ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

奥の細道旅行譚(象潟)

2018年09月06日 | 旅行

久しぶりに奥の細道の旅に出ました。

芭蕉は酒田から北上して象潟に向かいます。

ご隠居は9時28分発とき313号で出発です。11時34分定刻に新潟着でした。

乗り継ぎに少し時間があるので新潟の街を1時間ばかりぶらぶらしました。

新潟駅前のメインストリート。新幹線の終着駅にしては迫力ありませんが現在新駅舎を建設中みたいです。

信濃川を見に萬代橋まで行ってみました。

途中、流作場五差路にレプリカがありました。

歴史ある萬代橋です。ゆうゆうと信濃川が流れていました。

さて12時32分発いなほ5号で秋田県へと向かいましょう。

先頭車両の1号車はグリーン車でお洒落です。もちろん見るだけ。お客は1人でした。

いなほは新潟駅から秋田駅間を約270km走ります。

厳密には新潟駅から新発田駅間(しばた)は白新線を走り、そこから羽越線を走行なります。

羽越線は新津駅から新発田駅に向かいます。

とにかく日本海に沿って走るので抜群の景色のよさです。

こういう景色のよい路線では駅弁を食べながらの旅がいいでしょう。

最近駅弁は値段ばかり高くなって材料もえびだ蟹だ、高級和牛だ、はい1500円なんて感じでちょっと嫌です。

駅構内のコンビニでおにぎり2個におーいお茶で十分だと思うことがあります。

しかしこの「新潟コシヒカリ弁当」は1000円でご飯も美味しくておかずも昔からの伝統の味で良かった。

とか言っているうちに海が見えてきました。

粟島でしょうか。

羽越線に平行して国道7号線が走っています。

次々と海の画面が変わって行きます。

酒田に近づくと鳥海山が見えてきました。晴れているので美しい姿です。山側の景色です。

15時11分やっと象潟駅に到着しました。

自宅を8時に出たので約7時間かかりました。(途中乗り継ぎ時間が1時間ありましたが)

新幹線、在来線の特急だけで普通列車は全く乗っていないのにこれですから日本も広いですね。

象潟駅です。

この写真は撮るのを忘れていて夕方撮影したものです。

いまは象潟はにかほ市になるんですね。鳥海山と芭蕉の町です。海も奇麗です。

秋田から見た鳥海山。

鳥海山の山頂が秋田県か山形県かで争いがあるそうです。

遠くの人にとってはどうでもいいような話です。

駅広場の北側に芭蕉文学碑がありました。

俳聖芭蕉は元禄2年6月16日九十九島八十八潟と称された絶勝の地象潟を訪れて・・・・

と説明文があります。

ねぶの花がまだ咲いていました。

芭蕉が来遊後115年後に大地震で湖底が隆起してその後水田になってしまいました。

それでは300年以上昔は景勝地だった場所を見て回りましょう。

しかし疲れたので次回です。

 

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僕の細道旅行譚(チャグチャグ馬コ)

2018年07月24日 | 旅行

今回の東北旅行も順序がいろいろ変えてありますが最後にチャグチャグ馬コのお祭りに出かけたで終わりにしたいと思います。

記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財。

残したい日本の音風景百選 6月第二土曜日に開催されます。

盛岡駅を6時40分からシャトルバスを満員になり次第順次運行。約30分乗車。無料です。

お祭りは滝沢市から盛岡市に向かいます。

チャグチャグ馬コの出発点、鬼越蒼前神社(おにこしそうぜんじんじゃ)です。

昔は日本全国で馬を大切に思う気持ちも深く馬の神様の信仰心も生まれたそうです。

こちらでは南部の曲り屋として大事にされました。(馬と人が一つ屋根の下に暮らすように造られた家)

鬼越蒼前神社の祭礼は旧暦5月5日に行われていたそうです。

田植え前の忙しい時期に当たっていましたが、この日だけは仕事を休み、神社の境内で1日を過ごすという風習が生れたそうです。

江戸時代初期に始まりましたが一時すたれ明治20年代に復活しました。

明治20年ごろに戦争(日清戦争、日露戦争)により軍馬の需要が伸びたことが大きな要因です。

当時のチャグチャグ馬コは1000頭ほどの馬が参拝したこともあったそうです。

太平洋戦争が始まると軍馬の需要はますます増えていきます。

すると強い馬はどんどん戦地に贈られます。

結局馬がいなくなりお祭りどころではなくなり戦時中暫くの間中止されていました。今はのんびりお母さんのおっぱい飲んでいられて幸せですね。

戦争が終わって人間は当然復員するわけですが馬は持っていけないのでイギリス軍にもらってほしいと交渉しましたがほとんどは処分されたみたいです。

別れる時に馬は頬に顔を摺り寄せたきて可哀相だったというのが何かに書いてありました。

今になれば人間は勝手などと言えますがその当時の敗戦の混乱の中でどうしようもできなかったのでしょう。戦争だけはやめましょう。

しかし昭和20年には復活しました。30頭ほどのパレードだったそうです。

でも偉いですね。戦争が終わって皆が人どころではない時代にもう祭りが始まる余裕です。

チャグチャグって何でしょうか。

チャグチャグ馬コに参加する馬は小荷駄馬装束という衣装をつけます。

これは参勤交代で荷物を運んだ馬部隊の装束に由来しています。

その装束のパーツに、ドーナツ型をした金属でできている鳴輪(なりわ)というものがあります。

(山を歩く時の熊や狼よけにつけられたもの)

