7月6日 BIZ+SUNDAY
子どもたちに大人気の“妖怪ウォッチ”。
関連商品は売り切れが続出。
あるおもちゃメーカーは売り上げが今年度70億円を超える見込みである。
いまや社会現象となっている。
6月末に開かれたゲームとおもちゃの展示会“次世代ワールドホビーフェア”。
2日間で12万人が訪れた。
中でもひときわ注目を集めていたのが“妖怪ウォッチ”。
関連グッズの売り場を見ると飛ぶように売れている。
人気の妖怪メダルはわずか数時間で完売。
Q.なぜ妖怪ウォッチが好き?
「えっとなんか・・・
メダル集めるのおもしろい。」
「かわいい妖怪とか・・・」
「興味を持っちゃう。」
「興味を持っちゃうから好きなの。」
「ともだちがやってたからやりたかった。」
「これ本当に溶解なのかな?」
仕掛け人はレベルファイブ社長 日野明博さん (45)。
これまでもレイトン教授シリーズやイナズマイレブンシリーズなどたくさんの人気ゲームを手掛けてきたヒットメーカーである。
(レベルファイブ 日野晃博社長)
「子どもたちが喜んでいるのを見ることが好きなのでそのためにやっている。」
“妖怪ウォッチ”は小学生の主人公ケータが妖怪を見ることが出来る不思議な時計を手に入れ様々な妖怪と出会う物語。
もともとはゲームが原作のこの作品。
マンガ、おもちゃ、アニメへとクロスメディア展開し空前のブームを巻き起こしている。
そのほとんどにクリエイターとしてかかわっている日野さん。
さぞや入念な市場調査や緻密な計算があってのことと思いきや・・・
(レベルファイブ 日野晃博社長)
「全く意識していない。
市場調査うんぬんよりも今の子供たちに受けるものを純粋に
ある意味直感 感覚的なものでクリエーティブとして判断している。
今の自分だったらこっちの方が格好いいと思うけど
子どもの頃の自分はどっちが好きだったかで判断をしていて
そういうところは僕がクリエーティブするうえで
大人の自分に聞かずに子どもの自分に聞く。」
“子どもの自分”に聞く。
幼いころの自分の感性が発想の源だと語る日野さん。
“妖怪ウォッチ”の世界観には徹底した子ども目線が貫かれている。
(レベルファイブ 日野晃博社長)
「“共感”をテーマにして世界観を作る。
キャラクター設定をするうえですごくそこに気を遣った。
主人公は常にテストで0点をとるとかそういう際立ちすぎた設定ではなく
勉強も普通 運動も普通 何をやっても普通
平均値から抜け出せない子。
そういう子こそ現代の子どもたちが 『こういう子いるよね』と感情移入する対象になれるのではないか。」
週に1回開かれるアニメのシナリオ会議。
ユニークなアイデアはどのように生まれているのか。
「普通のアニメっぽい オチの作り方なんで
妖怪ウォッチらしいちょっとひねった感じがないかなとは思っている。」
「このおばあちゃん実は無類のSF好きにしちゃうとか。
最後 鬼が島はモビルスーツで戦わないといけない。
ベースオニガシマみたいな。
パワードスーツをカシャカシャやって。」
子ども目線の自由な発想。
雑談めいたやりとりからストーリーのヒントが生まれると言う。
(レベルファイブ 日野晃博社長)
「今回 妖怪ウォッチでありがたいなと思っているのは
今までアニメ作品 何本も作ってきて仕事ですよね。
どうしたらシナリオよく名rんだろう
どうしたら面白くなるんだろう
やっぱり妖怪ウォッチだけは特別で“居酒屋”みたいな
居酒屋にきて楽しい話をして帰ったらヒットしてたみたいな。
独特の無鉄砲感というか
いろんな作品をオマージュ(尊敬)している部分もあって
手段を選んでいないところがあってそういうところがいまの時代の子どもたち大人たちを含めて心をつかめたと思う。」
7月6日 NHK海外ネットワーク
災害で被害を受けた人たちを支援するため現地で公文書の修復に取り組んでいる日本人の専門家がいる。
修復しようとしている公文書は
たとえば土地の所有権に関する書類や年金の記録など
被災者の生活を支えていくうえでかかせないものばかりである。
東日本大震災で津波の被害を受けた書類の束。
泥がこびりつき読めなくなっている。
しかし修復を続けると文字が読めるようになり記録がよみがえる。
