杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

新静岡からCHANGE!

2009-09-15 10:14:04 | 映画

 昨日(14日)は(社)静岡県ニュービジネス協議会中部部会の定例サロンで、静岡鉄道㈱の今田智久専務に新静岡のリニューアル計画についてうかがいました。静岡市民にとってひときわ馴染み深かった「センター」が、Imgp1372 どんなふうに甦るのか、一市民として大変興味深く聞き入りました。

 

 まずスケジュールですが、2009年1月に惜しまれつつ閉店した後、建物の解体工事が始まり、11月末には地上部分の解体作業が完了。新しいビルの建設工事がスタートします。12月にはテナント出店希望者への説明会も行われるようです。新装オープンは2011年秋の予定です。

 

 

 どんな建物になるのか、昨日はパース画と図面による机上の説明だったので、頭で想像するしかなかったのですが、印象を一言でいえば、歩きやすい、風通しのよさそうなターミナルビル。

 今までのセンターは、鷹匠町側と伝馬町側をさえぎっていて、いったん地下にもぐらないと向こう側には行けないし、電車やバスにも乗れませんでしたが、新しいセンターは中央に地上コンコースをもうけて鷹匠町と伝馬町をつなげます。バスターミナルも鉄道駅も、1階からすんなり乗れるようになるそうです。

 

 

 建物は地下1階地上11階。地上5階までがショッピングゾーンで、6~8階が560台収容(静岡市街地では最大)の駐車場。9階にシネマコンプレックスが入る予定です。駐車場は建物の周囲をグルッとスロープ状に上がる(郊外の大型ショッピングセンターの立体駐車場みたいな)しくみになります。

 

 

 シネコンに関しては、七間町の映画館通りが衰退してしまうと商店主たちが反対運動を起こしているみたいですね。…気持ちはよく解ります。

 私自身は、観たい映画は、雰囲気のある居心地のいい劇場で観たいので、今の七間町映画館群や静岡駅前のシネギャラリーには少なからず不満があって、もっともっと劇場施設としてのクオリティを高めてほしいとかねがね思っています。七間町の映画館が、わざわざ足を伸ばしたくなるような魅力的な劇場に甦って、どのシネコンでもかかっているような流行りの商業映画ばかりじゃなくて、映画通が好む作品や懐かしの名画をかけてくれるといいなぁ。映像クリエーターを育てるインキュベート施設や、映画の博物館みたいな施設も作って、七間町一帯を映像文化村にするぐらいの戦略を持ってほしい。ただ反対運動をするだけじゃ、シネコンには対抗できないと思うんですが・・・。

 

 

 話は逸れました。

 静岡鉄道の考え方としては、センターに客を一極集中させるのではなく、通り抜けや回遊がしやすいよう、歩道をたっぷりとって、静岡駅から伝馬町~鷹匠町一帯のにぎわいを創出するようです。バス停も、電々ビル前とペガサート前にも設けて人の流れを分散させる。市街地でのこれだけ大きな再開発ですから、市の都市計画や県警交通局との調整もいろいろ大変なようですが、街ブラが楽しくなるようなゾーニングをお願いしたいですね!

 

 

 参加者からは「市外県外から来る者には、JR静岡駅から新静岡駅までがわかりにくい。地下道でつなげてほしい」「静岡は地下水が豊富で水がおいしい街。街中に小さな水路や親水スポットがあるといい」等の提案がよせられました。静岡鉄道一社で解決できる問題でなくても、こういうCHANGEをきっかけに、市民に、自分の街をこうあってほしい、こう変わってほしいと真剣かつ具体的に考える機会が得られるというのは、とても大切なことだと思いました。


ニュービジネスに田母神さん!

