昨日は、わが社の年末大掃除。
その後、社内にてゴミ流し(飲み会)!
ゴミ流しの会場で、こんな発言がっ
「この人のお母さんっ 距離スキーの元日本一なんだぢぇ」
この一言で、
白堊スポーツは感激で震え上がり、その後、スポーツ記者として元日本女王の娘っこへの緊急取材敢行


そのお母さんの名前は
土谷美保子さん(旧姓:清水目)
以下、2005年2月24日付盛岡タイムス記事。
文中の
「高校生の娘」とはわが社に今春入社した

娘っこ。
■スキー国体: 土谷が距離成年女子Bで7位に
安代町で開かれているスキー国体は1日、距離成年女子Bに出場した
土谷美保子(43)=土谷商店=が、5年ぶりの国体で7位入賞を果たした。
土谷は高校チャンプで元日本王者。国体出場回数14回を誇る本県女子距離界の第一人者。「地元国体には出場したら」と夫の典雄さん(45)から勧めを受けてエントリー。競技では
3人の子供の声援を背に力走して復活を遂げた。喜びの陰に家族やコーチ陣の協力があった。
1986年に倶知安であった第41回スキー国体一部で優勝、翌87年に鹿角であった第42回スキー国体二部でも優勝を果たした。出産から2年後に現役を退いて以来、大会といえば県民体育大会がほとんど。それさえも「大会直前にスキー板を引っ張り出したりと、体づくりも何もなかった」と振り返る。
だが、地元国体への意気込みは違った。昨年の秋から
高校生の娘と一緒にジョギングを始め、年明けからは、田山に通う日々を送った。「主婦業もあるし、田山まで通う時間も考えれば、練習ができるのは1日1時間くらい」。家族が土谷を支え、ホームコースとも呼べる田山を繰り返し滑ることができた。
スタート直前に雪交じりの猛烈な横風が吹き荒れ、視界がほとんどなくなった。「わたしのスキーは、天候が荒れれば荒れるほどいいけれど、きょうはちょっと荒れすぎかな」。かつて経験したことのない荒天の中でのレースだったが、
学校を休んで駆けつけた子供たちや夫の声援に全力で応えた。
土谷は「完走できてホッとしたというのが正直なところ。順位は7位でも、また格別です」と話した。
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土谷美保子さんは、全日本ノルディック距離スキーで大東文化大学の学生時代1984年5㌔、10㌔で

優勝、結婚後リクルート所属で1987年(20㌔)1988年(20㌔)連覇を達成した

元日本女王なのだ


昨日、娘っこに質問。
「おめはんは小さい頃から距離スキーはやってたの?」
「やってました!」
「かなり強かったんだべね?」
「いえ~ そうでもなくて・・・お母さんもあきらめたみたいです」
「家の中、トロフィーや優勝カップだらけなんだべね?」
「いーーーーぱいっ ありまーーーーーーーす!」
「今度、取材に行がせでね!」
「了解で~~~~~~~す!」
いや~~~~
ぶったまげだっ!!!!
こんな身近に日本女王の娘がいるとはっ!!
2011年最後にして
最大のお年玉!!!
【おまけ】
わが社のバレーボールアスリート・みっつがJOCジュニア五輪カップ女子岩手代表のアシスタントコーチとして大阪に行って来た。写真は大会トレードマーク入りクッキー!撮影直前に落として割っちまっただ



本来はこの記事がメインの予定だったが、みっつも日本女王に脱帽(笑)。