さて福島駅より福島交通飯坂線(福島~飯坂温泉 9.2km)に乗って医王寺に行きました。
賑やかにペイントされた7000系電車(東急電鉄7000系)が入って来ました。
あなたはかつて東京と横浜間の華やかな路線を10輌編成で走っていたのですね。
全線が単線です。笹谷駅で交換です。朝のラッシュ時は3両編成になるとのことで地方の私鉄としては頑張っている方でしょう。
ワンマンではなく女性の車掌さんも乗務していましたよ。
運転席の上に「社会を明るくする運動」のポスターがありました。
今年も7月1日には安倍晋三内閣総理大臣閣下の号令のもと、「社会を明るくする運動」の全国キャンペーンがスタートします。
一年がたつのが早いなと思います。
とか感慨にふけっていると「医王寺駅」に到着です。
駅を降りると案内板の「→」にそって住宅や果樹園の中を歩いて行くと医王寺です。春の陽が暮れかかってきました。
奥の細道では古寺と書いてありますが大木もありなかなか立派です。
芭蕉はここに奉られている佐藤兄弟の墓の前で涙を流し、負け組応援団の俳句を詠みました。
佐藤継信、忠信は源義経の忠臣です。
継信は壇ノ浦で平家の能登の守、教経の引き絞った強弓が義経に向けられたとき、みずからの胸板を以って義経をかばい戦死しました。
忠信は居残って吉野落ちする義経を助けて京の館で討たれました。
本堂です。
二人が義経の元に馳せ参じる日、父親の佐藤元治が近くの館で別れの酒宴を張り桜の杖を地面にさして、もしお前たちが凱旋するようならこの杖は根づいて桜となって咲くだろうと言って戻りました。
桜は根付きましたが二人は戦死しました。元治みずからも頼朝の攻めにあって福島の石那坂で討ち死にします。
判官びいきの日本人にとってはいい話ですね。
さらに話の続きがあります。
古淨瑠璃「八島」四段目です。話を短くすると
義経の立派な家臣として討ち死にした二人の奥さんが(楓と若桜)老母、乙和御前の悲嘆を察し、気丈にも自身の悲しみをこらえて甲冑を身に着けて兄弟の凱旋の勇姿を装い、姑の心を癒したという故事です。
芭蕉の「笈(おい)も太刀も 五月にかざれ 紙幟(かみのぼり)」の句碑
奥の細道では「二人の嫁がしるし」とありますが実際にはこれから行く白石市の甲冑堂にある二人の嫁の軍(いくさ)出立ちの木像から受けた感銘を編集段階で医王寺の項にもってきて一気に話を盛り上げたということになっています。
旅行記でも「川の水は清く、山の木々の緑が輝いてい」たなどと書くだけでは読者は飽きてしまうので編集が必要ですよね。ビデオでも同じです。撮りっぱなしのは観ていてもちっとも面白くない。
宝物殿。 弁慶自筆の下馬札弁慶の笈、義経所要の直垂など展示。
本文には「寺に入って茶を所望すると、義経の太刀と弁慶の笈があった」とあります。
一方曽良の旅日記では「寺には入らず、西の方を廻って兄弟の墓に行く」となっています。
実際に義経の太刀はここにはなく、芭蕉が見ないで噂だけで文章を書いたみたいですね。
ご隠居も時間が遅くて中に入れなかったのですが、義の太刀がピカピカ光っていて感動したなどと書くと後でばれるので止めておきます。
忠信公、義経公、継信公
継信公・忠信公 墓
本堂の門を出て右に折れると長い杉並木がありますがその奥にあります。うっかりすると見落とします。
春の闇が迫る時間に忠臣の墓の横に桜が見事に咲いていました。
崖の向こうの丸山(二人の育った館)を見ているようです。
時代はどんどん過ぎていきますが花の美しさは変わらないですね。
飯塚の里(前半)