さらには衣装には大小700個もの鈴がつけられます。

当然馬が歩みを進めるたびに鳴輪と鈴は音を奏でるわけでチャグチャグはその音を表わしたものです。

おやおやチャグチャグ犬コも参加です。

パレードが始まりました。滝沢市長さんとか誰かが言ってました。

始めて出かけたこともあり撮影ポイントがいろいろありそうですが今回はここで撤収です。

 

あとは観光協会で購入したプロの写真を一緒に見ましょう。

また来たいです。岩手山をバックに撮るのが良さそうです。

これで今回の東北地方太平洋岸の旅は終わりです。

当ブログでは酒田までの旅は終わっていますので日本海側は秋田県の象潟からです。

ただし毎日滅茶苦茶暑いので9月になってからぼちぼち始められればいいなと思っています。

とにかく暑いのでご自愛ください。

 

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僕の細道旅行譚(小岩井牧場)

2018年07月20日 | 旅行

盛岡駅より直行バスで約30分小岩井牧場にも足を延ばしてみました。

時間がなかったので足早に歩いてきました。この旅行記もちんたら書いていたら一か月以上になってしまいました。

早速中に入ってみましょう。

岩手山に少し雲がかかっていました。2038m。

でも牧場から見る岩手山は東北の名峰だなと思いました。

小岩井牧場は日本の鉄道の父と言われた井上勝、三菱を支えてきた小野義眞、そして三菱彌之助が協力して造りました。

小野、岩崎、井上の3人の名前から小岩井牧場となずけました。

三菱直系(キリンビール)の会社です。

ジンギスカン料理のある牧場館に行ってみました。

何はともあれ牧場に来たらジンギスカンに生ビールといったところでしょうか。

外で食べるのもいいですが中もきれいで落ち着きます。

広大な牧場を廻る無料ライナーです。

だって・・・・・。

上丸牛舎の方には資料館とかレンガサイロとか見学場所も多いようですがクマが出るようで歩いては行けず無料ライナーに乗らなければだめみたいです。

盛岡発の帰りのつばさの時間も迫っているのでこの辺で撤収です。

 

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僕の細道旅行譚(盛岡)

2018年07月13日 | 旅行

盛岡にやって来ました。

現在では東北本線の終着駅になっています。

この先、岩手県内はいわて銀河鉄道、青森県内は青い森鉄道と第三セクターになってしまいました。

岩手駅構内は新幹線も通っているのですごく賑やかです。

駅構内にあるさわや書店に目が行きました。

東京でもよくトピkkスなどでとりあげられていますが販売方法がユニークです。

POP広告での販売活動評価されています。

ある作品を特製カバーを付け中身を隠して「文庫X]として販売したり、もちろん地元作家の発掘にも力を入れています。

ご隠居も盛岡に出かけてくる前に柚木裕子さんの「盤上の向日葵」を読んできました。

柚木さんは釜石市出身、小学校時代は盛岡で過ごしたそうです。

今では将棋の世界は加藤一二三さんや藤井聡太さんで滅茶苦茶に注目を浴びていますね。

この本は2015年から「読売プレミアム」で連載されていたそうです。将棋の対局場面では難しいい言葉も入りますがその他ではミステリー小説として面白い。

ハードカバーで563ページ、23章からなる大作です。

ご隠居が立ち寄った遠野のことも出てきます。

佐野と石破は(主人公の刑事たちの名前)岩手県の遠野市へ来ていた。

朝の7時過ぎに大宮から「やまびこ」に乗り、新花巻で釜石線に乗り換えた。遠野市に着いたのは昼過ぎだ。

駅を降り立つと、石破はあたりを眺め大きくあくびをした。長時間電車に乗っていた時の癖だ。ぼそりと言う。

「上条圭介もこの景色を見たんだな」(犯人)

佐野も景色を見やる。高い建物がない町の空は広く、里山の緑は目に鮮やかだ。

風がそよいだ。

盆杉の東北は、まだ暑さを残しながらも、吹く風は微かに秋の気配を漂わせていた。

 