2009-09-13 17:58:31 | 国際・政治

Imgp1350  11日(金)~12日(土)と水戸市で開催された『関東圏ニュービジネス協議会会員交流会』に参加しました。ニュービジネス協議会という団体は関東地区に11団体あって、経産省管轄の組織なので静岡県ニュービジネス協議会も関東圏に含まれます。

 静岡からは、鴇田勝彦会長(TOKAI副社長)、秋山雅弘副会長(アルモニコス社長)、西村晴道中部部会長(西村建築設計事務所社長)、西村寿子さん(同専務)、末永和代専務理事と事務局の渡邊さん、そして私の計7名が代表で行ってきました。

 

 

 私はこの団体の広報誌を20年近く担当していて、全国で開かれる交流会やシンポジウムも数多く出席しましたが、基調講演の講師を務めるのは話題の企業の社長さんとか経済評論家や学者の方など、経済畑の専門家がほとんどでした。

 Imgp1355 ところが今回の講師は、あの、防衛省前航空幕僚長の田母神俊雄さん。この人とニュービジネスに何の関連があるのかピンと来ませんが、幕僚長を更迭され、退官した後、テレビのコメンテーターや講演会で引っ張りだこになり、著書も多数出版して話題になっているところを見ると、この人の思想や発言に共感する国民も少なくないんですよね。主催者の「政権交代というこの歴史的転換期に、日本という国を見つめ直す意味で傾聴に値する方」という紹介に、なるほどと思いました。

 

 

 約1時間半の講演で、日本とアジアを取り巻く近現代史のポイントを、年代や人名も的確に、ものすごい記憶力で理路整然と語る田母神さん。…下手な大学教授や歴史家の講義よりずっと聴きやすく、講演で食べていけるだけのスキルを持った人なんだ…!というのが第一印象でした。史料をよく読んで分析し、本や論文をご自分できちんと書いている証拠ですね。

 

 

 歴史好きといっても私の場合、明治以降の近現代史は教科書程度の知識しかなく、テレビや映画などの映像作品から受けるイメージに洗脳されている部分もあります。とくに日本の軍部が暴走し、中国や朝鮮半島やアジア諸国を侵略し、植民地にして乱暴狼藉を働いて、欧米から“懲らしめられた”という構図を教え込まれたこと。自分がもし子どもに歴史を教える教師の立場だったらやりにくいだろうとつくづく思います…。

 それでも、この年齢になって歴史の見方に多少の幅が持てるようになり、メディアの情報が“都合よく加工されている”現場を知ったりすると、あぁ、今までの報道や教育って、100%鵜呑みにしていいんだろうかと考えさせられます。

 

 

 田母神さんのお話で印象に残ったのは―

 19~20世紀にかけ、西欧列強が弱小国に行った植民地政策と、日本がアジアでとった植民地政策は違っていて、たとえば帝国大学は、東京・京都・東北・九州・北海道・京城(ソウル)・台北・大阪・名古屋の順に設立した。大阪や名古屋よりも早く、ソウルと台北に高等教育機関を設けていたなんて知りませんでした。

 

 

 朝鮮人も日本の士官学校に入り、日本軍の幹部となり、中には天皇から勲章を与えられた者もいた。朝鮮王族は日本の宮家から妻をめとった。中国清王朝のラストエンペラー溥儀の弟も確か日本の皇女を迎えたんですよね。相手国の王家の血筋というものを、それなりに尊重し、教育をほどこし、投資もしようとしていた。占領政策の一環とはいえ、イギリス、フランス、ロシアあたりの政策とは違うわけです。イギリス王室が王女をインドに嫁がせるなんてあり得ないでしょう。

 

 

 第2次大戦が終結し、アメリカ占領軍は民間検閲局というところで6500人のスタッフを使って、日本のメディア統制を図った。新聞社や出版社に「あの戦争はやむを得なかった」とか「東京大空襲や広島長崎の原爆投下はあきらかに民間人の犠牲を承知していた作戦で国際法違反である」とか「戦勝国が一方的に裁く東京裁判も国際法に違反している」なんて書かせないためで、6500人中5100人が日本人のアルバイトだった。彼らは、日本の銀行の頭取が年収2万円ぐらいだった時代、3万円もの高賃金で雇われていて、自分の仕事のことを一切口外しない条件だった。朝日新聞が鳩山一郎氏の「東京大空襲と原爆投下は国際法違反」の発言を記事にしたときは、2日間発行停止処分を受けた…。