手がけたのは坂本勇さん(66)。
災害で被害を受けた文書の修復を行う世界でも数少ない専門家である。
2004年のインド洋大津波では7000点の公文書を修復。
東日本大震災でも4000点の登記簿をよみがえらせた。
その坂本さんはいま台風で大きな被害を受けたフィリピンで活動している。
台風が直撃したフィリピンのレイテ島。
多くの建物が高潮の被害を受けた。
被災から間もなく8か月になるが復興は道半ばである。
復興を妨げる新たな問題として浮上したのが行政機関の公文書の被害。
公文書が水没したことで家を建て直せずにいる被災者が大勢いる。
リシェール・バチャオさん(24)は自宅を流され家族とともにテント生活を余儀なくされている。
日中は気温が35度を超えるレイテ島。
父親が体調を崩しテント暮らしはこれ以上続けられないと感じている。
自宅を建て直したいと考えたバチャオさんは地元の役所に相談の訪れた。
(土地登記担当の職員)
「事務所にあった登記簿も水につかり残念ですがお力になれません。」
土地の権利を証明する登記簿が水没して記録を確認できないため
家を建て直すことは認められないと言うのである。
(バチャオさん)
「私はテント暮らしでもかまいませんが父にはこれ以上無理だと思う。」
レイテ島では公文書が被害を受けたことで思わぬ事態も起きている。
ごみとして捨てられているのは裁判の記録。
(裁判官)
「これは殺人事件の裁判資料。
目撃者の証言です。」
3万点以上の裁判記録が水没し裁判を中断せざるを得ないケースも出ている。
このままでは被告を釈放しなければならない恐れもある。
(裁判官)
「資料をもとに戻せなければ被告の罪は問えなくなる。」
こうした事態を解決してほしいとフィリピン政府から要請を受けた坂本さんは今年4月 ひとりレイテ島に入った。
数百万点の公文書が被害を受けたとされるなか住宅の再建に欠かせない登記簿の修復から着手した。
坂本さんは東日本大震災でも登記簿の修復にあたった。
そのときはまず氷点下40度の冷凍庫を使って濡れた登記簿を凍らせた。
続いて真空の状態に置き
凍ったまま水分を飛ばすという方法をとった。
紙の成分を傷めずに登記簿を乾燥させることが出来た。
しかし今回は十分な資金の支援がないため冷凍庫などの装置を持ち込めなかった。
濡れたままの紙を手作業で1枚1枚剥がさなければならない。
さらに半年近く放置された文書はカビなどが繁殖し痛みが激しくなっていた。
80%を超える高い湿度と坂本さんを苦しめる。
なんとかできないかと坂本さんが思いついたのが乾燥材を使う方法。
お菓子の袋などに入っている市販のものである。
「乾いた状態で保管できるよう湿度をとばすように。」
収納ケースに文書と乾燥剤を一緒に入れて様子を見ることにした。
紙の具合を確かめてみると表面が乾き始めていた。
「この方法にはひとつの可能性。
達成できる方向性にはある。」
文字が読めるまでに修復することが出来た。
(坂本勇さん)
「1枚1枚助けようとしてチャレンジして弱い人たちの権利を擁護できるなら
なんとかして応えてあげたいと思う。」
(登記簿を管理する担当者)
「感謝している。
とても見やすくなった。」
ただ2日がかりで修復できたのは数十枚だけ。
1人での作業に限界を感じていた。
そこで坂本さんは現地で修復に携わる人を育てようと指導を始めた。
集まったのは自らも被災した若者たち。
10人ほどがとりあえず1か月間修復の訓練を受けることになった。
国連が給与を支給する。
事態を重く見た国連が資金を支援してくれたのである。
坂本さんは今後1年ほどの滞在の間にできるだけ多くの人材を育て
地元の人たちだけでも公文書が修復できる道筋をつけたいと考えている。
(坂本勇さん)
「10人20人となれば何十倍のスピードで助けることが出来る。
そういう努力を積み上げていくのが私たちの仕事。」
坂本さんはあくまでボランティアをして活動をしているが
実は被災直後からフィリピン政府に公文書修復の重要性を訴えてきた。
その大切さがようやく認識されて
今では地元の警察署や大学などからも文書の修復にあたってほしいという依頼が相次いでいる。
7月2日 キャッチ!
