評価5
再読(前回2020年5月23日)。
カエサル40歳~46歳まで。紀元前59年、執政官に就任したカエサルはポンペイウス、クラッススとの三頭政治を軸に農地法、国家公務員法を制定、元老院議事報を実現し、翌年以後は属州総督としてガリアに侵入するゲルマンを中心とした部族への対応に追われる。
紀元前58年(ガリア戦役1年目)、ゲルマンとの戦いは、ライン河を基本的防衛線であることを示す国家ローマにとっての重要な戦いとなった。その後、紀元前55年(ガリア戦役4年目)にはドーバー海峡を越えてブリタニア(英国)へ侵攻し、翌年にはブリタニア部族の恭順を勝ち取っている。ローマ国外の対応に追われるカエサルだったが、国内は依然「三頭派」と「元老院派」のにらみ合いが続いていたのだった。
「カエサルのプリタニア進攻時にイギリスは誕生したにもかかわらず、ゲルマンはまだ部族闘争中だった」として、ドイツを蔑む英国人気質・・・これには笑った。ギリシア人も英国人も良い根性しています(笑)。
再読(前回2020年5月23日)。
カエサル40歳~46歳まで。紀元前59年、執政官に就任したカエサルはポンペイウス、クラッススとの三頭政治を軸に農地法、国家公務員法を制定、元老院議事報を実現し、翌年以後は属州総督としてガリアに侵入するゲルマンを中心とした部族への対応に追われる。
紀元前58年(ガリア戦役1年目)、ゲルマンとの戦いは、ライン河を基本的防衛線であることを示す国家ローマにとっての重要な戦いとなった。その後、紀元前55年(ガリア戦役4年目)にはドーバー海峡を越えてブリタニア(英国)へ侵攻し、翌年にはブリタニア部族の恭順を勝ち取っている。ローマ国外の対応に追われるカエサルだったが、国内は依然「三頭派」と「元老院派」のにらみ合いが続いていたのだった。
「カエサルのプリタニア進攻時にイギリスは誕生したにもかかわらず、ゲルマンはまだ部族闘争中だった」として、ドイツを蔑む英国人気質・・・これには笑った。ギリシア人も英国人も良い根性しています(笑)。
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