さて盛岡も街に出てみましょう。

盛岡といえば北上川。そして岩手山ですね。山は全部が見えません。

今回はチャグチャグ馬コも見に来たので岩手市内のことはあまり調べてこなかったので簡単に歩いてみました。

新渡戸稲造生誕の地。5000円札ではお世話になっています。

東京女子大学の初代学長。もてたでしょうね。羨ましい。

 宮沢賢治が使用した共同井戸

宮沢賢治の抒情詩「ちゃんがちゃんがうなっこ詩情の処」にうたいあげられた由緒ある城下町です。

賢治は大正6年4月から一年あまり過ごし使用していた共同井戸とのこと。

有名になると井戸までこうして残っているんですね。

盛岡城址公園にやって来ました。

石垣だけですが石垣は盛岡さんの花崗岩が使われ日本百名城の一つとなっているそうです。

かつては盛岡藩20万石の居城です。

桜山神社。パワースポットです。

裏山にある烏帽子岩がパワースポットで有名とのこと。よく調べて行かなかったので写真もろくなもんじゃなかった。馬鹿みたい。

岩手銀行赤レンガ館

東京駅の設計者として知られている辰野金吾の作品です。

盛岡銀行本店として明治44年緒落成です。

いろいろ行事が開催されています。

外に出て県庁、市役所前です。

原敬の銅像です。

岩手県はいろいろ立派な人が出ているんですね。

千葉県だと海に出ればすぐに黒潮に乗って魚はたくさん獲れるし、山は低くて山菜なども豊富です。

だからのんびりそこそこに暮らしている人が多くて偉い人が出ないのかもしれません。

石割桜

巨大な花崗岩の割れ目からエドヒガンザクラがたくましく伸びている桜です。

推定樹齢360年、4月中旬には綺麗な花が咲くそうです。

岩手県はサクラまで根性があります。

 

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僕の細道旅行譚(花巻市)

2018年07月07日 | 旅行

遠野市から花巻市に戻って来ました。

花巻といえば宮沢賢治、イーハトーブの町です。

明治29年8月花巻市の大金持ちの商家に生まれました。

まずは羅須地人協会に行ってみました。

道路の反対側は花巻空港です。関西あたりからくる飛行機が多いようです。

周辺の花巻温泉や鉛温泉など有名な場所は国際航業の所有の所が多いようです。

花巻農業高校を辞した賢治が自炊、農耕生活を場所。

農業指導やコンサートなども開かれました。玄関先の黒板「下ノ畑ニ居リマス」は賢治直筆の再現です。

大正10年に上京。印刷物の更生などで自活、創作に励みましたが8月に妹トシの病気で地元に戻ります。

30歳になってから羅須地人境界を設立して活動を始めました。

そして昭和8年9月には永眠してしまいます。37歳。

羅須庭園。県立花巻農業高校の学生や地元の人も管理しているみたいです。

さて次に「イギリス海岸」に行ってみました。

農業高校教諭時代に生徒を連れて行った「イギリス海岸」は北上川河畔にあります。

北上川西岸に青白い凝灰石の泥岩が川に沿って広く露出していたために、そこにいると「イギリスあたりの白亜の海岸を歩いているような気がしました」と作品に書いています。

いまは堂々と北上川が流れていますが賢治の頃は水量が少なかったそうです。

さて駅に戻って来ました。

疲れたので林風舎に入ってお茶を飲みました。

1階は土産物さん、2階は喫茶店、コンサートも開かれたりして感じのいい場所です。

花巻は宮沢賢治記念館や童話村、イーハトーブ館とか賢治の残したゆかりの地の風景が広がっていそうです。

これから盛岡まで行くのであまり時間がありません。

しかしせっかっくここまで来たのでタクシー飛ばして花巻東高校に行ってみました。

大谷祥平君や菊池雄星君が出た高校です。一目拝みたかった。

敷地内に入って先生に千葉から来た田舎者ですが大谷君の活躍に感銘しているもので一枚写真を撮ってもいいか尋ねました。

どうぞどうぞとパンフレットもいただきました。

グランド。

大谷君も一時故障者リストに入っていましたがまた出場枠に入って来ました。

頑張ってください。謙虚で大好きです。

 

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僕の細道旅行譚(遠野物語)