古代シルクロードの分岐点として栄えた中国西部甘粛省の敦煌。
1998年にこの地を題材にして映画が上映されたのをきっかけに日本からの観光客が急激に拡大。
2005年ごろには年間4万人から5万人に達した。
しかしここ数年の間に日本人観光客をめぐる事情は大きく変わったという。
(みやげ物屋 店員)
「以前は日本人が1日約500人も来ましたがこの2,3年は大幅に減りました。
特に今年は日本人を見かけません。」
敦煌で日本人向けのガイドを務める曹さん。
大学で日本語を学び20年以上もこの仕事を続けてきた。
ところが最近 日中関係の悪化を背景に日本からの観光客は大幅に減少。
今では年間1万人以下に減ったという。
曹さんが経営する地元の旅行会社でもかつては15人もいた日本人ガイドは3人に減った。
曹さんは国内の観光客を相手にホテルを運営するなどして経営を維持しているが
せっかく学んだ日本語を生かす機会が減ったことを残念に感じている。
(観光ガイド 曹さん)
「日中関係が早期に改善し正常な状態に戻ればと思います。
また多くの日本人に敦煌へ来てほしいです。」
一方 日中関係が悪化するなかでも得意の日本語を生かしてキャリアを積み重ねていこうという若い世代の中国人も少なくない。
革製の衣料品などの製造販売を行っている横浜の会社。
中国江蘇省出身の方歓さん。
北京の外国語大学で日本語を学び5年前卒業と同時にこの会社に就職。
日本で接客などを学んできた。
将来中国に出店しようと計画するこの会社。
採用した中国人の学生に日本の店舗で5年以上かけて実務を積ませた後
中国に戻って店の経営者になってもらおうという考えである。
実習生は6月には9人にまで増える予定である。
いまや日本での生活やビジネスのやり方にすっかり慣れた方さんだが
最初は電話でお礼を言うときにも頭を下げる日本人の生真面目さに驚かされたと言う。
(中国人従業員 方歓さん)
「日本は想像していたものtずいぶん違っていました。
日本人は礼儀正しいです。
多くの中国人の日本に対するイメージは昔のままで理解不足です。」
店頭の仕事は一通りこなすようななった方さん。
経営者になれば必ず求められる商品の仕入れもある程度まかされるまでになった。
店に訪れた鞄メーカーの担当者と打ち合わせを行った。
店での商品の売れ行きを考慮しながら商品の種類から品数まで注文内容を決めていく。
(鞄製造業者 八島功さん)
「お店のお客様の商品の好みをわかっているので
提案するものでもいらないときはきちんといらないと言う。
手ごわいです。
すごい手ごわいです。」
革製品メーカー 権田浩幸社長は中国人の新卒の採用を始めて5年になるが
日中関係が悪化する中で一度採用を決めた学生が親に反対されて内定を取り消さざるを得ないケースもあったと言う。
それでも実習生たちが懸命に働く姿を見て
中国人の若い人材を育てていくという方針に間違いはないという確信を強めている。
(革製品メーカー 権田浩幸社長)
「これ以上悪化してほしくない。
政治的混乱があったとしても人と人との交流は止まってはいけない。」
方さんの両親も一時は日本で働く娘のことを心配していた。
方さんは両親を日本に招いて自分の生活や仕事ぶりを見てもらいようやく安心してもらえたと言う。
しかしそうした苦労がありながらも日本企業での仕事は自分を成長させてくれると信じ
これからも続けていく覚悟である。
(中国人従業員 方歓さん)
「日中関係はこれまで良い悪いを繰り返してきたので
長い目で見れば改善いていくと思います
今はこの仕事に集中して将来は中国で業績を上げたいです。」
中国で日本語を勉強している人は一昨年の時点で100万人を超えている。
世界で日本語を勉強している人の4分の1が中国人である。