月の輪の渡しを超えて、瀬の上という宿に出づ。佐藤庄司が旧跡は、左の山際一里半ばかりにあり。
佐藤庄司は佐藤元治のこと
飯塚の里鯖野(さばの)と聞きて、尋ねたづね行くに、丸山というに尋ねあたる。
これ、庄司が館なり。麓に大手の跡など、人の数ふるにまかせて涙を落とし、またかたわらの古寺に一家の石碑を残す。
人の教えてくれるのに従って、あれこれと懐旧の涙を催した
中にも、二人の嫁のしるし、まずあわれなり。
女なれどもかいがいしき名の世に聞こえつるものかなと、袂をぬらしぬ。
堕涙の石碑も遠きにあらず。
堕涙の石碑とは中国の故事で太守を慕う碑。遠く中国まで求めることもなくここにある。
寺に入りて茶を乞へば、ここに義経の太刀、弁慶の笈をとどめて什物とす。
笈も太刀も 五月に飾れ 紙幟
五月の薫風のなかに紙幟が勇ましくひるがえっている。
この寺の寺宝とする弁慶の笈も義経の太刀も、端午の飾り物として晴れ晴れしく飾り、その紙の武勇の歴史を伝えるのが良い。
五月朔日のことや。
5月1日の事です。
「翁の大好きな義経主従の物語のあるお寺に来ましたね」
「うむ。山門には入った時から涙が出そうです」
「みんな主君のために討ち死にしたんですよね。負け組だから弔慰金も出なかったんでしょうね」
「くだらないこというねぇ。勲章や金なんかもらわなくても佐藤兄弟、そして父君、奥方も偉かったのです」
「2人の奥方の木像はこれから行く甲冑堂にあるとガイドに書いてあります」
「いや。物語前半のクライマックスにするためここで見学したことにして読者の涙を誘うことにしよう。そして余韻を残して飯坂温泉に行くのだからかの地で酒飲んで馬鹿騒ぎしたなどと君の旅日記には書くなよ」
「翁、ねつ造記事はだめですよ」
「バカ!本が売れなかったら旅費さえ出なくなる。書生みたいなこと言っているんじゃない」
「馬鹿はないでしょう。だいたい本文で(女なれどもかいがいしき)なんて書くと将来に禍根を残しますよ。これから男女雇用均等法案とか再婚期間の平等とかやかましくなりますよ」
「うるさい!ついでにお寺に寄ってお茶でもご馳走になり義経の太刀も見たと書いておこう。何かの本に説明があったな」
「ますますいい加減。ところで佐藤兄弟の奥方は偉いのが分かりましたが江戸おもての方が騒がしくなっています」
「また幕府の祭りごとがうまくいっていないのかな?」
「老中の奥方の昭恵夫人ですよ」
「昭恵夫人が甲冑でも着て騒いでいるのかね。まさかミニスカってことはないよね」
「違うんです。老中の威を借りてあっちこっちで口利きしているそうです」
「あの人は飲み屋をやったり旅籠を経営したり気さくな人みたいだね」
「気さくなのはいいんですがね。子供の頃から勉強が大嫌いで親がせっかく最高の学問所にだまっていても入れるようにしたのに途中でやめたそうです。
今や元禄もバブルの様相ですが昭恵夫人も扇子打ち開いて遊びまわっていたそうです。若い頃」
「君は古文書とかには弱いけど世間話は好きですね」
「ところで翁、忖度(そんたく)という言葉をご存知ですか」
「人の気持ちを思いやるということなのかな」
「よく言えばそうですけど。役人は昭恵夫人の何げない言葉でも命令に聞こえるそうです」
「私は君に何か言ってもうわの空で空気の読めない男だと思っていますよ」
「そりぁ翁がのどが渇いたといえば酒でも少し飲みたいのかなとも思いますがね。金がもったいないからとぼけているだけです」
「こまった男だねぇ」
「今年の流行語大賞は忖度で決まりですね」
「ご老中は暮れまでもつかね?」
「しぶといから・・・・・・」