星の井通りをさらに行くと石柱がありました。ここを左折します。
「五霊社鎌倉権五郎景政」(ごりょうしゃかまくらげんごろうかげまさ)と刻まれています。
五霊は御霊のことで死霊をさすとか。
角に力餅家さんがあります。
元禄年間には社前の茶屋だった老舗和菓子店。鎌倉権五郎の怪力にあやかった臼でついた餅と甘さ控えめのこし餡の力餅です。
司馬遼太郎さんは
「石柱のそばに角店(かどみせ)があり、古風なガラス障子が鎌倉の気分と適(あ)っている。看板を見ると、夫婦饅頭の本舗とある」と書いています。
細い道を森を目指して歩いて行くと江ノ電の踏切があります。有名な撮影スポットです。
極楽寺1号踏切または権五郎踏切で寺の境内を横切るように電車が走っています。
踏切を渡ると鳥居と本殿が見えてきます。紫陽花が綺麗なお寺です。
景政は源頼朝の祖である八幡太郎義家の活動した時代の(頼朝より50年ぐらい前)人で父景成が鎌倉権守(ごんのかみ)という呼称だったので権五郎景政といわれた。
八幡太郎義家が奥州の清原氏を討つための遠征に16歳で出陣。いとこの三浦為継と一緒だった。
清原方の矢が権五郎の右目を打ち抜いた。しかしそれを抜こうともせず、相手を打ち返して倒し、更に戦って本陣に引き返した。
為継が矢を引き抜いてやるべく、景政の顔の片方に土足をのせ、矢柄をつかみ、踏んばろうとすると、下の影政がにわかに刀を抜き、下から為継を突こうとした。
景政は怒って「面(つら)を踏むな」と怒鳴った。
「矢にあたって死ぬるは武士の本懐だが、面を土足にかけられるのは、あってよいことか。今こそは汝がこそが敵だ」
為継はあやまり影政のそばに膝をつき、片膝をもって権五郎の片頬をおさえて、やっと矢を引き抜いた。
その間、影政は声も上げなかった。
乱暴な話ですがこの時代の武士の心意気みたいなものを感じます。
宇治川の先陣がだれだったとか、屋島のくだりで扇の的を射ぬいたのが那須与一とか、その一つにすべてをかけて神社になったのです。
景政の子孫がみんなが嫌いな梶原景時です。義経の事を諫言して偉くなりましたが最後は滅亡します。
頼朝と共に政権の表舞台に立った比企一族も三浦一族もみんな滅ぼされて内輪の戦略にすぐれていた北条一族が残ったのです。
いつの時代も権力を取るには大変です。もっとも安倍総理が権力の座から滑り落ちても昭恵夫人の焼き鳥屋でも手伝えばいいので昔より楽ですね。
景政公 弓立の松
景政が領地を見回る時に弓をたてかけたという松の古木。
さてまた踏切に戻りました。
沿線は紫陽花が綺麗です。
反対側が人気スポットです。
極楽寺のトンネルから飛び出してくる江ノ電と紫陽花を一緒にカメラに収められる場所です。
一斉にシャッターの音が聞こえます。上の写真の大きさにすると右側が切れてしまいますので一回り小さくしました。
美しい森の中に小ぶりの建物の神社ですがとても清らかに見えます。
背後も森、参道の木々、タブの木の枝がかしこに延びています。
そして江ノ電の轟音。鎌倉って楽しいですね。
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