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母校・盛岡一高や岩手のスポーツ情報、読書感想、盛岡風景などをお伝えします。

家庭訪問-思い出話。

2021年01月31日 | 家族・自分
昔は先生の家庭訪問というものがあった。
今でもあるのだろうか?

ある時、ふらっと小学校の担任T先生がやって来た。
焦るわが母親。
昔は、教師の地位が高かったのだ。
母親がお茶を出したところで、当時飼っていたセキセイインコのピーコが飛んで来て、あろうことが、若XゲのT先生の頭に着地。

ツルっ

とはならなかったようだが、顔面蒼白となった母親の顔が忘れられない。

そういえば、中学校の時の数学教師は親の前で子供を平手で殴ったことで有名だった。当時は、何の問題にもならなかった。そんな時代もあったんですね・・・

大学受験

2021年01月30日 | 家族・自分
大学受験で東京に行った。
泊まりは亀戸にある叔父さんの家。ほとんど付き合いがなかった叔父さんではあったが、父が段取りをつけてくれたので、上野駅まで叔父さん夫婦に迎えに出てもらって家におさまった。

叔父さんは近くでゴム工場を経営していて、おばさんは自宅でそろばん塾を開いていたチャキチャキの江戸っ子。と、いうことで、亀戸の家におさまった私は、そろばん塾として使っていた広いスペースの片隅に置かれた二段ベットの上段に寝る者もいない下段におさまったわけだった。

家から持参した携帯ラジオで深夜放送を聴きながら受験日を待った。

受験した大学は立命館だったが会場は茗荷谷の拓大(当時の学長の中曽根康弘のポスターがいたるところに貼ってあった)。妙に早起きしてしまって、叔父さんの家にいるのも気まずいので、下町の少しひんやりする空気を吸いながら会場に向かったのだった。まさか、そこから八王子の地に足を向けるまでさらに1年もようすると思わずに・・・

応援歌

2021年01月30日 | 家族・自分
よく「人生の応援歌」って言うけど、自分にとっての「人生の応援歌」はなんだろう?と考えてみる。

高校の応援歌?
いやいやそりゃ~部活の生徒へ送るものだしなぁ~

勇気が出る歌?やる気になる歌?ヨッシャーと叫びたくなる歌?
とりあえず今は、岡村孝子の「夢をあきらめない」としておこう!

北山第2スキー場ー小学校の思い出話。

2021年01月30日 | 家族・自分
スキーシーズンになると、スキーを担いで名須川町から北山にかかる坂を登って我々が北山第2スキー場とよんでいる小山へ行った。今、考えると、北山第1スキー場はどこだったんだろう?

荒屋新町からやって来た5年、6年時の担任のT先生、突然、
「お前ら眠いか?じゃ~授業はなし!昼寝しろ!」
っていう先生で、結婚式に呼んだほど大好きな先生だった。

息子さんは、今、会社の後輩で、ある。

洋子さんの本棚ー小川洋子・平松洋子

2021年01月30日 | 読書

評価3

同郷で同世代の二人の洋子、作家・小川洋子とエッセイスト・平松洋子による本をめぐる対談集。やっぱり出て来る小川洋子さんの「アンネの日記」と「掛布」。掛布は最初にハマったアイドルだそうで・・・(笑)小川洋子節炸裂!

印象深い箇所を記しておきます。

深沢七郎の「楢山節考」の話がお迎えの話に発展し脳溢血・脳梗塞に行きつき、万一夫婦のうちどちらか一方が目の前で倒れたら「大丈夫?大丈夫?」って言いながら、頭をぐらぐらゆすり合おうねって約束しあってる友人の話になり・・・

平松「周到ねえ、と感心した(笑)」
小川「ああ。余計出血させるように」
平松「そうらしいです」

取り上げられたのが知らない本だらけで、しかも対談形式なので本についての説明もなく話が進行するわけで・・・ついて行くのが大変でした。対談集は注意せにゃなりませんね。

まき運びー小学校の思い出話。

2021年01月29日 | 家族・自分
小学校の時の冬の暖房はまきストーブだった。
冬備えのため、高学年の子供がかり出されて校庭の隅に山盛りになったまきを校舎の軒下に運ぶ・まき運びが晩秋の恒例行事だった。授業がつぶれるので嬉々としてせっせと運んだ記憶がある。

そんなシーズンになると、全校朝礼で合唱した「冬の星座」が懐かしい。初秋の頃に唄った「ちいさい秋みつけた」も名曲でした。