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ユリウス・カエサル ルビコン以前(下)-塩野七生

2022年04月12日 | 読書
評価5

再読(前回2020年5月28日)。
「賽は投げられた!」紀元前49年1月12日、カエサル50歳と6ヵ月の朝、先頭で馬を駆るカエサルに続いて一団はルビコンを渡った。いよいよ、ガリアでの功績を反故にされたカエサルと元老院派に担がれたポンペイウスとの決戦に突入!

ガリア戦役7年目(紀元前52年)のヴェルチンジェトリックスを首領とするガリア連合軍とローマ軍との最終戦アレシア攻防戦は、ガリア軍34万に対して圧倒的に劣勢だった5万のローマ軍が巧みな戦術で勝利をおさめて、翌年には8年にも渡ったガリア戦役は終結をむかえる。

ここから「ローマ型寡頭共和政は超大国になった紀元前1世紀のローマの現状には適さなくなったので、それにかわる秩序確立」を主張するカエサル派と「元老院指導の少数指導型ローマ共和政の堅持」を主張する元老院派の対立が激化。紀元前49年、元老院派の執政官が反カエサル法案を提出すると、即、カエサル派の護民官が拒否権を発動するという、両派の法を盾にした応酬が凄まじい!そして、ついに元老院派は国家非常事態宣言ともいうべき伝家の宝刀「元老院最終勧告」を発することに成功し、カエサルは国家の敵となり内戦へと突入するのだった。


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