しかし小泉政権時代に日中関係が悪化した後の2006年からの6年間で50%以上増えている。
背景にはアニメなどの日本文化への関心とともに
日本との経済関係が緊密になる中で日本企業への就職の道が開けることがある。
こうした日本語を学ぶ中国人の間には中国と日本との関係を長い目で見ている人が多く
日中関係が悪化しても日本とのつながりが途切れるわけではないと冷静に考えている人が少なくない。
国際協力銀行のアンケート調査では
中国での海外事業展開が有望だと考える製造業の比率が
2012年 62,1% → 2013年 37,5%
と急落した。
日本から中国への投資の額も今年に入ってから5月までの数字が去年の半分程度にまで落ち込んでいる。
両国の政治的関係が悪化する中では経済的な交流も縮小しているのが現状である。
6月29日 NHK海外ネットワーク
開戦から100年の今年 イギリスでは戦争の最前線の様子を体験できるイベントが開かれた。
兵士らが身をひそめた塹壕(ざんごう)を再現しその苛酷さを感じてもらう。
大戦を知る世代がいなくなる中この記憶をいかに語り継いでいくかが課題になっている。
「ここでの体験で前線に駆り出された若者の気持ちがどんなものかわかった。」
イギリスで大戦の悲劇を象徴するケシの花。
多くの若者が命を落としたベルギーの激戦地で咲いていたことから
毎年11月の戦没者の追悼記念日には多くの人が身に身に着ける。
4月 キャメロン首相は子どもたちと一緒に首相官邸にケシの種を植えた。
追悼の思いを抱きながら今年は全国の小学校で花を育てようと呼び掛けている。
名門オックスフォード大学からも多くの若者が戦場に赴いた。
構内の壁には亡くなった学生の名前が刻まれている。
全学生の5人に1人が帰らぬ人となった。
若者たちの未来を奪った戦争の苦い記憶である。
オックスフォード大学では第1次大戦の記憶を後世に残そうという取り組みを始めている。
管理されている10万点にものぼるデータ。
戦争を体験した人の手紙や写真などを撮影しデジタルデータとして保存する“デジタルアーカイブ事業”。
(アーカイブの責任者 スチュアート・リーさん)
「この手紙には
『妻と2人の子供よ
フランスに向かう
愛をこめて
お父さんより』
と書かれている。
彼は1週間もたたないうちに亡くなった。」
6年前に始まったアーカイブは今ではヨーロッパ12か国の図書館などが参加。
市民が図書館に持ち寄った資料を大学がまとめて保存する。
多くの人に戦争について知ってもらおうと資料はインターネット上で公開している。
(アーカイブの責任者 スチュアート・リーさん)
「日記やノート、手紙などがある。
あまりしられていない市民の目から見た戦争を知ることが出来る。
戦争がすべての人に影響を与えたことがわかる。」
資料を提供したひとり ハーベイ・ゴールドさん(85)。
出征した父親は生きて帰った後も戦場での体験を多くは語らなかった。
父の死後 遺品の中から写真など数十点が見つかった。
乗っていた戦艦が沈没し600人以上が亡くなっていたことが分かった。
自分が亡くなった後も戦争の記憶を後世に伝えたいと考えゴールドさんは父の遺品を提供した。
(ハーベイ・ゴールドさん)
「多くの命が失われたことをずっと覚えておくべきだと考えた。」
オックスフォード大学で歴史学を教えるマーガレット・マクミラン教授。
マクミランさんは第1次大戦中イギリスを率いたロイド・ジョージ首相のひ孫である。
広がる格差への不満がくすぶりナショナリズムが高まっていった開戦当時。
今の国際情勢と重なるところが多いとマクミランさんは指摘する。
(マーガレット。マクミラン教授)
「ナショナリズムのような感情は危険。
帰属意識は大切だがそれが瞬く間にほかの集団に対する憎しみに変わることがある。
