水面の風景プラン

目標は金閣寺の池での制作。今はその為の実績づくりで頑張っています。by 平間雅己

ちらほらと。。。

2008-01-12 20:34:22 | 制作理念
石材に色を塗るようになってから、素材の質感について見方が変わったかな。

僕自身が素材を観て触れて、どう感じているか。そのことについて考えるようになった気がします。



美術系の学校を受験する為に多くの人が受験用のデッサンとかの練習をするのですが、誰が観ても識別できるように質感を描き分けろと指導されます。

石は石に、木は木に。。。ということなんですが、そこが落とし穴でね。

石は石、木は木。という凝り固まったものの見方をしてしまう。

受験用のデッサンで描き分けが出来てしまうと、それだけで満足してしまうし、逆に描き分けが出来ないと、出来ないから素材について理解できていないと思い込んでしまう。

モノを観ると言う眼差しすら曇らせ多くの人がそのジレンマから抜け出すのに時間を費やされている。

また、ジレンマから抜け出せないまま教育の場にたってしまう事もあり、気付かぬままデッサンを教えていたりしている事も結構多いみたい。

酷い所では、大手予備校なんかを見学させてもらった事もあるけど、講師が受講生に木炭デッサンを描かせて
「デッサンが狂っている。こんな物の書き分けも出来なくてどうする。楽しんでデッサンを描こうなどとは10年早い、大学に受かってから何時でもかけるだろう」
などと暴言を吐いてましたね。

受験生と言えば10代から20代への変わりめの人がほとんど。

人生で一番情熱と感性がそのまま実行力に直結している年頃の子たちを無理矢理押さえつけるような事をしていて何が独自性と感性なんだと思いましたよ。仮にそんな子達が世の中に巣立ったとしてもまともに制作なんか出来なくなっていますよ。

悲観的で、批判的で、自信がなくて、まわりが気になって。。。

もしくは

俺はデッサンも描けるし、有名大学に合格できたからお前らとは違う。などと思ってしまって逆に下手な作品は見せられないなんて思うようになり独自性を失ってゆく。
最悪な場合には、比較的評価のある流行の作品や芸術論にあやかって制作してしまい、そこが弱みになり批判される事を極度に恐れ、利権を握り文句を言わせないようにする権力志向になってゆく。。。。

(駄目だこりゃw)

そんなんよりも、以前、作家の海老塚耕一さんが「俺だって焼き鳥のオヤジをしながら制作していたんだ。。。」などと語ってくれたその言葉の方がどれだけ有り難かったか。

若者ゆえの不安に苦悩しながらも頑張りつづけてゆける人材を育てていると感じましたね。