杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

二千年間の小さな革命

2008-07-02 10:19:44 | 吟醸王国しずおか

 一昨日(6月30日)は、朝一番で杉井酒造の山田錦米粉焼酎の搾り作業、昼は青島酒造の松下米田んぼの草取り作業、そして夕方から初亀醸造の橋本社長と神神社大祓いの撮影と、丸一日、志太地域を走り回っていました。

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 今までは酒造りの場面しか見ていなかった蔵元を、仕込みのないこういう時期にも時間をかけてウォッチングしていると、その蔵元の個性や素顔が見えてきて、当初描いていたシナリオとは違う新しいストーリーが次々に湧いてきます。『朝鮮通信使』のような歴史モノならまだしも、今回は撮るほうも撮られるほうも毎日の生活がある人間同士。昨日とは違う、一ヶ月前とは違う、半年前とは違う表情や考え方になることもあります。毎年同じ酒造りをしているようにみえても、生きている人間がやることですから、違いが生じて当然です。

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 酒造りが2000年前から連綿と続いているのは、基本構造は同じでも、造る人間がその時代の環境に応じて細かな改革・変革を加えてきたからでしょう。過去のやり方に固執したり、新しいやり方に一気に変えようとして失敗した例もたくさんあります。

 

 静岡県の蔵元が、ここ四半世紀のスパンで吟醸王国になった過程というのは、酒造り2000年の歴史から見たら、ほんの小さな革命かもしれません。一人の蔵元の現役寿命が30年としたら、25年の小さな革命の内部でも、初期から参加した蔵元と中期・後期から参加した蔵元では意識は違います。

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 私が今、目の当たりにしているのは、そんな、小さな革命の内部の認識の違い。初期の蔵では後継者問題を抱え、中期の蔵では静岡型革命と他県型革命の比較に揺れ、後期の蔵は後発組の壁に当たる・・・。次元はまったく違いますが、歴史好きの眼から見ると、幕末維新の30年ぐらいの間、幕府内で、あるいは薩摩や長州の内部で、こういう認識の違いは多々あっただろうし、生身の人間同士、その場その場で判断が変わることもあったでしょう。最初から革命の確かなビジョンを持って教科書どおりに行動した人間なんていなかったはず。

 

 杉井さんは、静岡型吟醸革命を経験した上で、あえて100年前の生酛造りや焼酎造りに挑んでいます。青島さんは、静岡型吟醸革命の核心を堅持する道を選び、同時に酒造りの原点を米作りに見出しています。橋本さんは革命の必要性を早くから実感し、静岡型吟醸革命の初期にかかわってきたと同時に、地元の行事に積極的に参加して地酒の存在価値をアピールしています。

 

 静岡の吟醸革命が、各蔵元の生き方をどう変え、どこに進もうとしているのか、結論の記された教科書があるわけではありません。

 

 それでも、この小さな革命の内部で懸命にもがき、生きようとする人間の営みの連続が、酒造りという伝統をこの先も継続させるはず…。視聴者にそんな実感を持ってもらえるようなドキュメンタリーにしたいと思っています。

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 30日は偶然にも、松下明弘さんと知己のある金両基先生が、撮影現場にやってきました。先生は松下さんや青島さんのモノづくりに対する真摯な姿勢をいたく気に入ったようで、田んぼのあぜ道で立ち話が延々と続き、「いいかげんに撮影したいんですけど(怒)」とこちらがツッコミを入れるまで会話が止まりません。

 何事にも好奇心を持ち、フィールドワークをモットーとする金先生から見たら、その場で泥の中から豊年エビやタニシをすくって見せる松下さんは、興味が尽きない対象だったようです。

 

 金先生のような知の匠が、酒造り・米作りに関心の眼を向けてくださるとしたら、どんなに心強いことでしょう。映画づくりを批判したり根拠を示さないマイナス情報を与える人がいても、こういう不思議な偶然・出会いがあるから救われます。

 酒造り2000年の伝統。本当に、教科書どおりに一筋縄ではいかないからこそ継続しているんだなぁ。