昨日(6月30日)は多くの神社で大祓(茅の輪くぐり)の行事が執り行われました。私は初亀醸造の橋本社長のご案内で、岡部町にある神(みわ)神社の大祓に参加し、『吟醸王国しずおか』の映像に収めさせてもらいました。
輪くぐりさんとして昔から親しまれるこの行事は、一年の半分が過ぎる6月30日と、年末の12月30日に行われ、半年を息災で過ごせたことの感謝と、あと半年を無事に過ごせますように、との祈りを捧げます。
神神社の三輪宣明宮司に、輪をくぐる由来をうかがったところ、古事記に登場する備後(広島)の風土記に、スサノオノミコトが貧しい身なりである村の兄弟の家に一夜の宿を借りようとしたところ、裕福な兄の家では追い払われ、質素な弟の家ではもてなされた。スサノオノミコトは弟に正体を明かし、「まもなくこの地に災害をもたらすが、お前の一族だけは助けてやるから、腰に小さな茅の輪を下げておけ」と伝え、そのとおりになったというお話を紹介してくれました。その後、禍避けに小さな茅の輪を持つのが一般化し、今のような大きな輪になったのは、昭和に入ってから。大きな戦争が続いて、大きな輪をみんなで共有し、国の禍を祓おうというわけです。三輪宮司は、「日本人は、身体の穢れは医者のもとで祓い、心の穢れは神社で祓ってきたのです」と分かりやすく解説してくれました。
なぜ神神社を映画で取り上げるかといえば、4月20日のブログ「酒蔵の守護神」でも紹介したとおり、酒林(杉玉)発祥といわれ、酒造との縁も深い奈良・大神神社の分霊社だから。志太のこの地に大神神社の分霊が祀られたのは、高草山が大神神社のご神体である三輪山に似ているとか、同じ三輪という地名だった等の理由だそうですが、志太地域に現在もこれだけ酒蔵が残り、しかも全国に誇れる銘醸蔵に発展したというのは、なにか、人智を超えた力がこの地に宿っていたから、という気もするのです。神神社におでましになった神様は、人一倍お酒がお好きだったのではないかと想像してしまいます…。
和歌森太郎氏の著書『酒が語る日本史』に、なるほどと思う一節があります。
「日本人にとって、神には荒ぶる神と、平和な幸福を保証するニギミタマの神との二通りがあったとされる。しかし、人間が最初に意識したものは、災厄をもたらすおそろしいものとしての神であった。(中略)酒をこれに供するのは、荒神をいわば調伏する手段であったのではなかろうか」
「今だって、五分五分に対等で話し合うには厄介な相手に、酒を飲ませ、酔わせてかれの人間的レベルを下げることにより、気軽に語り合えるようにしようとする。それがまた、人間相互に親近感を濃くさせることでもあるから、平素とくにおそろしい相手だとは思わぬ友とも、酒を媒介にして、いっそうの親密化を期待する。遠い古代の場合、神を相手に、神を供するさいの意識がそういうものだったといってよい」
「お神酒が荒神にたいしても和神にたいしても、ともかくその強い威力を鎮め和らげつつ、人間にぐんとひきつけるものであったところから、祭りは、神と人とが酒をくみかわし仲良くする形で行われた。それはじつは、祭りに参加した人びと相互の相睦び相親しむ機会であった。祭りは酒を介することで、祭る仲間たちの協同結束をはかる機会であったわけである」
また、今、読んでいる上田正昭氏(京大名誉教授・高麗美術館長)の『日本人のこころ』には、こうあります。
「日本の神には自然の力を畏敬した霊威神もありましたし、職業にともなう職能神としての祖神(おやがみ)もありました。怨霊神もありますし、他界・他郷から来訪する客神(まろうどがみ)もありましたし、海外からの渡来神もありました。(中略)このような日本のカミの多様性は、鳥獣や木草、海や山などすべてのものにカミをみいだし、「カシコキ」人間もまた神になりうるとする万有生命信仰を背景にしていました。とかく排他的になりやすい一神教よりも、そしてまた一人一宗の信仰よりも、一人多宗の万有生命信仰のほうが、はるかに21世紀の人類の課題にふさわしい信仰といえましょう」
「きびしい自然の中ではぐくまれた一神教では、カミとの契約に基づく対決型の信仰になります。しかし、山と森林と河川と盆地・平野、そして周りを海に囲まれている日本の信仰では、自然との対決よりも、自然に順応し調和する信仰をそだててきました。日本でも権力者による宗教の弾圧はありましたが、宗論はあっても宗教間の宗教戦争はありませんでした」
静岡県、とりわけ志太地域は、上田先生のおっしゃるとおり、万有生命信仰を育てるにふさわしい地形を持ち、災厄や紛争があったとしても、柔軟に折り合いをつける見識が住民にはあった。そこには、神様とさえ、うまく折り合いをつける手段として〈酒〉が機能したと思います。
青島酒造の青島孝さんが家業に戻ったばかりの頃、自分の夢を「酒で世界を平和にし、人々を幸福にしたい」とぶちまけ、「これだけデカイことを言わないと、自分のモチベーションを高められないんだなぁ」と感じたことがありましたが、今思えば、大げさでもなんでもなく、彼は、酒の本質と酒造家の使命を見事に言い当てていたわけです。
お祓いの後、参拝者一人ひとりにお神酒がふるまわれ、美しい光景だなぁと素直に感動しました。相手が神様であろうと、にがみあっている隣人であろうと、“手を打つ”“折り合いをつける”媒介として、古来から重宝されてきた日本酒。その存在価値がヴィジュアル的にも伝わってきます。
私も手を合わせ、「日本人がアルコールを飲むとき、一番美しく、一番日本人らしく見えるのが日本酒である…そんなメッセージを、この映画で表現できますように」と強く願いました。