2018年06月28日 | 旅行

SL銀河を下車すると釜石からの出迎えというか花巻に帰る人の見送りというか華やかにご婦人たちがいました。

駅郊外に出ると日曜日というのに閑散としていました。

昼を食べようと思いましたが休みだったり閉じていたりで少し奥の方に行って普通の食堂に入りました。

観光客はあまり駅を経由しないのでしょうか。ただ観光協会の建物は立派でした。

食堂に入ると5人連れの外国人だけでした。チャイニーズ?と聞いたら台湾!高雄だとニコニコしていました。

前に日月潭に行ったことあるけどいい所だよねとか適当なこと言っておいた。日本語結構わかるんですよね。

注文したオムライスが来たら彼女たちがびっくりして「インスタ映えするから写真撮らせて」とか言い出した。

どうやって作るのか教えてくれとおばちゃん引っ張り出して来たりして皆で盛り上がっちゃいました。

外国人の方が旅行するのが上手だなと思いました。遠野のどこを見に行ったのでしょうかね。その後遭遇しなかったけれど。

遠野は早池峰山、石上山、六角牛山に囲まれていて盆地になっているようです。

何処からも静かな山々が見えます。

まずは山崎のコンセイサマに行ってみました。

「山崎のコンセイサマ」のある金勢神社

子宝や豊作を祈願する神様。男性器を形どった自然石で作られた巨大なコンセイ様です。

でもなんだかユーモアがありますね。

ご隠居もここに並んで出したら粗末ですぐに帰りたくなるでしょう。

外にも立派なコンセイ様がありました。

毎年5月5日にコンセイ祭があるそうです。

山口の水車

かつては農産物の脱穀や製粉に地域の共同の使者として使われていましたが今わ観光としてのシンボルです。

のんびりしていて素晴らしい景色だと思いますが日本中こういう景色は多いですよね。

次はカッパ淵です。

遠野の観光でももっとも人気のある場所です。

常堅寺

柳田國男といえば一度ぐらい教科書で読んだことがると思う人もいるでしょう。

この遠野で佐々木喜善と出会い1910年遠野物語を上梓しました。

その後民俗学研究に専念して「日本民俗学の父」と呼ばれました。

人との出会いのきっかけは大事にしたいですね。

全国唯一のカッパの狛犬。

淵の水辺にはカッパの神を祀った小さな祠もたっています。

かっぱを実際に見たという老人の写真もありました。

そんなことに関係なく釣りをしている子供がいた方が面白かった。

次は伝承園

遠野地方の農家のかつての生活様式を再現して伝承行事、昔話、民芸品の制作等も行われています。

国の重要文化財に指定されている曲り家「菊池家住宅」

千体のオシラサマを展示している「御蚕神堂」(おしらどう)です。

桑の棒の先に馬や女性の顔を刻み、中央に穴をあけた布を重ねた着物をまといます。

その昔

農家の娘が飼馬に恋をした、

怒った娘の父親が馬を殺したところが馬と一緒に娘も天に昇り

オシラサマになった。

オシラサマは農業の神様、馬の神様

あるいは蚕の神様だとも言われています。

最後に駅の近くの遠野城下町資料館に行きましたがたいしたことありませんでした。

時間があれば「南部曲り家千葉家」や五百羅漢に行ってみたかった。

 

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僕の細道旅行譚(SL銀河)

2018年06月23日 | 旅行

釜石駅から遠野駅までSL銀河に乗ってみました。

盛岡市の岩手県営運動公園内に展示してあった蒸気機関車C58を動態復元して釜石線に運行させました。

すごいですよね。遊園地で子供が載ったり下りたりしていたのを走れるようにしました。屋根があり車内もあまり荒らされていなくて良かったようです。

ある意味新品の蒸気機関車みたいなものでしょうかね。

改札口から中に入ってみましょう。

花巻方面に向けて後ろ姿です。

キラキラしています。

釜石駅はエスペラント名の愛称はラオツェアーノ(大洋)だそうです。

C58239  出発の準備もばんたんです。

さあ前面にきました。ヘッドマークもいいですね。 ピッカピカ嬉しいです。

最近は新幹線の運転手より花形という感じもします。

SLの運転手になるには免許を取り一人で運転するようになるには約1年間もかかるそうでくれぐれも失礼の無いようにお願いします。

運転席は夏は約50度、冬はマイナス10度になるそうです。

せっかく銀河鉄道に乗るので自宅で久しぶりで宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読んでみました。

氷山にぶつかって船が沈みましてね・・・・私たちは必死になってどうか小さな人たちを乗せてくださいと叫びました。

タイタニックの遭難を題材にして書いていたのを初めて気がつきました。

というより子供の頃読んだだけなので全体的に良く分からなかったのかもしれません。

車内に入ってみました。丁寧な作りになっていますね。

宮沢賢治一色です。

お土産さんのコーナーもあります。

SL銀河をモチーフにしたお菓子やグッズなど販売しています。

さあいよいよ出発です。

花巻駅では転車台がないのでこちらで通常向きを変えるみたいですね。

危ないよ。

めがね橋、釜石仙入峠、鬼ヶ沢橋梁など車で来ても見どころ沢山ですがまずは列車に乗りましょう。

 

記念乗車券です。釜石駅発売

花巻駅~遠野駅、遠野駅~釜石駅とデザインが違って全線乗車すると2枚もらえます。

遠野駅では1時間ぐらい停車します。少し遠野市を散策します。

車で行くよりなんだかんだいっても楽しいですよね。

 

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僕の細道旅行譚(釜石市)

