白堊スポーツ - since 2004.09.18

母校・盛岡一高や岩手のスポーツ情報、読書感想、盛岡風景などをお伝えします。

私の2021年の記録

2021年12月31日 | 家族・自分
今日は歩き納めで7.8㌔歩いてきました。

「12月の記録(28日間)」
・293,709歩(一日平均10,490歩)
・238.2㌔(一日平均8.5㌔)
・読書16冊

「4月からの記録(194日間)」※記録を取り始めたのが4月から
・2,440,677歩(一日平均12,580歩)
・1,816.7㌔(一日平均9.4㌔)
・読書127冊

「歩いた範囲」
・東端=沢田橋(往復)
・西端=小岩井駅(片道・復)、土淵小学校・中学校(往復)
・南端=いわぎんスタジアム(往復)
・北端=四十四田ダム(往復)

また来年も頑張ります!(ケガをしないよ~にして・・・)

坂の上の雲(5)-司馬遼太郎

2021年12月30日 | 読書

評価4

再読(前回2019年10月19日)。
旅順要塞攻撃に悪戦苦闘する乃木隊を見るに見かねて総参謀長の児玉が出陣し、ついにこれを征服。連合艦隊は10ヵ月ぶりに佐世保、呉へ帰港し、来るべき海戦への英気を養う。バルチック艦隊は、故障や乗組員の反乱、石炭積込み拒否などに悩まされながらも、なんとかマダガスカル島へたどり着く。

旅順攻撃おける日本軍の死傷者数は兵力10万のうちの6万人にのぼったという。結局は児玉源太郎が出て行って戦況を一気に転換せしめたわけだが・・・乃木の無能ぶりといい、この小説の内容は100%事実なのだろうか?と少々疑問を感じるところがなくはないが、私の読書感想としては、読んだ本の中身で語るしかないわけなのでこの辺はご容赦くださいね。

それにしても、バルチック艦隊の航海の様子が波乱万丈でとても面白い!地図片手に読んでます(笑)。





坂の上の雲(4)-司馬遼太郎

2021年12月29日 | 読書

評価4

再読(前回2019年10月19日)。
日露戦争、陸軍は遼陽会戦、沙河会戦でロシア側を撤退に追い込み奉天へ到達した。一方、海軍は陸軍による旅順攻略に期待を寄せていたが、乃木隊の頑迷な作戦によって現状打開に至らず艦船の修復もままならず無為な時を過ごす。そんな中、バルチック艦隊が1万8千海里先の日本を目指して出港。

秋山好古は騎馬第一旅団長として遼陽・沙河会戦で最左翼を担い、コサック騎兵相手に活躍。弟の真之の活躍は日本海までお預け。しかし、乃木軍の頭の固さには呆れるばかり。官僚組織の硬直化はこの頃からあったのかぁ~と暗澹たる気持ちになる。なお、これに対抗するかのようなバルチック艦隊の司令長官・ロジェストウェンスキーの低能ぶりも凄い(笑)。

以下、岩手関連の記述を記す。
・陸軍大学校第1期生で戦術の成績がトップだったのは南部藩出身の東條英教(東條英機の父)で、日露戦争時の歩兵旅団長。
・旅順攻撃で活躍した23サンチ榴弾砲が純国産化されたのは、イタリア製を止めて釜石銑鉄に切り替えた明治26年。



坂の上の雲(3)ー司馬遼太郎

2021年12月28日 | 読書

評価3

再読(前回2019年10月14日)。
正岡子規が肺結核で逝き、明治37年2月10日、日露戦争の火蓋が切って落とされた。秋山好古は騎兵旅団を率いて遼東半島へ、弟真之は連合艦隊少佐として旅順へ向かう。ロシア側は野戦司令官のクロパトキンが登場し役者は揃った。本格的な闘いがこれから始まる。

旅順港口の汽船沈下における攻防や騎兵隊のつばぜり合いで日露双方のとらえ方の違いがわかって面白い。ロシア側の官僚的な思考が垣間見られる。実はこれが次巻以降の伏線となるのだ。

「ロシア人は、民族としてはお人よしだが、それが国家を運営するとなると、ふつう考えれないようなうそつきになるというのは、ヨーロッパの国際政界での常識であった。」この文章に思わずニヤリとしてしまった。<ロシア人=お人よし>についてはロシア語通訳者の米原万里さんのエッセイでも確認済み(笑)。



坂の上の雲(2)ー司馬遼太郎

2021年12月26日 | 読書

評価5

再読(前回2019年10月12日)。
秋山好吉・清国駐屯軍司令官就任、真之・米西戦争観戦、正岡子規・雑誌「ホトトギス」創刊まで。明治27年開戦の日清戦争で日本海軍初の連合艦隊方式採用。北清事変勃発でニコライ2世のロシアと日本は敵対関係が露わになり、日本は極端な財政出動により軍艦の建造に走る。

大津事件の当事者・ニコライ2世の日本への復讐心が語られ、当時のロシアの極東南進へかける計画が頁数をかけて詳述されているのがうれしい。列強に翻弄される清国の動きも詳しくわかる。また、米西戦争の米国によるキューバでの海上封鎖を綿密に観察した真之の明晰な頭脳に感服。これが日露戦争で生かされるのだ!