1月31日付 読売新聞編集手帳
〈これきりと思ふ日もあらん角力(すもう)取(とり))。
江戸の俳人、秋色(しゅうしき)の作という。
もとは寄る年波で力の衰えた力士の胸中を察した一句だが、
現代人には別の読み方もできる。
不祥事つづきで伝統の大相撲もついにこれまでか、
一時は悲観した関取衆もいただろう――と。
八百長問題で大量25人を追放し、
異例の本場所中止も決断するなど、
信頼回復への荒療治を終えて日本相撲協会の放駒理事長(元大関・魁傑)が退任した。
大相撲存亡の“徳俵”に足がかかった、
という緊張感があってだろう。
真(しん)摯(し)で、
率直な物言いが印象に残る。
後任の理事長には北の湖親方(元横綱)が返り咲いた。
3年半ほど前、
大麻事件で引責辞任した折は世間の視線を軽視してか、
理事会の席上、
「私は少し休んで、理事長代行を立てたい」
とお気楽な提案をして不信をあおったのは記憶に新しい。
放駒体制下で幾らか風通しの良くなった組織が以前の閉鎖的な角界ムラに戻るようでは、
大相撲もついに〈これきり〉と見捨てられる日が来ないとも限らない。
北の湖理事長にはこれからの任期が、
器量と資質を世間に問う“技量審査場所”になる。