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岩波書店 創業100年 戦争を乗り越えて

2013-08-06 08:00:02 | 報道/ニュース
8月6日 おはよう日本

岩波書店が創業したのは大正デモクラシーのさなかの大正2年。
最初に手掛けたのは夏目漱石の「こころ」だった。
昭和2年から刊行を始めた岩波文庫はこれまでに5,650点が出版された。
(岩波書店 岡本厚社長)
「特権階級・大学の先生・知識人だけが知識を持っていた時代から
 一般の人たちが知識を求め始めた。」
しかし日中戦争から太平洋戦争に至る時期
軍人を侮辱した内容などで出版物が発禁・削除処分になる。
一方で軍が認めた岩波文庫の作品は前線の兵士などに慰問品として送られ
岩波書店は特別に軍から紙の配給を受けた。
終戦の年に戦争を止められなかった反省をもとに創刊したのが月刊誌「世界」である。
当時としては異例の8万部が売れた。
(岩波書店 岡本厚社長)
「言論が自由になったので非常に激しい雑誌ブームだった。
 『世界』はじっくりものを考え発信していくような落ち着いた雑誌にしようと。」
戦後最大の社会運動とされる60年安保闘争。
紙面で「いまこそ国会へ」と呼びかけ国会周辺に多くの人が集まるきっかけになったという。
ベトナム戦争や沖縄返還 公害が社会問題化した1970年代にかけては戦後の論壇の一翼を担っていた。
しかし東西冷戦の終結とともに発行部数は減り
最近は終戦の年の創刊号を下回る6万部にまで落ち込んでいる。
その発行部数に変化が現われたのが2年前の東日本大震災。
特集号がテーマに掲げたのが「生きよう!」だった。
2回の増刷を行い8万部を発行した。
(岩波書店 岡本厚社長)
「生きようというのは叫びのようなものかもしれない。
 祈りのようなものであるかもしれない。
 これまでの論理的な言葉ではない言葉。
 こういう言葉でしか表現できない事態に自分たちがいると考えた。」
101年目の歩みを始めた岩波書店。
岡本社長は出版不況と言われる中でも物事を正しく判断するために活字は必要だと考えている。
(岩波書店 岡本厚社長)
「人間が自分が抱える問題を解決しようという意欲がある限り
 本や雑誌はなくならない。
 ネットやスマートフォンで活字文化が見放されていると言われるが
 見直される時が来ると思っている。」
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