白堊スポーツ - since 2004.09.18

母校・盛岡一高や岩手のスポーツ情報、読書感想、盛岡風景などをお伝えします。

2004年最期の雑感

2004年12月31日 | その他のスポーツ
今年のスポーツで涙がチョチョ切れる(古い・・・)ほど感激したシーンは3つ。

1.アテネ五輪「水泳女子800自由形 柴田亜衣・逆転金!」

五輪があったことをすっかり忘れていた。(笑)
期待はしていたのだがついつい「体操・金」は見そびれてしまったし、他にも感動のシーンはあったと思うが、やっぱり「柴田亜衣」だ!

まぁ、これも偶然LIVE観戦してしまった「岩崎恭子」と同じパターンではある。夜中何気に目覚めてしまい、付けっ放しのテレビに目をやると(五輪期間中は常に臨戦態勢だったのだ)なにやら日本人選手がトップ選手に小判ザメよろしくピタッと食い付いているではないか!

「いずれ落ちるべな・・・」
「長距離自由形で、メダル取ったらえらいこっちゃ」
「なぬっ!もしがしたら、抜ぐんでね~の!?」
「えーっ!すげー!」
「いぐぅえー!いぐぇー!柴田ー!いげー!」
「やったー!すんげー!すんげー!奇跡だ!」
「おい!起ぎろじゃ!日本人女、自由形で金取ってしまったじゃ!」
「○×★△■◆※・・・・」

ホントびっくりした。
涙が出てきた。
で、冷静になり、山田沙知子ではない・・・

「柴田ってだれ?」

2.夏の岩泉戦9回表3-3からの国保決勝弾!

3.選抜ハンド県予選、残り10秒の逆転弾!

やんや、まんずスポーツには感動させられる。
使い古された言葉だが、筋書きの無いドラマだからいいのだ。
筋書きのある「高校野球」「スポーツ」なんぞ見たくも無い!

2005年こそは我盛岡一高野球部、そして各クラブ、筋書きの無いドラマを見せてくれ!

当HP開設以来、今年はみなさまにお世話になりました。
事情があり年始の挨拶はご遠慮させていただくこととなりますが、今後ともごひいきのほどよろしくお願いいたします。


日々更新も苦にならない訳

2004年12月29日 | ノンジャンル
実は小生、学生時代「スポーツ新聞記者」を夢見た時期がある。

だが、就職活動を始めてからようやく勉強していないことに気付いた哀れな小生は入社試験すら受けずスゴスゴと田舎に舞い戻ったのであった。
考えてみれば、このHPでその夢を少しばかり実現できていると言えるのかもしれない。

仁王小学校の児童会ではよくガリきりをやった。
下橋中学校では新聞委員、一高では生徒会誌委員、会社では組合報の創刊と社内報作成を手がけた。
まぁ、根っからのスポーツ好きと同時に、根っからの新聞作り好きである。

娘は大学入学当初、親の影響からか「スポーツ記者になりたい」などと抜かしておったが今では何を考えておることやら。。。しかも心理学科だ。
万々が一スポーツ記者になったら、ピタッとくっついて歩いて有名選手のサインを貰いまくりたいと思う今日この頃である。(笑)


サッカー選手の喋りについて

2004年12月28日 | サッカー
前々から気になっていたのだが、サッカー選手の喋りを聞くと

「○○だし、××だと思うし、△△だろうし」

という感じで、やたら「し」が多く、途中「。」で切れずダラダラ続く印象がある。
元祖はカズだと思うが、確か、名波、稲本、高原、大久保もこの喋り。
みんなカズの真似してるのか?とも思うがどうなんだろう・・・?
サッカー選手ぐらいではないかな、こんな奇妙な喋り方は。
小生には妙に鼻に付く(否)耳に付くのでした。(笑)


三高戦、見事な逆転勝利! ハンド

2004年12月26日 | 白堊スポーツ
今日は久し振りに燃えた。
残り2分を切ってからの逆転勝ち!なんともこたえられない試合だった。
同点になるペナルティースローのボールは最初いつもの15番が持っていたが、「ぎゃ~痺れる場面だ。キャプテンの長野君に任せるべきでは・・・?」と思っていたところ、ベンチからの指示で長野君がキーパーと対峙。そして見事同点!
1分を切るあたりから双方ボールが手に付かず勝利の女神も行ったり来たり。最期は野舘君がビシッと右サイドから切り込んで決めてくれた。

昨日の南戦とは正反対の追いかけても追いかけても点差が縮まらないイライラする展開だったが、最期まで喰らいついて逆転の好機を逃さなかった選手諸君の精神力たるやたいしたもんだ!