2018年06月17日 | 旅行

一関駅から北上して花巻駅、更に釜石線(花巻~釜石 90.2km)で釜石駅までやって来ました。

40年以上昔、仕事で何回か釜石に来たことがあります。唐丹町と言うところですが懐かしい町です。

全く新しい雰囲気の駅前になっていました。津波の影響で生まれ変わったようです。

昔は駅を降りると目の前に新日鉄の工場がモクモクと煙を出していました。こんな小さなものでなかった。

今やコンパクトな物流センターみたいなものがあったりして本当に時代がかわったんだなと思いました。

日本中の産業構造が変わっているのでしょう。

釜石がラグビーの町であるのは今も変わらないようです。

1979年から85年にかけてラグビー日本選手権V7達成。「北のの鉄人」として無敵の強さを誇った新日鉄釜石ラグビー部。

2019年のワールドカップの開催都市にもなっています。

サンフレッシュ釜石では新鮮な魚が2階で食べられます。

昔は駅前橋上市場と言っていました。

昔は電車の本数も多かったので今より賑やかだった気がします。

釜石の再建を願って作られた「復興の鐘」です。

日本で最初に様式高炉を火入れしてから150年を記念して造られた「鉄のモニュメント」

古くから製鉄技術が伝えられた釜石です。

明治日本の産業革命遺産として、2015年7月「橋野鉄鉱山」はユネスコの世界遺産に登録されました。

行ってみたかったのですが釜石駅から往復3時間(見学時間を含めて)もかかるので止めました。

橋野鉄鉱山現地ガイド付きバスツアーなどもあるみたいです(要予約)

 

甲子川にかかる大渡橋を渡ると市内に入って行きます。

釜石駅から南に伸びる南リアス線の鉄橋。朝のドラマになったアマちゃんのは北リアス線かな。

何とか頑張って営業しているようです。今回は時間がないので乗れません。

市内は全く新しくなっているようです。津波の影響はどうだったのでしょうか。この先右に行くと海が見えてきます。

先を急ぐのでよくわかりませんでした。

釜石湾を一望する高台、大平町鎌崎半島に建つ釜石大観音にやって来ました。

湾内を見ながら上って行きます。高さ48.5mの像です。

ここで入場料を払います。

最近は恋人の聖地などと言う場所が多くなりました。

まだ復興の最中でしょうか。

ここでお参りして中に上がります。

網目の場所が展望台。

内部は13階に分かれていて11~12階は観音様の抱く魚の上に作られた「魚籃展望台」になっています。

海抜120mからのリアス海岸が眺められるそうです。

ご隠居は疲れてその気分でもなかったから下で止めました。

 

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僕の細道旅行譚(猊鼻渓)

2018年06月13日 | 旅行

一関駅から大船渡線(通称ドラゴンレール線)に乗車、猊鼻渓駅を目指します。

約30分ぐらいで猊鼻渓(げいびけい)駅です。

さて駅を降りて10分も歩くと名勝・日本百景猊鼻渓です。

切符売り場もお洒落な感じです。

まずは乗車券です。

女性の船頭さんもいるみたいですね。

いよいよ乗船です。

船頭さんが竿一本で船を操る舟下りです。

鏡明岩という岩が現れます。

砂鉄川が石灰岩を浸食してできた渓谷が2kmあまり続き、高さ100mをこす断崖絶壁がそびえたつ幻想的な深山幽谷です。

しかし川は浅いので底までよく見えて魚が泳いでいます。

のんびりと見ていきましょう。

毘沙門窟。岩脚に洞窟があり、洞窟内には毘沙門天が祀ってあります。

何処の舟下りに行っても写真屋さんが崖の上で構えています。

一枚1400円といい値段ですが記念に買ってしまいました。

上から見るとこんな感じだそうです。

静かな感じですね。

一度下車して獅子ケ鼻を散策します。

さて帰りには船頭さんが一曲歌ってくれました。

そして終点の発着場に着きました。後ろに大船渡線の鉄橋が見えます。

長瀞みたいに川の流れは速くありませんがそれなりに青い空のもと楽しめました。冬もすごくいいそうです。

ご隠居は舟下りが好きなのです。

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僕の細道旅行譚(藤原の郷の続き)

