ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

奥の細道旅行譚(酒田・日和山公園)

2015年09月27日 | 旅行

酒田にやって来ました。

最上川の河口に開かれた港町です。江戸時代から西廻り航路が整い北前船交易により栄え、見どころも多いようです。

芭蕉一行も陽暦で7月29日から8月9日まで逗留しました(7月31日~8月2日は象潟に出かける)

不玉宅を示す道標「玉志近江屋三郎兵衛宅」跡地

本名、伊東玄順、医師、医号は淵庵、俳号は不玉。

ここに芭蕉一行は逗留したそうです。

安種亭令道寺島彦助宅跡

ここで芭蕉を招いて句会が行われたそうです。

曾良の日記には「寺島彦助亭へ被招(まねかれ)、俳有。夜ニ入帰ル。暑甚シ」と書いてあります。

 

本日2015年8月15日も甚だ暑しでありました。

とりあえず日本海でも見よう日和山公園に行ってみました。

最上川と酒田港が見えます。

なんとなく静岡あたりの港と違って海に輝く光に元気がないような気もします。お盆もそろそろ終わりで陽光も元気が無くなってきているせいでしょうか。

日和山灯台です。

明治28年建築の洋式灯台。木造六角灯台としては日本最古級とパンフレットに書いてあります。「級」という文字が気になりますが日本最古という灯台がどこかにあるのでしょうか。

北前船の1/2の模型。池を日本海に見立てた配置になっています。

芭蕉さんの登場です。凛々しいお姿です。

この公園には沢山の俳句や短歌の碑が立っていました。

 

奥の細道(酒田)

羽黒を立て、鶴が岡の城下、長山氏重と云物のふの家にむかへられて、一巻有。左吉も共に送りぬ。川船に乗りて、酒田の湊に下る。

淵庵不玉と云医師の許宿とす。

 

羽黒三山から鶴岡市にやって来た。長山氏重という武士(鶴岡藩士)の家で逗留して歌仙を開催した。出立する時には長山の縁者の左吉も一緒に見送ってくれた。船で七里先の酒田港に到着した。

 

「やっと日本海が見える所にやって来ましたねぇ」

「いやぁ羽黒三山にはまいりました。特に月山の寒さには凍え死ぬかもと思いました」

「今日は何日だろうか、本当に暑いねぇ」

「6月13日になりました。夏真っ盛りです」

「それにしても北の海は濃い色をしているねぇ」

「瀬戸内の海とはえらい違いですね。それにしても疲れました。酒田では少しゆっくりしましょう」

「不玉という門下のものがいるからそこで少し飲んだり食ったりしましょう」

「翁は顔が広くていいですね。どういう人ですか」

「藩主の侍医でここの俳壇の中心人物です。お金持ちらしい」

「金持ちはいいや。がんがんやりましょう」

「馬鹿だねぇ。そのかわり句会を開かなくちゃあいけないよ。江戸から実力者が来ているんだから皆を唸らせるようないいものを作らないと笑われる」

「今からプレッシャーを感じているわけですね」

「その通り, 写真入り身分証明書持っていないから句の出来が悪くて芭蕉の偽物だと騒がれると嫌だからねぇ」

「まぁ皆ががたがた言うようだったら(おのおの方これが見えぬか、ひかえおれー)と翁の履いてきた草鞋でも見せて煙に巻きましょう」

「そんなもの見せてどうするんだい」

「まぁなにはともあれ楽しくやりましょう」

「楽しくやるのはいいけど羽目外して飲みすぎないように」

「あまり飲みすぎると川島なお美さんみたいに胆管癌で早死にしそうです」

「美人薄命、川島なお美さんに合掌!」

 

 あつみ山や 吹浦かけて 夕すずみ

はるかに見渡すとあつみ山から吹浦までが一望の下に広がりゆっくり夕涼みができる。

 暑き日を 海にいれたり 最上川

今日は暑さを全部海に流し込んでくれる最上川

「暑き日」の句碑

 


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