ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

奥の細道旅行譚(信夫の里)

2017年04月18日 | 旅行

久しぶりで奥の細道の旅に出ました。(昨年の6月以来です)

まずは福島駅に降り立つと駅前は花が一杯でした。

駅からバスで20分ほどで文知摺観音(もぢずりかんのん)に着きました。

芭蕉一行は黒塚の岩屋によってから阿武隈川を渡って歌枕(江戸時代の観光名所?)で有名な「もじ摺の石」を探しに行きますが遥かな山里に石が半分程埋もれていてがっかりします。

「しのぶもぢずり石」はこの境内にあります。

当然ながら芭蕉像がありました。足元は何やら工事中で賑やかに道具が散らばっていました。

ゆるやかな坂を登って行くと句碑がいろいろありました。

「虎女伝説」

源融(みなもとのとおる)公がお忍びでこの辺りに来ましたが夕暮れ近いのに道もわからず困っていました。

そこへこの里の長者が通りかかりその自宅に行くと出迎えた長者の娘、虎女の美しさに息をのみました。

虎女もまた、公の高貴さに心を奪われました。

その後愛情が高まり公は一か月余り逗留しますが都から公を迎える使いがやって来て、また会う日を約束して去りました。

再開を待ちわびた虎女は慕情やるかたなく「もぢづり観音」に百日詣での願をかけましたが都からはなんの便りもありません。

嘆き悲しんだ虎女が、ふと見ますと「もぢずり石」の面に慕わしい公の面影が彷彿と浮かんできて見えました。

懐かしさのあまり虎女が駆け寄りますと、それは一瞬にしてかき失せてしまいました。

虎女は病の床に就いてしまいました。その後公から歌が届くのですがそれを抱きしめながら短い一生を終えましたとさ。

源融は陸奥の国の按察使(あぜち・地方行政官)でした。

彼のおかげで塩竈や松島などを京の都に観光PRをしてくれ有名になりました。

百人一首

みちのくの 忍ぶもぢずり 誰ゆえに みだれそめにし 我ならなくに (源融)

 (みちのくのしのぶもぢずりの乱れ模様のように私の心は忍ぶ恋のために乱れています。

このように乱れ始めたのは誰のせいでしょうか?わたしではなくてみんなあなたのせいなのですよ)

調子のいい和歌ですね。

石の表面に公の姿が現れたとのことで「鏡石」とも言われています。

甲剛碑。面白い漢字です。

甲剛の古字で金剛と同じ、北斗七星を意味するそうです。

人肌石。

人肌のようなぬくもりを持っていることから人肌石と呼ばれています。

やっと「もぢずり石」に辿り着きました。パンフレットや嵐山光三郎、森敦さんの本でも「石柵で囲まれて」と書いてありますが何も柵はありませんでした。

これで間違えがないのかと帰りに拝観券を扱っていたご婦人に尋ねようかと思っていました。ところが帰るころにはバスの時間が気になりすっかり忘れていました。

最近鶏と同じで3歩歩くと忘れます。

この地が綾形石(あやがたいし)の自然の石紋や綾形、しのぶ草などの葉形などを摺りこんだ「しのぶもぢずり絹」の産地で、文様をとるためにこの石が用いられたという伝説に基づいています。

下に半分埋まった面にその文様があり、そこに絹をあてて色付けしたとのことですが今になっては確かめようもありません。

「もぢずり」とは、文字が乱れた模様を言うので「文知摺」は単なる宛て字とか。

足止め地蔵尊

家出人や走り人がある時、この地蔵尊の足のあたりを縛っておくと、必ず無事に帰ってくるとのことです。

足の怪我や病にもご利益があるとのことです。

小さな池に水芭蕉が咲いていました。

福島県指定重要文化財。文知摺観音多宝塔。

文化9年(1812年)建立。高さは約15m。東北地方ではただ一つの多宝塔です。

多宝塔・・・・・・多宝如来を安置する塔。基檀上に二重の屋を構築して最上部は相輪を設置した塔を言う。

自筆資料などがある資料館です。

室内では給茶機などもありゆっくり休めます。

多宝塔の裏手に河原左大臣源融・虎女の墓があるとのことですが急いでいたのでよくわかりませんでした。

 

浅香山・信夫の里(後半)

くるば、しのぶもぢ摺りの石を尋ねて、信夫の里に行く。

遥かな山陰の小里に、石半ば土に埋もれてあり。

里のわらべ来りて教へける、「昔はこの山の上にはべりしを、往来の人の麦草を荒らしてこの石を試みはべるを憎みて、この谷に突き落せば、石の面下ざまに伏したり」という

昔はこの山の上にあったのですが、通行人が人々の畑の麦を抜き荒らしてこの石の表面に摺りつけては、ためしたりして不愉快に思って、土地の人々がこの石を谷に突き落したところ、石の表面が下向きに倒れたのです。

さもあるべきことにや。

 

早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺り

早乙女たちよ、稲の苗をとる手つきが昔を偲ばせてくれる。しのぶもぢ摺りが盛んに行われた頃が目の前に広がっているようだ。

芭蕉翁は那須から(田一枚~)ずぅ~と田植えに心が動いていたようです。

 

「黒塚の岩屋からはるばるもじ摺りの石に来ました。翁は巨石好きですね」

「横綱のようにどっしりしたものは落ち着くねぇ」

「それにしても柵はあるは苔むしているわでぱぁっとしないですね」

「日本の観光地はどこでもすぐに余計な手を加えるからいやだねぇ」

「まぁ子供の言ってるように馬鹿な旅人がどこでも落書きしているようにつまらないこと試して地元に迷惑かけたいるのでしょうか」

「でもこんな話も江戸で旅の雑誌読んでいるだけじゃわからないから実際に来てみると面白いね」

「ところで翁、ここでは源のととろだか融(とおる)だかが立派な和歌を詠んでるじゃありませんか」

「ちょっと不愉快な話だね。高貴で美男子の官吏と長者の美女の娘の話。出来過ぎている」

「フジTVのちゃらちゃらした女子アナと巨人軍のマッチョな選手の恋愛話みたいでちっとも面白くないですね」

「だいたい虎女なんて食いつかれそうな名前なのにめそめそしてるね」

「夢を食うというバク子ぐらいの名前が良かったかも」

「だいたい好きだったくせにさっさと都に帰って手紙一本で済ませるような冷たい男だよ」

「早く諦めて近くの町にに来ている天下り官僚でもつかまえればいいのに」

「まぁ男女の仲はわかりませんえ。あたしは翁の忖度に応えながらこれからもお供します。とか心にもないこと言ったりして」

 

コメント
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