2018年06月07日 | 旅行

引き続き藤原の郷です。

清衡館の入り口です。

後三年合戦で焼失した豊田館は清衡により再び江刺に建てられました。

寝殿を中心に東、北、西の対屋を渡り廊殿で結び、寝殿の床を高くして丸林を使うなど寝殿造初期の様式が取り入れられているそうです。

平泉に進出するまではここで暮らしたのでしょうか。

冬は寒そうな感じがしますね。部屋は狭くても暖房が良くきいている現代人の方が幸せかも。

少し歩くと金色堂のレプリカがありました。

覆堂がない姿で創建当時はこんな感じだったのでしょうか。それなりに素晴らし。

見晴らし台からの風景です。

政庁や伽羅御所のパノラマも大胆です。

伽羅御所

平安時代の最盛期を築いた奥州藤原氏三代秀衡の居館を想定して作ったものです。

平安時代の町並みと庶民の暮らしを再現しています。

売店もあり暑かったのでソフトクリームを食べてしまいました。すごく甘かったので今度は水が飲みたくなりました。

この辺りでドラマが沢山撮影されているようです。

さて帰りはバスもないのでタクシーを呼びました。

新幹線の水沢江刺駅は小沢さんの実力で出来たのか聞いてみたら

「とんでもない市民の寄付を何十億円も集めて作ったんですよ」とのこと。

くりこま高原駅、水沢江刺駅、新花巻駅などは最初駅を作る気はなかったので東北本線から離れているのでバスで新幹線の駅に向かいます。

でも一時間に一本ぐらいでも電車が止まると土産物屋さんやお弁当屋さんなど賑やかになりますね。

さて北上駅にやって来ました。

本当は桜の名所ですが今年は終わっていました。鯉のぼりが元気です。

これは桜の木です。

観光馬車や北上川渡し船などもあるそうです。

しょうがないから駅の看板で我慢してください。

新幹線ホーム11.12番線です。

こんな風に馬車の写真が撮りたかった。

これで一度終わりです。

 

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僕の細道旅行譚(藤原の郷)

2018年06月05日 | 旅行

厳美渓から一関に戻りさらに北を目指します。

水沢駅にやって来ました。

最近はあまり元気がありませんが小沢一郎の町ですね。現在は奥州市というみたいです。人口約12万人です。

ここから「えさし藤原の郷」に行ってみました。

駅からバスを乗り継いで結構不便です。

広い駐車場がありました。みんな車で来るんでしょうね。

とりあえずお腹が空いていたので盛岡名物冷麺を食べました。あっさりした味でした。

早速中に入ってみました。

団体入場券と言ってもJAFの会員権を出すと100円安くなりました。大勢で入った訳ではありません。

南側の朱塗りの建物は律令時代の成長の再現です。この時代は唐の影響を受けて正殿を中心に左右対称に建物が配置されています。

政治や重要な儀式を執り行われていた場所です。奈良時代から平安時代を再現しています。

ここは沢山の映画のロケ地にもなっています。

大河ドラマの「平清盛」平成24年「軍師官兵衛」平成26年。陰陽師(東宝)ほか。

奥州藤原氏初代・清衡が生まれたのは前九年合戦の最中。

この戦いで父経清は殺害され、清衡にも試練が待っていました。

山を全体に巡るようになっています。

じっくり体験120分コースやお急ぎ50分コースなどあります。

ゆっくり見るにはいい場所です。

11世紀半ばごろの地方豪族の一般的館で第一期豊田館と呼ばれています。

申し訳ありませんが急用ができたので今日はこれで終わりにします。

すぐに続きを掲載します。

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僕の細道旅行譚(厳美渓)

2018年05月30日 | 旅行

一関駅からバスで厳美渓にやって来ました。

満開の桜と雪解け水の渓谷の美しい観光地です。(今回はもう桜は終わってしまいました)

まずは御覧場橋からみる景色です。

ここから上流の天工橋を眺める景色が素晴らしい。

天工橋です。

下流はこの辺からゆったりとした眺めになります。

厳美渓のバス停のある付近が中心です。景色もこの辺が最高です。

ただ残念なことは流れが速いのでご隠居の好きな舟下りがないことです。

太古の時代、栗駒山の噴火でつくられた石英安西岩質溶結凝灰岩が浸食されてできた自然の芸術。

ブラタモリがきたらうまく説明してくれるかもしれません。

名物空飛だんごです(郭公だんご)

ほとんど台湾からの観光客でした。むこうではかなり有名みたいです。

東屋からかごの中にお金を入れます。

木づちで板をたたきます。かなり大きな音です。店の方にケーブルが行きます。

かごにおだんごとお茶が入っています。(お釣りがあればいっしょに入ってきます)

カップの中にお茶が入っていますがこぼれていないのがノウハウかな。

五星紅旗の旗が揚がっていました。

天工橋を渡って向こう側に行けば中でゆっくり食べることもできますがこの雰囲気がいいのでしょうかね。

旅に出ている気分。とくに海外旅行にはいい思い出かな。

厳美渓を眺めながらいただきましょうね。

 

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奥の細道旅行譚(毛越寺)

2018年05月25日 | 旅行

毛越寺(もうつうじ)にやって来ました。

平泉駅をでて反時計回りに歩いてきましたが毛越寺は駅からまっすぐに歩くと10分ぐらいです。

毛越寺入り口が見えてきました。

右側には観自在王院跡の広大な史跡公園が目に入ります。

観自在王院は二代基衡の妻が建立した寺院で阿弥陀堂が池に臨んで建てられていたそうです。

安倍昭恵さんもくだらない小学校を作るのなんかに奔走しないで立派なお寺でも建てたら如何ですかね。

現在は建物は失われてしまい今は遺跡が修復されている最中です。

陸奥の片田舎と言っては失礼ですが広大な建造物がその当時あったのですね。

そんな藤原一族が新興勢力の頼朝に滅ぼされたのは何がいけなかったのでしょうか。

ご隠居は歴史に疎いのでよくわかりません。

早速中に入ってみましょう。

毛越寺本堂

奥州藤原氏二代基衡、三代秀衡が造営しました。

当時の伽藍は中尊寺を凌ぐと言われていましたがご多分に漏れずすべて焼失してしまいました。もったいない!