 

 日本人が自虐的になってしまうのは、戦争を自らの手で総括できない状態に置かれた、こんなペン狩りみたいな時代があったせいかも…。ライターなのにこういう史実を知らずにいたことを少し恥ずかしく思いました。

 

 

 1時間半、息もつかせぬ勢いで、次々と近現代史の知られざるエピソードを語りつくした田母神さんですが、どうとらえるかは人によって違うと思います。講演終了後には「思いっきり右翼の話だったよなぁ」と感想を漏らす参加者もいました。

 今の私には田母神さんのお話を客観的に分析判断するスキルがないので、この日の話も“鵜呑みにせず”、とりあえずは関係史書をいろいろと読んで比較してから、自分なりの解釈をしてみたいと思います。

 ニュービジネスとは、やっぱりあんまり関係なかったかもしれませんが、知的刺激を大いに受けた講演会でした。

 

 

Imgp1357  この後、分科会で、2010年3月に開港する茨城空港の概要を聞きました。航空自衛隊百里基地の民間活用で、羽田と成田の補完的空港という性格上、静岡空港とはあまり比較にならない話でしたが、決まっている就航路線がアシアナ航空のソウル路線と聞いて、日本の地方空港を一つ一つ攻めていく韓国の航空政策のしたたかさを改めて実感しました。

 

 末永専務から「静岡空港のことについて聞かれたら静岡代表できちんと報告して。真弓さん、空港は取材でいろいろ知っているでしょ」と言われ、ドギマギしましたが、茨城県の空港担当者とJTB水戸支店長のプレゼンで時間オーバーしてしまい、発言時間なし。少しは静岡空港の宣伝もしてやろうと思ったのに肩透かしで終わってしまいました…(苦笑)。


生酛造りの生酛的撮影

2009-09-11 07:15:23 | 吟醸王国しずおか

 昨日(10日)は久しぶりに『吟醸王国しずおか』の撮影。藤枝市の杉井酒造で、早くも山廃本醸造の酒母(酛=もと)造りが始まったのです。

 

 

 杉井酒造では社長の杉井均乃介さんが杜氏を務めるようになってから、自分の右腕となってくれる職人を正社員としてきちんと雇用し、育てようという観点から、年間を通して仕込み蔵の稼働率を上げ、雇用を守る体制をとっています。南部杜氏がいたころは杜氏が蔵入りする10月中旬から本格的に稼働していた蔵も、今では夏場に焼酎やみりん造りで、日本酒醸造も9月から始まり、ほぼ一年間フル稼働するようになりました。

 

 

Dsc_0006  今年は95日に酛造り1本目がスタートし、今日で2本目。昔ながらの生酛(きもと)系の酒母造りは、乳酸菌を自然発酵させるため、完成まで約1か月要します。

 この酒母は、10月初旬に完成し、もろみに仕込みます。上槽(搾り)するのは11月中旬。既製の乳酸菌を添加する一般的な速醸(そくじょう)系の酒よりも、1ヶ月近く余分にかかる計算です。その、余分にかかる1ヶ月分の作業を前倒しして9月に持ってきたというわけ。生酛系の酒が全体の8割以上を占める杉井酒造では、9月に生酛・山廃酛を集中して造り、作業の効率化を図っています。

 

 

 「ちょっと前まで、10月から酒造りを始めると聞いただけで“まだ暑いのに大変だろうなぁ”と人ごとみたいに思っていました」と笑う杉井さん。酒母室を冷蔵化したり製氷機を導入したおかげで、生酛系の作業に必要な8℃前後の環境を9月でも設定できるようになりました。もともと温暖で冬場もそんなに気温が下がらない静岡では、酒の高品質化には必要不可欠との判断でいち早く冷蔵設備を導入し、結果として良質の吟醸酒を安定生産できるようになったわけですが、吟醸酒だけでなく、杉井さんのようにひと昔前の生酛系の酒にも挑戦する蔵元に、それを主力にする自信をもたらしたのです。

