまえて今後の展開。

今回の「学びの森」での展覧会の準備に際して、僕なりに重点を置いていたのは、こと後に続く人材を育てておくということでした。

とはいえ、単に技術を身につけてもらうことだとは思っていません。

特に今回の場合は、特に既存の展覧会に参加するのではなく、一からはじめる経験を二十代を中心に出来るだけ早い時期に経験させ、現実の状況に自分をさらさせてみることが重要でした。

比較的気楽にできる

学校の中。
友達付き合い。
貸し画廊での個展活動。

ではない、もっと、個々に責任が発生する形での企画運営に目を向けさせることが目的でした。

実はそれに一番適した状況というのが、市役所への展覧会の企画を提案する現場に立ち会わせ、何かしらの形で発言させることでした。

関連の窓口を探し出し、彼らの口から発言させる状況を演出することで、例え、事前にシナリオがあってそれを喋っているだけの形であっても、その経験はのちに自分の活動に活かされてきます。

少し見方を変えれば、そんな経験があったればこそ、他者が発言するプランの重要性や欠点を鋭く指摘でき、次に起こりうるであろう、問題点やクレームにどのように対応してよいか独自に考え始めることが出来るのです。

例えば、あなたのまわりでも、よくいるのではないでしょうか?

色々な要望や不平不満を語ることはあっても、実際にそうした状況を打開すべく動き出してみると何処かに隠れてしまう人。

そんな人に限って、そうした人たちが踏み出した貴重な一歩を上の方から見下ろすように批評して「すばらしい」とか「だめだ」とかもっともらしく先生面をしている。

そんでもって、あれやこれやと人の活動(言葉)を引っ張りだし、自分の言葉を語らない。

もっともたちの悪いのは、それをすばらしいと思っている人で、そんな様子を見ていると呆れてため息が出るばかりです。

だけど、今回、各務原とか岐阜とかで運営で頑張ってくれた人たちは、これから先、どんどん変化してくると思います。

どのような変化を遂げるか楽しみです。

そして、僕は僕で非難するよりも非難されるリスクを楽しみながら、芸術表現を展開させてみたいと思います。