裏手に回って大泉が池を廻りましょう。

850年に慈覚大師がこの地にさしかかると一面霧に覆われて一歩も進めなくなりました。

なんとか先に進むと白鹿がうずくまっていました。大師が近づくと白鹿は姿を消し白髪の老人が現れました。

この老人は「この地に堂宇を建立して霊場にせよ」と告げました。

大師はこの老人が薬師如来の化身と感じ一宇の堂を建立したのが寺の起こりだそうです。

大泉が池は平安時代の浄土庭園を今に伝えています。

汀には洲浜、荒磯、築山などの海浜の景趣が配されています。

ご隠居は功徳を積んでいないので極楽浄土に行けないかもしれません。

遣水

山水を池に取り入れるための水路。

谷川を流れ下り更に蛇行しながらゆったりと平野を流れる川の姿を表現しています。

でもあの世に行って毎朝読経をした後こんな池のほとりで鶯の声でも聞きながらうつらうつらしていたらいいですね。

時には下着の見えるような絹衣をまとった美女がお酌してくれたりして。ドヒャー。

ご隠居はまぁこの世でしぶとく長生きしそうだよね。

おばちゃんは大泉が池を見ながら何を考えているのかな。

開山堂

慈覚大師をお祀りしています。

常行堂。

極楽浄土のような池をひと回りしました。

がやっぱりまだこの世で飲んだり食ったりしていたいなと思いました。

 

さてさて芭蕉一行は毛越寺には寄らずに南下して岩手山から尿前の関に進みました。

当ブログではこの先酒田までは掲載済みです。次は象潟からですが・・・・。

せっかく陸奥にいるのでさらに北をめざ、しご隠居が勝手に行く「僕の細道旅潭」です。

次回は厳美渓です。

 

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奥の細道旅行譚(中尊寺金色堂)

2018年05月22日 | 旅行

さて中尊寺金色堂です。

芭蕉は奥の細道でもっとも期待していた場所の一つです。厳かな気持ちで歩きました。

平成23年「平泉一仏国土(浄土)を表わす建築・庭園および考古学的遺産群ー」として世界遺産委登録されました。

金色堂新覆堂(おおいどう)

観光ポスターや旅行雑誌どれを見てもここからのアングルになってしまいますね。

昭和37年から7年間の解体修理が行われました。旧覆堂からこちらに移し、中には金色堂がガラススクリーンで覆われて空調設備の整った環境です。

せっかくの世界遺産です。ご隠居もどさくさに紛れて一枚!

さて中に入ってみましょう。

ここからは撮影禁止なのでパンフレットで我慢してください。

薄暗い場内に入るとガラスケースの中で輝いています。

いやぁ・・・・・・・・素晴らしい。

おもわず

五月雨の 降り残してや 光堂

        です。

4本の巻柱に長押、白く光る夜光貝の細工、透かし彫りの金具、漆の蒔絵と工芸技術を結集して荘厳さを醸し出しています。

仏像は須弥壇の上にご本尊の阿弥陀如来、その前に観音菩薩と勢至菩薩、左右に地蔵菩薩、そして持国天と増長天が邪鬼の形相でこの世の仏界を守護している形になっています。

嵐山光三郎さんは

光堂をたたえつつも芭蕉は「五月雨を降りのこしている・・・・」という感慨を詠みきった。覆堂があるのだから、もとより五月雨が降りかかることはないのに、あえてそうほめそやしたのである。

ということは、芭蕉は五月雨が降り注ぎ金箔がはげおちて朽ち果てた光堂を幻視していたことになる。

そこにいる客は嘆声をあげて金色堂の須弥壇の前に立ち、ただ茫然と口を開けているばかりだ。

が、嘆声はやがて無常の溜息となって行くのだ。

「五月雨の・・・」の句碑が、訪れる者の詠嘆を見さだめるように金色堂のわきで雨に濡れている。

覆堂も手前に標柱を入れるといい写真になったんですね。今から行けないから残念です。

さあ感激を胸に外に出ました。

経蔵

「中尊寺経」を納められていたお堂。

真紅に色づいたいろはもみじが降りしきるころが見頃だそうで、境内一の秋光です。

煌びやかな金色堂と比べて侘び、寂の世界がまた素晴らしそうです。

金色堂旧覆堂。鞘堂(さやどう)ともいいます。

かつてはこの中に金色堂があり風雪から護っていたそうです。

もちろん松尾芭蕉もこの薄暗い中に入り参拝しました。

うっすらと光が差し込む堂内で燦然と輝く仏像群を見た芭蕉はどんな感想だったのでしょうか。

ご隠居のような凡人には見当もつきません。

芭蕉と奥の細道句碑

中尊寺の北方鎮守、白山神社内には能舞台があります。

5月4日・5日は白山神社の祭礼で古実式三番と御神事能が行われます。

山全体がおごそかです。

鯉のぼりがだれています。かなり降りてきました。

もうすぐ端午の節句かと思い(4月27日の旅)俗世界に戻った気分です。

次は毛越寺です。

 

