村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

29.異常繁殖した鹿や猿や猪等の始末:増えたらタイムリーに減らす

2006-06-02 14:42:21 | 森の暮らし
最近滋賀をはじめ全国各地で村落や町中に鹿や猿や猪や熊が降りてきて悪さをするという報道を聞くことが多くなりました。そういう野山に住む動物の被害というのは、実際に被害にあったことがない人には、到底理解できないような頭に来る出来事なんです。
私の住む安曇川長尾でも、最近特に、年々頭に来ることが多くなっています。ということは山には、腹をすかしやせ細った生き物が増え過ぎており、森ではやせ細った病気にかかった木が増え過ぎているということなんです。

①猪があの牙で土や木を掘り返す(なんだ、誰だ、すげーてな感じです)
②やっと花が咲く紫陽花などの花芽をある夜、一斉に全部食い荒らす(なんだよもう少し待ってくれよ)
③桜の木の皮を食い荒らす(少しは考えろよ、かわいそうに桜は死んだぜ)
④野菜を猿が食い荒らす(柵をしてもさあ食べごろという前日に根こそぎ、荒らしまくる血も涙もねーのかよ)

まあ、あいつら、わざわざ、よりによって良い時期に食い荒らすんだが、でも怒りのもって行き場がない。

そこで被害にあっている住民達は、それらの生き物を減らすため、追い散らすために、生け捕りや殺すことを希望するのですが、法律の壁によってそれが許されないのです。もっとも簡単に捕る殺すと言っても、それをやる人間がいないんだから手遅れなんだが。
このままだと、いい加減にしてくれ、もう畑作らねーぞ、田舎や山付近には住まねーぞ、そのうち都会の真ん中まで生き物が来ても知らねーぞ。「もういい、勝てにしやがれ」となるしかないでしょうね。
その上、動物愛護団体なんていう人が地元までわざわざ来て「生き物を殺してはならない」なんて言うのです。

環境問題というのは、バランスであって生き物を殺すも殺さないも、大事なことは、しごく当然な原理・原則なんですが、バランスを回復することなんです。増え過ぎたら早めに間引かないと生き物にとっても人間にとっても、取り返しのできない大きな不幸が襲ってくるのです。実は「生き物の数を減らしてくれ」と切望しているのは他ならない生き物達自身なんです。
そういう例は過去沢山あります。大事なことは闇雲な動物保護ではなく、生態系バランスなんです。生態系バランスを正しく理解していないと環境問題はかえって最悪の事態になってしまうのです。
廃棄物が多過ぎるんです。減らさないといけないのです。でも廃棄物をリサイクルすることが凄く良いことのように言われ、信じ込まされてしまうんです。
森の現状を正しく知らない政治家・環境担当の役人ども・有識者は、「森に木を植えよう」なんて馬鹿なことを言っているのですが、森の現状を知っている人はむしろ「木を切れ(間引け)」なんです。昔戦後復興時に、林業の方達が間引きを前提に倍の密度で木を植えてきた結果なのです。
都会からたまたまやってきたガキどもや奥さんが木の苗木を植えて「私は環境に良いことした」なんて言って帰っていくんです。お前達間引きするために山に登ってきたんじゃないんか?間引くべきところが間引きしないために、森に日がささず、木は日を求めて、木同士が競ってひょろひょろ伸びるだけで、どんどん元気を失って行くのです。

このまま早く木を切らないと、森は一瞬にして崖くづれや一斉に枯れるはずです。
生き物も同様です、鹿が村落や町に下りてくる理由は、

①生き物が増え過ぎた
②食べるものが相対的に減ることになる
③山の木が弱って木の実や果実が減った
④鹿などはやせ細って大きく育たなくなった
生き物も木も多くなり過ぎて限界まで弱っているのです。食べ物がない、そこで町に下りてきて、必死になって命がけで人間に危害を加えても食べ物をあさるのです。
「鯨を捕ってはならない、鯨は頭が良いから」と馬鹿なことを真剣に言う英米の国の動物保護団体があります。しかしこのまま放置すれば、当然の結果として、ブラックバスのように巨大な鯨が増え、小魚を食べ尽くすことになるのです。そしてそのうち鯨自身も餌不足になって発育不全になるのです。
現代は、あちこちで、バランスを大きく崩しているというのに、法律の壁や動物保護団体や事情を知らない政治家や都会育ちの役人や学者さんが、それが良いことのように言っているのです。
「動物保護、植林が環境にやさしい」なんてのは、幻想に過ぎません。世の中もそうですが、特に自然というのはバランスをとるシステムであることを努々忘れてはなりません。

異常繁殖した鹿や猿や猪等の始末、増えたものはタイムリーに減らすことなんです。減ったものはタイムリーに増やすことなんです。どちらが良いどちらが悪いなんて論争は愚かしい限りです。山に住む私達の実感は、もうすでに手遅れな感じなんですが、多分そんな思い切った処置はいつ迄たっても、なされないでしょうね。だって生き物を殺すなんてことを政治家は、選挙に差し支えるので、言いたくありませんからね。
でも生き物の異常繁殖は、他人ごとでもないし、笑ってすますことではありません、早めに真剣にやっておかないとえらいことになります。こういうことは、情に流され、いい加減な気持ちで、タイムリーにきんちんとやっておかないと、悪循環に陥り、山自体の崩壊につながる恐れもあり、今ならまだできる範囲ですが、手遅れになると、後年大きな後悔をすることになるのです。
コメント
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