現在も問題となっている貧富の差の拡大は実は大戦前にも起きていた。」
マクミランさんは6月 若者たち向けに講演を行った。
(マーガレット・マクミラン教授)
「私たちは今もなぜ大戦が起きたのか考えている。」
若い世代に悲劇を繰り返してほしくないと語りかけた。
マクミランさんは歴史の文脈から今を生き抜くための教訓を導き出していきたいと考えている。
(マーガレット・マクミランさん)
「1914年の出来事から見えてくるのは
指導者の誤った判断がヨーロッパを戦争に導いてしまったということ。
優れた指導力があれば変化する時代でも乗り切れる。
難しいことではあるが。」
6月29日 NHK海外ネットワーク
ボスニアはイスラム系、セルビア系、そしてクロアチア系と3つの民俗が暮らし
かつて民族浄化というおぞましい言葉で知られる三つ巴の内戦の舞台ともなった。
100年前のサラエボ事件めぐっても
オーストリアの皇太子を殺害したセルビア系の男の犯行が暗殺だったのか
それとも英雄的な行動だったのか
いまも民族によって歴史認識が大きく異なっている。
サラエボ事件から100年。
セルビア系の住民が多く暮らす東サラエボでは事件を起こした男の銅像の除幕式が開かれ大勢の住民たちが詰めかけた。
男を英雄視するセルビア系住民が事件を記念して建てたのである。
セルビア系の学校で行われたサラエボ事件の裁判をえがいた劇を演じるのは子どもたち。
(実行犯を演じる少年)
「私たちの理想のために事件を起こした。
みんなのためを思ってのことだ。」
裁判で男は民族の誇りを守るために犯行に及んだと主張した。
セルビア系の学校では男は英雄だと教えられている。
(セルビア系の学校教師)
「青年の行為を風化させてはいけない。
歴史の真実を劇で伝えたいと思った。」
これに対しイスラム系の学校ではサラエボ事件について真逆の評価を下している。
「プリンツィップは皇太子夫妻を暗殺した。
皇太子妃は身ごもっていたというのに。」
事件について授業で発表する生徒たち。
残虐な行為だったと強調している。
ボスニアでは各民族の学校ごとに異なる歴史教科書が採用されている。
イスラム系の教科書では男を暗殺者だったと記述している。
(イスラム系の学校の生徒)
「大戦のきっかけを作ったわけだから男がやったことは実にばかげている。」
ボスニアでの民族対立は90年代に再燃。
大勢の犠牲者が出る内戦にまで発展した。
内戦を経験したひとり イスラム系学校の歴史教師をしているセナダ・ユーシッチさん(32)。
内戦で父親は前線に駆り出され家には母と子どもだけが残された。
砲弾が飛び交う中を逃げ惑う毎日だった。
(セナダ・ユーシッチさん)
「幼くて内戦の理由はわからなかったが争いをやめてほしいと強く願っていた。」
異なる民族が共存するために自分にできることは何なのか。
ユーシッチさんはセルビア系など多民族の教育関係者と一緒に歴史の教材作りに参加することにした。
教材は開戦の100年の節目となる今年
各国の子どもたちを招いて行う歴史プロジェクトで使うものである。
(セルビア系の元教師)
「政権が変わるたびに歴史解釈も変わってきた。
しかし教科書の記述だけが歴史ではない。」
教材の中で事件をどう記述するか。
議論の末民族ごとに真っ向から食い違う見解を無理にひとつにまとめるわけにはいかないということになった。
完成した教材ではサラエボ事件を報じる当時の新聞記事をできるだけ多く紹介した。
(セルビアの新聞)
“事件はあくまで1個人が起こしたもので民族全体の責任にすべきでない”
(オーストリアの新聞)
“暗殺は虐殺にも等しい行為”
同じ事件でも民族によって異なる見方があることを教材を通じて子供たちに伝えたいと考えた。
(セナダ・ユーシッチさん)