 

 今は、10月~11月でも、20℃を越える日が珍しくなくなってきています。地球温暖化は、酒造りにも大きな影響を与えているようです。もともと温かい静岡は、その点、危機管理が早かった、ともいえますね。

 

 

 

 

Dsc_0020  ひと昔の前の、生酛や山廃酛の造り方は、ベテランの杜氏や醸造研究所の専門家でも慣れた人はいません。指導してくれる人がいない状態で、杉井さんは、教科書を見ながらあれこれ試行錯誤したそうです。私もさっそく家に帰って、日本醸造協会発行の『酒造講本』をひもといてみました。速醸系(普通速醸酛)は仕込み温度は20℃で、日数は1216日。使う水は米100kgに対して105115?と若干多めです。一方、生酛系は仕込み温度8℃で、日数は2530日、水は95105?と若干少なめ。温度を8℃にしなければならないので氷水を使います。

 

 

 生酛系の大きな特徴は、蒸米・麹・水を半切り(小型の桶)に入れて、数時間おきに櫂で摺りつぶしながら自然に乳酸を生成させます。この櫂入れ作業がかなりの重労働で、昔は“酛摺り唄”を歌いながら時間とリズムをとっていました。

 

 

 

 「生酛系が一般的だった明治時代までは、米の精米歩合が90%ぐらいだったから、よく摺らないと米が糖化せず、乳酸もできない。半切りをいくつも並べ、少量ずつ小分けにし、早く摺れるようにしたそうです。今は米も70%以下まで磨くので、昔ほどムキになって櫂を入れる必要はなくなったようですよ」と杉井さん。この日も半切り1個に全量を入れていました。

Dsc_0017  ・・・とはいえ、若い蔵人が2人がかりで必死になって櫂入れするのを見ていると、これを数時間おきにやるのはしんどいだろうなぁと思えてきます。「若い衆にまかせっきり」と涼しい顔をしていた杉井さんを、「映画では社長が主役なんだから」とせっついて、無理やり櫂入れをやってもらいました(ここだけヤラセです(笑))。ちなみに、このしんどい酛摺り作業を山卸しと言い、山廃(山卸し廃止)とはこの酛摺り作業を簡素化した造り方です。

 

 

 

 仕込んだばかりの酛を味見させてもらうと、ほんのり麹の甘みがします。隣の小さなタンクの、5日前に仕込んだ酛は、甘みと酸味が強くなっていました。…映像では味や香りが伝わりませんが、カメラマンの成岡さんと助手の鈴木さんは、酛の表情の微妙な違いをていねいに撮ることで、味や香りを想像させる画にしたいと、時間をかけて念入りに撮っていました。

 

Dsc_0015  

 

 

 

 以前、山本起也監督に、「酒は見た目はただの透明の水だからなぁ(=画にするのは難しい)」と言われたことをふと思い出しました。確かにグラスやぐい飲みに注がれた酒は、映像的には面白くも何ともないでしょう。

 

 

 

 しかし米の一粒一粒が、透明の液体に変わっていくまでの過程を、こうしてていねいに追って行くことで、映像から酒の味が伝わってくる、ただの液体じゃないんだと実感できる…そんな撮り方を目指そうと成岡さんは助手に言い聞かせていました。「ずいぶん手間をかけて撮るんですね」と様子うかがいしていた杉井さんも「なるほど」と納得したよう。

 『吟醸王国しずおか』の造り方は、まぎれもなく、速醸系ではなく生酛系だなと実感したのでした。


羽田エクセルホテル東急日本酒セミナーのご案内

2009-09-10 10:08:45 | 吟醸王国しずおか

 朝晩涼しくなってきました。・・・といっても今年はクーラーをかけることはほとんどなくて、エアコンもドライ設定で扇風機を回すぐらい。やっぱりいつもの夏より涼しかったと実感します。