これで、新人戦で四高を撃破!今大会で南と三高を撃破!
残るは東北チャンプ不来方だ。不来方=全国である。
不来方を目標に研鑽を積んで欲しい!
東北大会を勝ち抜き選抜に出場することは勿論だが、不来方を撃破してのインターハイ出場を目指しガンバレ盛岡一高送球部!!

県営体育館の応援団

2004年12月25日 | 白堊スポーツ
今日の選抜ハンドボール県大会、一高応援団が陣取り、県営体育館はものすごい大音響に包まれた。
M旗応援リーダー7名、応援リーダー女子1名、学生服姿の男子5,6名、女子2名。OBが4,5名。室内だけに和太鼓の響きはすさまじく、いつもなら効果を発揮する他チームのチアホーンも全く歯が立たず一高の圧勝であった!
応援効果だけではあるまいが、第1試合不来方にやられっぱなしだった一高も第2試合盛岡南戦では息を吹き返してテンポ良い攻めに転じ快勝!
明日の三高戦も試合ともども応援振りも楽しみである。

全日本レスリング(TV観戦)

2004年12月23日 | その他のスポーツ
女子、伊調(妹)、吉田の金メダリスト順当に優勝。
従来の1ピリオド3分・2ピリオド合計ポイント制から1ピリオド2分・3ピリオド中2ピリオド先取制にルール変更。
わかり易いと言えばわかり易いが、1ピリオド2分は短すぎないか・・・
で、消極性のポイントがなくなったらしく、1ポイント先取してあと逃げまくりでは競技上面白みに欠けてしまうのでは(?)と心配ではある。
金メダリスト富山英明氏の明快な解説が光っていた。


第1位 父他界

2004年12月22日 | 私の十大ニュース
2004年1月21日

弥次郎88歳天寿をまっとうしての他界。
葬儀の日の盛岡はまれに見る大雪だった。
小生のハンドルネーム「弥次郎」から本名に改める。
高校野球は小学2年頃から市営球場や盛鉄球場に連れて行ってもらった。
スポーツ好きは親父のおかげ。

第2位 娘大学進学・入学式

2004年12月21日 | 私の十大ニュース
2004年4月3日

入学式のために新婚旅行以来女房と二人で上京。
入学式といっても、父母は別室にて大型モニターを見ながらの出席であまり実感はなかった。おかげで、長い道程を歩いて汗だくになった田舎者二人は上着を脱いでの入学式「鑑賞」となったのだった(笑)。
その日の夜は「白堊90」管理人水原夫妻と神楽坂で宴会し、二次会はホテルの部屋で。ほとんど記憶がない。。。電車から見た水道橋界隈の桜がとても綺麗だった。

キャンパス内の坂道~山の中('03.11)


秋のキャンパス('04秋)




第3位 ホームページ開設

2004年12月20日 | 私の十大ニュース
2004年9月18日

朝、佐藤(泰)先輩から白堊の「堊」を頂いて、昼頃には「黒堊」HP完成。
↓こんな感じだった。

早速各方面に通知したところ、佐藤先輩、根子さん、装飾一代男さん(お元気ですか?)、桜雲台さん、氏家さん、dreamさんから祝福を頂き感激する。
今、考えるとあの状態で「ホームページ開設!」と各方面に触れ回ったことは無謀だったような気もしないではない(笑)。

第4位 甲子園に届かず

2004年12月19日 | 私の十大ニュース
2004年7月21日

広田水産、岩泉と連勝で迎えた水沢工戦。
延長サヨナラ負け。。。
甲子園には届かなかったがわずか1失策だったことがとてもうれしかった。
昨秋、今春ともに守備はひどかった。
1試合毎に成長してることが手に取るようにわかった。
もっともっと選手達の成長する姿を見たかった。
当日東京で研修中の小生は携帯を盗み見しつつ気が気じゃなかった。
6番荒道君のパパと話した時は正直グッと来た。