杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

クライマーズハイを観て

2008-07-17 19:50:45 | 映画

 昨日(16日)は夜、静岡コピーライターズクラブの広告セミナーで、電通のヒットプランナーさんの作品と制作裏話を聞きました。

 コピーライターでもフリーライターでも、職業ライターが食べていけるのは、メディアに広告費を出すスポンサーあってのこと。広告プランナーは、スポンサーが売り込みたい情報を、消費者が知りたい・聞きたい情報に“変換”する機能が求められます。

 テレビCMの場合、1日に3000本も流されていますが、消費者に「パッと思い浮かぶCMは?」と聞いても3~4本しか上がってこないそうです。変換どころか、記憶に留めてもらうだけでも大変なこと。もちろん記憶に残る・残らないは、そのCMの放送回数や放送時間帯にもよりますが、視聴者に好印象を持ってもらわねば意味がありません。

 また、プランナーの変換手法が生かされるのも、スポンサーの理解なくては始まりません。CMづくりは、クリエーターとスポンサーががっぷり四つを組む共同作業なんですね。

 

 

 

 今日(17日)は昼間、時間が空いたので、映画『クライマーズ・ハイ』を観に行きました。すでにご覧になった方も多いと思いますが、1985年の日航機墜落事故を追った地元新聞社の1週間を描いた作品。登場する新聞社は架空のものですが、実話がベースになっているだけに、テンポも迫力もあって、ぐいぐい引き込まれました。

 ところどころ、山登りシーンが挟まって、流れが途切れてしまうのが気になりましたが、新聞社の編集局内の描写や登場する記者たちのたたずまいはホントにリアル! 中村育二、蛍雪次朗、でんでん、田口トモロヲなんかは、ホントに新聞社にいそうな顔だもの(堤真一や堺雅人みたいなイケメンは、さすがになかなかいないなぁ・・・)。地方新聞の記者と中央のエリート記者たちとの“格差”とか、局内の男同士の嫉妬心やライバル心、結束力なども、ふだん見聞きする話そのものです。

 地方新聞が中央には追えないもの・書けないものとは何か、地元読者から何を求められているのかを突き詰めようとするところなどは、地方で執筆活動をする身として、大いに共感!。さすが、原作者が実際の群馬・上毛新聞出身だけあります。

 

 一番印象に残ったのは、編集局と営業局の対立シーンです。

 どんな悲惨な事故を伝える紙面でも、広告がなければ新聞は成り立ちません。「編集局の奴らは、自分らが社を背負ってるみたいな顔をしてるが、俺たちが広告を必死に集めているから発行できるんだ」という趣旨の言葉は、私も直接、新聞社やテレビ局の営業担当から聞いたことがあります。

 映画の中の営業局のポスはヤクザの親分みたいなキャラで描かれていましたが、彼が「真っ白な紙面でも俺たちは売ってやるぜ」と睨みをきかせ、堤真一が「商品(=紙面)がよくなきゃ広告は集まらねえだろう」と言い返すシーンなどは、そうか、新聞もスポンサーに支えられた民間企業の商品なんだ、と改めて思い知らされます。

 

 テレビCMの場合は、動くおカネもパンパじゃないので、スポンサーは、CMの内容はもちろん、CMを提供する番組の内容にも過敏に反応するようです。番組制作サイドからすれば、スポンサーはカネは出してもクチ出すな、と言いたいところですが、民放はやはりスポンサーあっての民間企業。スポンサーの意向と制作サイドの調整役を果たす人もちゃんといます。

 

 

 一方、新聞や雑誌などの活字媒体は、地方の場合、とくに、そういう調整役がうまく機能しているという例をあまり聞きません。調整が必要なほどキワどい内容や物議を醸すようなものをあえて表現するような記者やクリエーターは、地方にはいない、ということかもしれません。

 

 

 

 そんな地方メディアのゆる~い空気の中に、いきなり、メガトン級の飛行機事故が降って起きたのです。記者には記者本来のスキルが問われ、営業には事の大きさが判断できず、従来通りのやり方を押し通そうとする。調整役がいない社内はあちこちで衝突や混乱を起こします。・・・新聞社が舞台ならば、このあたりをもっとていねいに描いてほしかったと個人的には思います。

 

 いずれにしても、表現者が表現活動を続けられるのは、表現する場を与えてくれるスポンサーがあってのこと。スポンサーが自分のネームバリューを高めるにはすぐれた変換者・表現者が必要だということ。この2つの鉄則だけは、テレビも新聞も雑誌も変わりありません。

 

 

 映画作りを始めてから、私は初めて、自分に表現の場を与えてくれる人を、自分で開拓・獲得しなければならない立場に身を置いています。すぐれた表現とは、その場を与える人と生かす人の共同作業の賜物である・・・との思いをかみしめた2日間でした。