「この100年の節目は歴史を見直す機会にしてほしい。
私たちの取り組みが意見の違いを克服する一歩になってほしい。」
6月29日 NHK海外ネットワーク
4年間にわたる戦いで約1000万人が亡くなったとされる第一次世界大戦。
その引き金となったサラエボ事件の発生から6月28日で100年を迎えた。
これにあわせてヨーロッパの各国で悲惨な戦争を二度と繰り返さない決意を込めた式典などが行われ
激戦地だったベルギーのインテルではEU各国の首脳らが平和への誓いを新たにした。
100年前 世界を戦争の時代へ突入させることになったサラエボはバルカン半島の国 ボスニア・ヘルツェゴビナの首都。
現場には事件の当事者の顔写真が掲げられている。
サラエボを訪れていて暗殺されたオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子と犯人のセルビア系の男。
この事件が開戦の勃発につながっていった背景には
当時のヨーロッパ諸国におけるナショナリズムの高まりと領土をめぐる勢力争いがあった。
サラエボ市内で行われたサッカーワールドカップのパブリックビュー。
悲願の初勝利を果たしたボスニアの代表チームに人々が熱い声援を送った。
「私たちにとっても代表チームにとっても大きな一歩。」
今でこそ人々が穏やかに暮らすサラエボ。
しかしかつてこの町だ放たれた銃弾がその後の世界を大きく変えることになった。
100年前 オーストリアの皇太子夫妻を乗せた車がパレードのため進んできた。
そして角を曲がったところで悲劇は起きた。
群衆に身をひそめていた男が皇太子夫妻に向け次々に発砲。
二人は帰らぬ人となった。
犯人はセルビア系のガブリロ・プリンツィップ。
オーストリアがボスニア・ヘルツェゴビナを併合したことに強い反感を抱いていた。
博物館となった現場の一角には当時の写真が貼られ事件の様子を今に伝えている。
皇太子夫妻が乗っていた車も特別に公開された。
車体には今も銃弾の跡がはっきり残っている。
暗殺事件をきっかけにオーストリアはセルビアに宣戦布告。
新興国として軍備増強を続けていたドイツも同じ民族のオーストリア側にたって参戦する。
一方ロシアは民族が同じセルビア側に参戦。
ドイツと対立していたイギリスやフランスもこの陣営に加わる。
当初 局地戦にとどまるとみられていた戦争はまたたくまにヨーロッパ全土に拡大。
さらに日本やアメリカも巻き込み多くの国の予想に反して4年にものぼる長期戦となった。
平和への願いを込めたコンサートで演奏会を行ったのはオーストリアの名門ウィーン・フィル。
広く市民が楽しめるよう会場前の大型スクリーンにも映像が流され
大戦にゆかりの国々の名曲を奏でることで犠牲者を悼んだ。
かつての激戦地には多くの兵士がいまも眠っている。
大戦の激戦地のひとつ フランス北東部のベルダンに作られている犠牲者の墓地。
ドイツとの戦いで命を落とした兵士の墓がみわたす限り広がっている。
ベルダンの戦いは両軍がおびただしい数の銃弾を打ち合ったことで知られ
現地では今でも毎週のように不発弾が見つかる。
(ヴォー村 アルマン・ファルク村長)
「このあたりの畑や森ではよく見つかる。
不発弾を見つけたら村長や憲兵に連絡することになっている。」
ベルダン郊外の森林。
不発弾による環境汚染の危険性を警告しているNGOによると
森の一角は植物がほとんど育たず地元では“ガスの空き地”と呼ばれている。
第一次大戦で初めて化学兵器として使われた毒ガスの影響によるものとみられる。
発がん性があると指摘され住民の立ち入りは一切禁止されている。
「動物が地面を掘り返した時などに汚染された瓶が出てくる。
この瓶には化学兵器に使われたヒ素が入っていた。
戦争から100年もたつのに驚くべきこと。
