7月3日 編集手帳
島崎藤村に『別離』と題する詩がある。
〈梅の花さくころほひは
蓮(はす)さかばやと思ひわび
蓮の花さくころほひは
萩(はぎ)さ かばやと思ふかな〉
この花が咲けば、
あの花が見たい。
その花が咲けば今度はまた別の花が待ち遠しい。
“無い物ねだり”は人の世の常だろう。
風流心の乏し い身は、
詩人のようにいま咲いている花から次の花へ“思ひわび”た経験はないが、
冬の木枯らしに夏を慕い、
夏の炎暑に冬を懐かしみ、
四季の無い物ねだりは 常連である。
一昨日の東京版がハス(蓮)の写真を載せていた。
1400年以上も前の種子から発芽した約10万株の「古代ハス」が埼玉県行田市で見ごろだと いう。
花弁のやわらかな薄紅色が美しい。
傘の持ち歩き。
落雷の心配。
滑りやすい舗道。
小さな面倒くささ、
鬱陶(うっとう)しさに辛抱がしばらくつづく。
身近な花にしばし心を休める人は多かろう。
永井荷風の筆名は「荷」(=ハス)に吹く風の意味というが、
その名前のように涼風が花に吹き渡る梅雨明けが待ち遠しい頃である。
明けたら明けたで熱帯夜に音(ね)を上げて、
〈萩さかばや…〉と秋の花を無い物ねだりするにしても。