 

 

 さて、東京での地酒まつりの興奮醒めやまぬところですが、引き続いて東京でのイベントのご案内です。

 かねてよりちょくちょくご紹介してきた東京のホテルでの『吟醸王国しずおかパイロット版』試写の内容が固まり、昨日より告知募集が解禁となりました。

 場所は羽田エクセルホテル東急。羽田空港第2ビルに直結し、2階のロビー&レストランダイニングからは飛行機のフライトがばっちり見える絶好のロケーションです。レストラン一角にあるミーティングルームで、映像の試写と、出演者のお一人・青島孝さん(「喜久醉」青島酒造蔵元杜氏)と私のトーク、特製の酒肴弁当と喜久醉ラインナップの試飲をお楽しみいただくという内容です。

 

 

 企画のきっかけは、すごく単純な話で、同ホテルの総支配人で浜松出身の吉岡慎一さんの「地酒好き」(笑)。東京の地酒専門店の地酒の会にちょくちょく通っておられて、そこで知り合ったdancyu編集長の里見美香さん(静岡市出身)と静岡県人同士で意気投合し、5月にSBSでオンエアされたテレビ版『しずおか吟醸物語』を、県人仲間と一緒に視聴してすっかり気に入ってくださって、ホテルでも映画制作を応援しようということになり、トントン拍子に話が進んだのでした。

 

 

 羽田空港の国際化を前に、空港直結のホテルとしても日本の伝統や魅力を発信する新しい企画を模索していて、その趣旨にちょうど合うからというお話でしたが、吉岡さんご自身が地酒ファンじゃなければ、たぶん実現できなかったと思います。

 

 静岡酒の首都圏での人気は、先の地酒まつりでも証明されたとおり、静岡の地元から見るよりはるかに大きいものですが、一般に誰でも知っている有名ブランドというわけではない静岡の酒と、素人の趣味の延長みたいに思われている映像で、はたしてお客さんが集まるものか、正直なところ不安はあります。吉岡さんもその点を考慮され、むやみやたらに集めようとせず、ターゲットを(日本酒好きの)空港関係者と地元住民に置いておられるようです。

 「羽田空港がある大田区は、もともと町工場が多い職人のまち。この映像は、モノづくりに人生を賭けている心ある職人さんたちに、ぜひ観てもらいたい」と。羽田の空港ホテルのお客さん、という漠然としたイメージしか持っていなかった私には、大田区の職人さんに見せたいという吉岡さんの発想がとても新鮮に映りました。

 

 とにもかくにも、富士山静岡空港ではほとんど相手にされない静岡の酒を、羽田空港で盛り上げてくれるという皮肉で?画期的な企画。平日の夜に羽田空港まで足を運んでくれる方がどれだけいるか不安には不安ですが、東京にこういう応援団がいるということだけでも、心強く思います。

 開催は10月8日(木)19時~21時、羽田エクセルホテル東急(羽田空港第2ビル隣接)です。関心のある方はぜひこちらを!


静岡県地酒まつり IN TOKYO 2009

2009-09-08 23:29:40 | 吟醸王国しずおか

 6日(日)は品川プリンスホテルアネックスタワー5階プリンスホールに、1000人を超えるファンを集め、静岡県地酒まつり IN TOKYO 2009が開かれまImgp1346 した。私は例年どおり下手な素人司会で進行のお手伝いをさせていただきました。まずはご来場のみなさま、21社の蔵元のみなさま、本当にありがとうございました&おつかれさまでした。

 

 

 今回の地酒まつり。12回目を迎えますが、10周年記念で2年前に東京国際フォーラムで1200人集めた時以来の巨大会場。毎年参加されるお客様には「広々ゆったりできる」「落ち着いて試飲できた」と大変好評でした。