第一次大戦はまだ終わっていない。」
こう着状態に陥り長期化していった大戦。
その象徴といえる塹壕(ざんごう)を扱った博物館が激戦地 フランスのソンムにある。
第一次大戦当時の塹壕の様子が再現されている。
兵士たちは深く掘った溝の中で敵の銃撃から身を守りながら攻撃の機会をうかがっていた。
劣悪な衛生状態の中での終わりが見えない塹壕生活。
過酷な消耗戦は兵士の精神をも病んでいったという。
この日 授業で第1次大戦について学んでいる近くの小学生たちが訪れていた。
「これは冬の様子です。
小さなストーブで暖をとるしかありませんでした。
夜になるとネズミがかじりに来て兵士たちはゆっくり休めませんでした。」
(生徒)
「ざんごうの中がここまでひどいとは知らなかった。」
「はじめて見た。
こんな生活とても私には無理。」
(ティエリ・グールラン館長)
「塹壕戦となって戦いは長期化していった。
100年前に何があったのか若い世代に伝えたい。」
第7話 ウォブラーズの陰謀 (Dynamic Duets)
1. | My Dark Side | ブレイン&ウォーブラーズ | Kelly Clarkson | |
2. | Superman | ジェイク、ライダー | The Clique (R.E.M.によるカバーver.) | |
3. | Holding Out for a Hero | マーリー、キティ | Bonnie Tyler | |
4. | Heroes | サム、ブレイン | David Bowie | |
5. | Some Nights | ニュー・ディレクションズ (ブレイン、ジェイク、サム、ライダー、キティ、マーリー、ジョー、ティナ) | fun. |
第8話 母校に帰ろう! (Thanksgiving)
1. | Homeward Bound / Home | クイン、パック、マイク、サンタナ、メルセデス、フィン | Simon & Garfunkel / Phillip Phillips | |
2. | Come See About Me | クイン&サンタナ、ブリトニー | The Supremes | |
3. | Whistle | ダルトン・アカデミー・ウォーブラーズ (ハンター) | Flo Rida | |
4. | Live While We're Young | ダルトン・アカデミー・ウォーブラーズ (セバスチャン、ハンター) | One Direction | |
5. | Over the River and Through the Wood / She'll Be Coming 'Round the Mountain | ザ・ローズデール・メノナイツ | Lydia Maria Child / Carl Sandburg | |
6. | Let's Have A Kiki / Turkey Lurkey Time | イザベル、カート、レイチェル | Scissor Sisters / ミュージカル「プロミセス・プロミセス (Promises, Promises)」 | |
7. | Gangnam Style | ニュー・ディレクションズ (ティナ) | PSY |
7月5日 編集手帳
歌人の塚本邦雄さんは少年の頃、
京都の義兄に手紙を書くたび、
「法悦に近い歓(よろこ)びを覚えた」という。
〈京都市伏見區(く)深草極樂町〉。
なるほど、
ちょっと分かる気がする。
京都市下京区の燈籠町(とうろうちょう)。
釘隠町(くぎかくしちょう)。
中京区の西ノ京東月光町(ひがしげっこうちょう)。
町の名前を見ているだけで京都の人が言う「ろおじ」、
路地を彷徨(さまよ)っ てみたいものだと旅ごころがうずく。
文化の厚みだろう。
名所・旧跡から芸術、
