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第1次大戦から100年 ②どう乗り越える民族対立

2014-07-15 07:15:00 | 海外ネットワーク

6月29日 NHK海外ネットワーク


ボスニアはイスラム系、セルビア系、そしてクロアチア系と3つの民俗が暮らし
かつて民族浄化というおぞましい言葉で知られる三つ巴の内戦の舞台ともなった。
100年前のサラエボ事件めぐっても
オーストリアの皇太子を殺害したセルビア系の男の犯行が暗殺だったのか
それとも英雄的な行動だったのか
いまも民族によって歴史認識が大きく異なっている。

サラエボ事件から100年。
セルビア系の住民が多く暮らす東サラエボでは事件を起こした男の銅像の除幕式が開かれ大勢の住民たちが詰めかけた。
男を英雄視するセルビア系住民が事件を記念して建てたのである。
セルビア系の学校で行われたサラエボ事件の裁判をえがいた劇を演じるのは子どもたち。
(実行犯を演じる少年)
「私たちの理想のために事件を起こした。
 みんなのためを思ってのことだ。」
裁判で男は民族の誇りを守るために犯行に及んだと主張した。
セルビア系の学校では男は英雄だと教えられている。
(セルビア系の学校教師)
「青年の行為を風化させてはいけない。
 歴史の真実を劇で伝えたいと思った。」
これに対しイスラム系の学校ではサラエボ事件について真逆の評価を下している。
「プリンツィップは皇太子夫妻を暗殺した。
 皇太子妃は身ごもっていたというのに。」
事件について授業で発表する生徒たち。
残虐な行為だったと強調している。
ボスニアでは各民族の学校ごとに異なる歴史教科書が採用されている。
イスラム系の教科書では男を暗殺者だったと記述している。
(イスラム系の学校の生徒)
「大戦のきっかけを作ったわけだから男がやったことは実にばかげている。」
ボスニアでの民族対立は90年代に再燃。
大勢の犠牲者が出る内戦にまで発展した。
内戦を経験したひとり イスラム系学校の歴史教師をしているセナダ・ユーシッチさん(32)。
内戦で父親は前線に駆り出され家には母と子どもだけが残された。
砲弾が飛び交う中を逃げ惑う毎日だった。
(セナダ・ユーシッチさん)
「幼くて内戦の理由はわからなかったが争いをやめてほしいと強く願っていた。」
異なる民族が共存するために自分にできることは何なのか。
ユーシッチさんはセルビア系など多民族の教育関係者と一緒に歴史の教材作りに参加することにした。
教材は開戦の100年の節目となる今年
各国の子どもたちを招いて行う歴史プロジェクトで使うものである。
(セルビア系の元教師)
「政権が変わるたびに歴史解釈も変わってきた。
 しかし教科書の記述だけが歴史ではない。」
教材の中で事件をどう記述するか。
議論の末民族ごとに真っ向から食い違う見解を無理にひとつにまとめるわけにはいかないということになった。
完成した教材ではサラエボ事件を報じる当時の新聞記事をできるだけ多く紹介した。
(セルビアの新聞)
“事件はあくまで1個人が起こしたもので民族全体の責任にすべきでない”
(オーストリアの新聞)
“暗殺は虐殺にも等しい行為”
同じ事件でも民族によって異なる見方があることを教材を通じて子供たちに伝えたいと考えた。
(セナダ・ユーシッチさん)
「この100年の節目は歴史を見直す機会にしてほしい。
 私たちの取り組みが意見の違いを克服する一歩になってほしい。」

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