2月17日付 読売新聞編集手帳
日本将棋連盟会長の米長邦雄永世棋聖(68)が
特別公式対局でコンピューターソフトに敗れたのはひと月ほど前である。
私は勝てるだろうか?
対局の直前、
夫人に尋ねている。
近著『われ敗れたり』(中央公論新社)によれば、
夫人の答えは「勝てません」。
全盛期に比べて、
決定的に欠けているものがあるという。
「あなたはいま、若い愛人がいないはずです。
それでは勝負に勝てません」
実戦は米長さんが序盤で優位を築いたが、
コンピューターが挑んできた角交換の“斬り合い”を
穏便にいなしたあたりから形勢が逆転した。
睨(にら)みつけてきた相手の〈視線を避けてしまった〉と米長さんは表現している。
思い当たったという。
「そんな意気地なし?」
という大切な誰かの声が勝負どころで胸をよぎるか、
よぎらないか…。
愛人談議に託し、
夫人は意気地を語っていたのだと。
「円熟」ではなく闘争本能健在の老成「角熟(かくじゅく)」を唱えたのは
元日本医師会会長の武見太郎氏だが、
米長さんの回想も将棋を離れて、
老後の生き方の参考になりそうである。
心に若い愛人を――家では口にしにくい格言も、
たまにはある。