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「ジャパンタウン」町の名に込めた思い

2015-05-15 07:30:00 | 報道/ニュース

5月2日 おはよう日本


ロサンゼルス郊外のソーテルと呼ばれる地区。
スーパー、回転ずし、100円ショップと様々な日本の店が並んでいる。
ソーテル地区は和食や盆栽など日本文化を感じることが出来る
と多くの人が訪れる人気の場所となっている。
「土曜のお昼は家族みんなで日本食を食べると決めていて
 わざわざ来るのよ。」
「日本文化の独特の雰囲気を味わいにテキサスから来たんです。
 とても気に入りました。」
ここで生まれ育った日系3世のランディー・サカモトさん(68)。
「1920年代の初め
 私の祖父たちはここに住んでいました。」
約100年前に日本からの移住が始まったソーテル地区。
サカモトさんの祖父が住んだ頃
日系人はその地区など限られた場所に住むことしか事実上許されなかった。
祖先たちがそんな差別に屈することなく
町を発展させてきた苦労の歴史を何らかの形で残せないか。
サカモトさんは仲間たちと約1年半にわたり署名運動などを行い
ロサンゼルス市にこの地区の名前を「ソーテル・ジャパンタウン」とするよう働きかけた。
(ランディー・サカモトさん)
「ほかの名前では日本人の町としての歴史を連想できない。
 “ソーテル・ジャパンタウン”とすることで歴史を感じてもらいたかった。」
そして今年3月 サカモトさんたち日系人の思いが実現した。
市議会の議決を経て
この地区は正式に「ジャパンタウン」という名前になったのである。
8ランディー・サカモトさん)
「本当に感激している。
 渡井はこの地区で生まれ
 ここはふるさとだ。」
「皆この町の歴史を忘れつつあるから命名には大きな意義がある。
 ここソーテルの歴史をきちんと知ってもらいたい。」
この新しい名前を喜んでいる人はもう1人いる。
ジャック・フジモトさん(86)である。
フジモトさんはソーテル地区で日本語教室の理事長を務めてきた。
日系人が受けてきた差別の中でも最も悲惨だった戦争時の体験を風化させないよう
この地区が「ジャパンタウン」と呼ばれることを望んでいた。
太平洋戦争中 13歳だったフジモトさんは他の日系人とともに強制収容所に送られた。
日系人は「敵性外国人」とされたのである。
アメリカ社会に受け入れられアメリカ人として育ってきたと思っていたフジモトさん。
家族とともにアリゾナ州の砂漠の収容所で過ごした過酷な記憶は決して消えないと言う。
(ジャック・フジモトさん)
「強制収容は間違った行為だ。
 どんな人も人種を理由に収容所に投獄されたり閉じ込められたりするべきではない。」
戦後フジモトさんは収容所から戻り
地元の大学の教員となって日本文化などを教え
日系人として初めてアメリカ本土の大学の学長を務めた。
フジモトさんは「ジャパンタウン」という名前になったことをきっかけに
アメリカ社会で努力を重ね信頼を築いてきた日系人たちの歴史を
子どもたちに引き継いでもらいたいと考えている。
(ジャック・フジモトさん)
「日系人の過去を振り返ればそこはたくさんの差別があった。
 “ジャパンタウン”と言う名前は先人に敬意を示すとともに
 日本そして日系人の歴史をわかってもらう意味で大切だ。」



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