平泉(後半部分)

かねて耳驚かしたる二堂開帳す。

(かねてから壮麗さを話に聞いて驚嘆していた中尊寺の二堂を開帳する)

経堂は三将の像を残し、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。

(経堂は藤原三代の像をとどめ、光堂は棺を納め、弥陀三尊を安置してある)

七宝散り失せて、珠の扉は破れ、金の柱霜雪に朽ちて、すでに頽廃(たいはい)空虚の叢となるべきを、四面新たに囲みて、甍を覆ひて風雨を凌ぎしばらく千載の記念とはなれり。

(絢爛豪華な七宝も消え失せ、珠玉を散りばめた扉は損壊し、金色の巻柱積年の霜雪のため腐朽してもうすこしのところで廃墟になる所だった。

堂の四面を新たに囲み、上から屋根を覆って風雨を凌いだ。こうしてはかない現世におけるかりそめの間ながらなお千古の記念となっている)

五月雨の(さみだれの) 降り残してや 光堂

(この寺の建てられた以降、500年にわたって年々降り続いた五月雨も、ここだけは降り残したのか、五月雨けむる空のもとで、光堂は毅然と輝いてかつての栄光を偲ばせている)

 

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奥の細道旅行譚(中尊寺)

2018年05月18日 | 旅行

それでは義経堂から東北線の踏切を渡ってまず平泉文化遺産センターに行ってみました。

今どき入場無料です。太っ腹!

受付では綺麗なお姉さんが待っていてくれてパンフレットをいただきました。

おまけにご隠居の好きなスタンプまでありました。

史蹟を訪れる前に見学した方がいいようです。

奥州藤原氏を中心に平泉の歴史をわかりやすく展示してあります。

無料だからゴマするわけではありませんが必見です。

それではいよいよ中尊寺です。世界遺産。

弁慶の墓といわれています。

桜が少し残っていました。

日本の大きな神社仏閣の門前はどこも似ていますね。

蕎麦屋があり、田楽にビールやっぱり腹ごしらえですね。

表参道月見坂を上って行きます。かなりきつい。

樹齢300年~400年の杉並木です。

あえぎながら写真を撮って後で見たらぶれていました。しょうがねぇなあ。

パンフレットの冬の月見坂を借用。

東物見台

右に北上川が見えます。そして衣川が左手より合流します。

平安初期までは衣川以北は中央政府の支配が及ばない「外地」でこの川が内なる境界となっていました。

奥の細道にも「泰衡らが旧跡は、衣が関を隔てて南部口をさし固め、夷を防ぐと見えたり」と書いてあります。

(北の関門南部口を堅く守り、蝦夷の侵入を防ぐ形に見える)

西行法師が平泉を訪れて一句詠んでいます。

「ききもせず 束稲(たばしね)やまの さくら花 よし野のほかに かかるべしとは」

昔は束稲山は吉野の桜のように綺麗だったみたいですね。

 そろそろ本堂も近いようです。

弁慶堂

堂内には義経・弁慶の木像が祀られています。

ちょっと奥まった場所にあり息も切れていたので入り口で写真を撮って退散です。老人です。

やっと中尊寺本坊正門に辿りつきました。いやいやいや。

山門の入り口でのどが渇いていたのでビール飲んだのがいけなかった。お参りする前に酒飲むバカいないよね。

顔もついでに洗っておくかな。そんなことすると罰が当たるかも。

本堂。中尊寺というのはこの山全体の総称です。

本寺である中尊寺と山内17ケ院の支院で構成されています。

本尊の釈迦如来。高さ2.7m。天台宗東北大本山です。

団体で参拝していたグループのガイドさんが写真は自由ですのでお顔を美しく撮ってあげてください言っていたのでご隠居も便乗して一枚パチリ。

夕方だったので参拝客もまばらです。

遠くに出かけると現地に着くのは昼過ぎ。ハイライトは夕方というパターンが多いようです。

本堂から金色堂に向かう途中にある不動堂。中尊寺の祈祷道場。もちろんご本尊は不動明王です。

この世に生きる私たちの過ちを直し、苦悩を取り除いてくれるご尊体です。あまり深刻な苦悩はないけど反省すべき過ちは多い。

商売繁昌厄除け祈願などわが県、千葉の新勝寺と(成田山)同じようなので参拝省略。

この先いよいよ金色堂です。

一回で紹介するのはもったいないので次回にします。

相変わらずせこいね。

 

 

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