私は大学時代、東洋美術史(仏教美術)を専攻していたので、京都や奈良へは仏像や寺院建築や日本画を観に行く機会が多いのですが、都として繁栄していた時代背景のせいでしょうね、奈良は天平以来の仏像に目を見張るものが多く、京都は中世・室町以降の庭園の美に惹かれます。24日(木)に受講した佛教大学四条センターの講座「庭園の美~枯山水の精神性」の講師・作庭家重森千靑氏のお話で、そのことを再確認しました。
枯山水庭園というと、禅寺の石庭に代表されるような、石や砂だけで表現された抽象的なデザインを想起しますよね。意味はというと、仏教的な解釈や精神論を聞かされることが多く、しばらく座ってじっと眺めていると、なんとなく禅の心が解ったような気分になります。そんな面持ちの若者や外国人、よく見かけますし、私も20代のころは、枯山水庭園ばかり巡って禅の気分に浸って満足してた時期がありました。
枯山水という手法は、禅宗が広まるはるか前の、平安後期に書かれた世界最古の庭造りマニュアル『作庭記』に登場します。重森氏によると、水のないところにわざわざ石を組んで蓬莱神仙の世界を表現する枯山水的な意匠は、飛鳥期の滋賀県園城寺や平城京東院庭園に早くも見られるそうです。
仏教の広がりとともに、より精神性の高い枯山水的意匠が発展しましたが、実際のところ、精神論だけで片付く話ではなく、寺にとって、植栽や排水工事が必要な池泉庭園を造るのは莫大な経費。とりわけ、応仁の乱の後は、多くの寺院が本堂など重要な箇所の再建を優先し、庭造りまで手が回らなかったというのが実情で、池泉庭園よりもはるかにコスト安で短期間にできる枯山水庭園が受け入れられたわけです。
寺側にしてみたら、池泉の持つ自然美を何とか甦らせたい、カネがないからといって貧弱な庭にはしたくないというのが本音でしょう。一方、作庭家にとって、限られた条件のもと、高度な抽象性と具象性を凝縮する作業は、キツイ反面、やりがいもあったと思います。
戦争というのは、すべてをぶち壊す一方で、焦土から立ち上がろうとする人間のとんでもない創造力や生産力を引き出す原動力になるんですね。もちろん戦争を肯定するつもりはありませんが、現代でも、軍事用に開発されたインターネットが世界を一変させたように、ある種の危機感というものが人の能力を進化させるという側面は確かにあります。そして、表現活動をしている者には、人には手の届かない、実際には見ることのできないものを創造し、表現したいという強烈な欲求があります。映像における高度なバーチャル表現はその典型です。
重森氏によると、日本の作庭家は、自然の豊かな風景観を表現するだけでなく、自然の形態を保ちながらも、日本にはない、中国大陸にあるような山紫水明の縮景を加え、実際にはあり得ない超自然的な景観も表現しているといいます。
これは、室町期に全盛を迎えた水墨山水画の影響や、大陸に渡った僧たちの見聞録が加味された結果。たとえば京都を代表する枯山水庭園として名高い大徳寺大仙院庭園は、雪舟の四季山水図の構図によく似ています。作庭家が、優れた水墨画の二次元空間を、大地に庭として三次元表現したくなる気持ち、解りますよね。
特定の人しか大陸に渡ることができなかった時代、憧れの自然風景観を立体的に創り出し、その空間を実感として味わいたいという強烈な欲求・・・今ならさしずめ、宇宙旅行をバーチャルでも体験したいという欲求に近いでしょうか。
寺側の思惑は別として、現場の作庭家が、「絵の中でしかお目にかかれない風景を見せたい」「水墨画の世界をどれだけカタチにできるか挑戦したい」と願っていたかもしれない、と想像すると、枯山水という表現が実に人間的でクリエイティブな表現に思えてきます。
凡人が、石と砂だけの庭をアタマで解釈しようとしても、なんちゃって禅の気分で終わるのが関の山。今の私には、作庭家の表現活動として観るほうがすんなり入って行けそうです。それは、私が今、酒のドキュメンタリー作りを通して「多くの人が見たことのないものを見せたい、伝えたい、どこまで見せられるか挑戦したい」と強く願っているせいかもしれませんが…。