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“若旦那”で温泉街ににぎわいを

2015-05-06 07:30:00 | 報道/ニュース

5月3日 おはよう日本


福島市の郊外
山間に旅館が立ち並ぶ土湯温泉。
いまこの町で話題になっているのが“若旦那”。
去年8月には若旦那図鑑も発行。
温泉を訪れる女性を中心に人気を集めている。
(観光客)
「温泉はあまり来なかったけれど興味持って来ようかと思った。
 イケメンだから。」
(土湯温泉の人)
「愛想もいいし可愛いんだ。」
みんなの人気者になった若旦那たち。
そんな彼らが表舞台に立つきっかけとなったのが4年前の原発事故だった。
事故の影響を受け観光客は激減。
3割の旅館が廃業に追い込まれた。
苦境を真乃蒼有にした若旦那たちは
自分たちに何ができるかを考えるようになった。
(若旦那 渡邊利生さん)
「低迷して街に対しての思いが強くなった。
 町に対して何かやりたいというエネルギーがつらいものを経験したことによってあった。」
そんな若旦那の存在に可能性を見出した人がいる。
福島大学院 情報ビジネス科 講師 木村信綱さんである。
若い男性が温泉街の魅力をPRすれば女性客の獲得につながると考えたのである。
(福島大学院 情報ビジネス科 講師 木村信綱さん)
「いい温泉 おいしい食べ物は当たり前
 目新しさがない。
 ここにしかない
 ここで頑張っている若旦那に会ってみたい 
 応援したいというニーズを作り出したい。」
(渡邊利生さん)
「え~って思いましたね。
 僕たちが出ても冊子を手に取ってくれる人は誰もいないだろうな。」
これまで裏方に徹してきた若旦那たち。
戸惑いながら作り上げたのが若旦那図鑑だった。
すると全国から問い合わせが殺到。
会いにくるお客まで現れた。
(渡邊利生さん)
「原発事故に見舞われた環境だからこそ
 なんかやればみんなの目を引く。
 みんな注目してくれるというチャンスが福島にはあると思います。」
若旦那たちはいま自分たちの人気を積極的に活用しようとしている。
地元のアイスクリーム店と一緒に土湯オリジナルのアイスクリームを作ろうと居のである。
その味は若旦那1人1人の個性をイメージしたもの。
土湯温泉の新たな名物となった若旦那。
原発事故というピンチをチャンスに変えて
元気な姿を発信し続けている。
(渡邊利生さん)
「自分たちも面白おかしく楽しみながら
 いろんな人とかかわっていく中で
 大きなことも徐々に出来てくるんじゃないか。
 そうすることでさあに面白いことが出来るんじゃないかと期待を込めてやっている。」



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中東の人々に「はだしのゲン」を

2015-05-06 07:30:00 | 報道/ニュース

4月25日 おはよう日本


「はだしのゲン」。
広島で被爆し
家族を失った悲しみや後遺症と戦いながらたくましく生きる少年の姿を描いた中沢啓治さんの漫画である。
これまで英語やロシア語、ペルシャ語など20以上の言語で翻訳され
世界各国で読まれている。
戦後70年になる今年
新しく出版されたのがアラビア語である。

今年1月 アラビア語に翻訳された第1巻がエジプトで出版された。
翻訳を手がけたのはカイロ大学で日本語や日本文化を教えているマーヘル・シリビーニ教授である。
(カイロ大学 マーヘル・シリビーニ教授)
「この本を通じて平和への新しい考えをアラブ人に紹介したい。」
5年間広島大学に留学していたシリビーニ教授。
広島の人々と交流する中で
被爆の体験を後世に伝える活動に自分も関わりたいと強く思うようになった。
中東で紛争やテロが頻発する今こそ
この作品を通じて
アラブの人々に核兵器や平和について考えてほしいと翻訳する決意をした。
(マーヘル・シリビーニ教授)
「今 アラブでは戦争があったり殺し合いをしたり大変嫌な時だ。
 それが平和になるように呼びかけたい。」
シリビーニ教授は今年から大学の講義で「はだしのゲン」を使い始めた。
絵が持つ力強さとアラビア語に訳されたセリフを通して
学生たちに核兵器の悲惨さを理解してもらうのが狙いである。
(学生)
「原爆投下はとてもひどいことだとわかった。」
「日本が当時経験した悲惨な状況が伝わってきた。」
授業を受けている学生の1人 アヤ・リズクさん。
アヤさんが最も心を揺り動かされたのが
倒壊した家の下敷きとなった家族を必死で救おうとする場面。
ゲンの姿が
同じように家を破壊され家族を失った中東の人たちと重なると言う。
終わりの見えない紛争が続く中東地域。
人々は紛争やテロと隣り合わせの生活を強いられている。
アヤさんの大学のすぐ近くでも何度も爆弾テロが起きた。
(アヤ・リズクさん)
「ゲンの弟が燃えさかる家の下敷きになり助けを求めて叫ぶ場面は切ない。
 シリアやガザの子どもたちも厳しい状況から助けてくれと叫んでいると思う。」
{はだしのゲン」をきっかけに戦争について深く考えるようになったアヤさん。
原爆を経験した日本人が戦後どんな思いを抱いてきたのか。
友人たちと調べる中である被爆者の姿勢に大きな感銘を受けた。
“報復するのではなく互いに許しあうことが大切だ”という言葉だった。
(学生)
「あなたが被爆者だったら戦争で敵だった国の人を許せる?」
(アヤ・リズクさん)
「許せないかもしれない。
 日本人は正しい道を選んだと思う。」
「戦後 日本人は報復ではなく許すことを選んだ。
 なぜそのような選択ができたのか
 深く知りたくなった。」
学生たちの声にこたえるためシリビーニ教授は広島とテレビ電話をつなぎ
被爆者に直接話を聞く特別授業を開いた。
アヤさんたちの疑問に答えられるのは被爆者しかいないと考えたのである。
アヤさんは中学生の時に被爆した男性に疑問をぶつけた。
「復讐しようとは思わなかったのですか?」
(男性)
「日本には昔から“”日の敵は今日の友”という言葉がある。
 核兵器をなくすということは人類全体の課題。
 実現の道は遠いかもしれないがあきらめてはだめなのだ。」
アヤさんたちが教えられたのは
憎しみの連鎖を断ち切る大切さだった。
(アヤ・リズクさん)
「敵を許すということは起きた悲劇に立ち向かうことだとわかった。
 命の大切さをもっと感じるべきだ。」
シリビーニ教授は中途の若者にこそ「はだしのゲン」のメッセージを心に刻んでほしいと思っている。
(マーヘル・シリビーニ教授)
「1度目は広島
 2度目は長崎
 3度目が無いようみんなで考える課題かと思う。
 よく考えないといけない。
 平和が無ければ何もできない。」
被爆の惨状と戦争の愚かさを訴え続けてきた「はだしのゲン」。
平和を願う被爆者のメッセージが国境や世代を超え
紛争苦しむ中東の人々の心にも響き始めている。

 

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