7月2日 キャッチ!
古代シルクロードの分岐点として栄えた中国西部甘粛省の敦煌。
1998年にこの地を題材にして映画が上映されたのをきっかけに日本からの観光客が急激に拡大。
2005年ごろには年間4万人から5万人に達した。
しかしここ数年の間に日本人観光客をめぐる事情は大きく変わったという。
(みやげ物屋 店員)
「以前は日本人が1日約500人も来ましたがこの2,3年は大幅に減りました。
特に今年は日本人を見かけません。」
敦煌で日本人向けのガイドを務める曹さん。
大学で日本語を学び20年以上もこの仕事を続けてきた。
ところが最近 日中関係の悪化を背景に日本からの観光客は大幅に減少。
今では年間1万人以下に減ったという。
曹さんが経営する地元の旅行会社でもかつては15人もいた日本人ガイドは3人に減った。
曹さんは国内の観光客を相手にホテルを運営するなどして経営を維持しているが
せっかく学んだ日本語を生かす機会が減ったことを残念に感じている。
(観光ガイド 曹さん)
「日中関係が早期に改善し正常な状態に戻ればと思います。
また多くの日本人に敦煌へ来てほしいです。」
一方 日中関係が悪化するなかでも得意の日本語を生かしてキャリアを積み重ねていこうという若い世代の中国人も少なくない。
革製の衣料品などの製造販売を行っている横浜の会社。
中国江蘇省出身の方歓さん。
北京の外国語大学で日本語を学び5年前卒業と同時にこの会社に就職。
日本で接客などを学んできた。
将来中国に出店しようと計画するこの会社。
採用した中国人の学生に日本の店舗で5年以上かけて実務を積ませた後
中国に戻って店の経営者になってもらおうという考えである。
実習生は6月には9人にまで増える予定である。
いまや日本での生活やビジネスのやり方にすっかり慣れた方さんだが
最初は電話でお礼を言うときにも頭を下げる日本人の生真面目さに驚かされたと言う。
(中国人従業員 方歓さん)
「日本は想像していたものtずいぶん違っていました。
日本人は礼儀正しいです。
多くの中国人の日本に対するイメージは昔のままで理解不足です。」
店頭の仕事は一通りこなすようななった方さん。
経営者になれば必ず求められる商品の仕入れもある程度まかされるまでになった。
店に訪れた鞄メーカーの担当者と打ち合わせを行った。
店での商品の売れ行きを考慮しながら商品の種類から品数まで注文内容を決めていく。
(鞄製造業者 八島功さん)
「お店のお客様の商品の好みをわかっているので
提案するものでもいらないときはきちんといらないと言う。
手ごわいです。
すごい手ごわいです。」
革製品メーカー 権田浩幸社長は中国人の新卒の採用を始めて5年になるが
日中関係が悪化する中で一度採用を決めた学生が親に反対されて内定を取り消さざるを得ないケースもあったと言う。
それでも実習生たちが懸命に働く姿を見て
中国人の若い人材を育てていくという方針に間違いはないという確信を強めている。
(革製品メーカー 権田浩幸社長)
「これ以上悪化してほしくない。
政治的混乱があったとしても人と人との交流は止まってはいけない。」
方さんの両親も一時は日本で働く娘のことを心配していた。
方さんは両親を日本に招いて自分の生活や仕事ぶりを見てもらいようやく安心してもらえたと言う。
しかしそうした苦労がありながらも日本企業での仕事は自分を成長させてくれると信じ
これからも続けていく覚悟である。
(中国人従業員 方歓さん)
「日中関係はこれまで良い悪いを繰り返してきたので
長い目で見れば改善いていくと思います
今はこの仕事に集中して将来は中国で業績を上げたいです。」
中国で日本語を勉強している人は一昨年の時点で100万人を超えている。
世界で日本語を勉強している人の4分の1が中国人である。
しかし小泉政権時代に日中関係が悪化した後の2006年からの6年間で50%以上増えている。
背景にはアニメなどの日本文化への関心とともに
日本との経済関係が緊密になる中で日本企業への就職の道が開けることがある。
こうした日本語を学ぶ中国人の間には中国と日本との関係を長い目で見ている人が多く
日中関係が悪化しても日本とのつながりが途切れるわけではないと冷静に考えている人が少なくない。
国際協力銀行のアンケート調査では
中国での海外事業展開が有望だと考える製造業の比率が
2012年 62,1% → 2013年 37,5%
と急落した。
日本から中国への投資の額も今年に入ってから5月までの数字が去年の半分程度にまで落ち込んでいる。
両国の政治的関係が悪化する中では経済的な交流も縮小しているのが現状である。