 中には、わざわざ司会席まで来て、「こんな広い会場を借りるのは大変だったでしょう、でもおかげさまで本当にじっくり試飲出来た。いやぁ感謝しますよ」とお礼をおっしゃるお客様も。試飲を楽しみにいらした方々に喜んでいただけたのは、主催者の静岡県酒造組合静酉会も頑張った甲斐があったと思います。

 

 

 今回初めてインターネットでのチケット販売を試み、新しいお客様が3割ぐらい増えました。しかもすごく若返ったみたい。「若い女の子が増えたねぇ」と実行委員長の中村保雄さん(浜松酒造)も満足そうでした。

 

Imgp1344  一方で、この手の試飲イベントに初めて来られた方が試飲そっちのけで料理に行列を作ったり、料理がホテルの標準的な宴会料理だったので日本酒に合わないとクレームを言われる方がいたり、酒肴が少ないのを知っていた常連らしき方がつまみを持ち込んで、他のお客様がわざわざ「あれ、みっともないよね」「注意したら?」と言いに来てくれたりと、お客様が増えれば増えるだけ、いろいろな問題も生じました。

 

 まぁそれでも、酔っ払って体調を崩すお客様もなく、目立ったトラブルもなく、1000人強のお客様を、蔵元従業員とホテルスタッフだけでおもてなし出来たImgp1347 というのは、初めての会場にしては及第点だと思いました。

 

 「今、東京で一番チケットが取りにくい地酒イベントになったね」とか、「他県の酒造組合が、9月6日は静岡県とバッティングするから客が集まらないだろうと他の日に変えたそうだよ」なんて聞くと、我が事のように嬉しくなってしまいます。

 

 13時から16時の3時間、司会をしながら広い会場を走り回り、大勢のお客様のお褒めとクレームを交互に受けながら、隙を見てハンディカメラで会場を撮影。…おかげで終了後はドッと疲れてしまいました。顔見知りの方にも満足にごあいさつできず、失礼をしました。ホントにすみません。

 

 

 

 16時にお開きとなり、片付けを終えた後、10月8日に『吟醸王国しずおかパイロット版』の試写会を開いてくださる羽田エクセルホテル東急の吉岡さんと、トークゲストにお招き予定の喜久醉・青島孝さんで打ち合わせ。その後、青島さんと丸の内に移動して、コンラッド東京日本総料理長の斎藤章雄さんと久しぶりにご一緒しました。

 

 斎藤さんは、ホテルセンチュリー静岡料理長を務めておられた10数年前、取材でお会いして意気投合し、静岡酒をガンガンアピールして、喜久醉ファンに“洗脳”し、六本木ヒルズのグランドハイアット東京へ移られた後、「喜久醉を味わう夕べ」を企画していただいたことも。現在お勤めのコンラッド東京日本料理店「風花」では、開運、磯自慢、喜久醉を扱っていただいています。

 

Imgp1349  その斎藤さんが、このほど東京都から卓越技能者“東京マイスター”―通称・江戸の名工を授与され、6日にそのお祝いの会と重なってしまったため、終了後、お時間があったらお祝いを述べさせてくださいとお願いしてあったのです。別のお誘いがあった青島さんも、斎藤さんにお祝いをするならぜひ、と他をキャンセルしてお付き合いくださいました。

 

 

 結局、新幹線の最終1本前まで、日本料理や日本酒の技を伝える価値と難しさについて、3人で密度の濃い語り合いをし、「いずれ日本酒をきちんとした料理と一緒に味わえる店を自分で出したい」という斎藤さんの夢を肴に、大いに盛り上がりました。

 

 

 東京という情報過多の大消費市場の中にも、静岡の酒を通し、自分なりにいろんな夢や楽しみ方を持っておられる方が確実にいて、私のような小さな個人とも10年15年と切れることなくつながってくれる…。地酒まつりの会場が、いつもより大きく、密度が薄かっただけに、斎藤さん青島さんと過ごした狭くて濃密な時間が一層深く心に浸み入ってきました。