食べ物に及ぶその厚みは、
外国人観光客の琴線にも触れたらしい。
権威のある米国の観光雑誌『トラベル・アンド・レジャー』による世界の人気観光地ランキングで、
京都市が1位に選ばれた。
イタリアのフィレンツェ(3位)やローマ(5 位)、
スペインのセビリア(7位)を押しのけて堂々たるものである。
今年の夏休みは海外に旅立つ知人友人を、
いつもほどには胸を波立たせずに見送れるか な…と、
万年国内組の身はつぶやいてみる。
京都のお国自慢を七五調で数え上げた古い文句に、
〈水・壬生菜(みぶな)、女・染め物、針・扇、お寺・豆腐に人形・焼き物〉とある。
十年どころか百年、
数百年一日(いちじつ)の頑固さはお見事というほかない。
7月3日 編集手帳
島崎藤村に『別離』と題する詩がある。
〈梅の花さくころほひは
蓮(はす)さかばやと思ひわび
蓮の花さくころほひは
萩(はぎ)さ かばやと思ふかな〉
この花が咲けば、
あの花が見たい。
その花が咲けば今度はまた別の花が待ち遠しい。
“無い物ねだり”は人の世の常だろう。
風流心の乏し い身は、
詩人のようにいま咲いている花から次の花へ“思ひわび”た経験はないが、
冬の木枯らしに夏を慕い、
夏の炎暑に冬を懐かしみ、
四季の無い物ねだりは 常連である。
一昨日の東京版がハス(蓮)の写真を載せていた。
1400年以上も前の種子から発芽した約10万株の「古代ハス」が埼玉県行田市で見ごろだと いう。
花弁のやわらかな薄紅色が美しい。
傘の持ち歩き。
落雷の心配。
滑りやすい舗道。
小さな面倒くささ、
鬱陶(うっとう)しさに辛抱がしばらくつづく。
身近な花にしばし心を休める人は多かろう。
永井荷風の筆名は「荷」(=ハス)に吹く風の意味というが、
その名前のように涼風が花に吹き渡る梅雨明けが待ち遠しい頃である。
明けたら明けたで熱帯夜に音(ね)を上げて、
〈萩さかばや…〉と秋の花を無い物ねだりするにしても。
6月29日 BIZ*SUNDAY
東京墨田区の従業員37人 医療設備の会社。
病院のレントゲン室の設計などを行っている。
去年 成果を重視して評価システムを導入。
ところが業績を上げようとして長時間残業をする社員が少なくなかった。
(医建エンジニアリング 木村純一社長)
「人件費ですね。
時間外の人件費が膨大な金額になる。
社員の健康の面に関しても疑問を持つ。」
主任の鯨岡恭輔さんは残業は多い時で月70時間を超えていた。
鯨岡さんのある1日のスケジュールは
朝9時に出社して打ち合わせ
その後2つの病院をまわり
会社に戻って残業
書類作成や経費処理などをして帰宅すると午前1時を回っていた。
(鯨岡恭輔さん)
「残業が60時間前後の月もあればそれを超えるような月もあり
もっと早く帰れないかなと思うときもある。」
どうすれば残業を減らせるか。
会社はまず自分で経費の精算ができるシステムを導入した。
移動に使ったICカードをタッチするだけで交通費の生産ができ残業の短縮につながった。
さらに仕事を分担することで残業を減らした。
この日 鯨岡さんは病院のレントゲン室など設備に関する書類をまとめなければならなかった。
残業しないと処理できないため同僚に協力を求める。
会社ではチーム単位で成果が評価される仕組みになっている。
仲間を助けることが自分の評価につながる。
(医建エンジニアリング 鯨岡恭輔主任)
「普通の時間に家に帰れるので
家族で食事できたり子どもと過ごす時間が平日にとれるようになったのはよかった。」
(医建エンジニアリング 木村純一社長)
「成果は見えていますけどまだまだ改善の余地はあると思う。
会社側の意見を一方的に押し付けるのではなく
会社、従業員みんなで話し合ってより良い形にしていくのが重要。」
6月29日 BIZ+SUNDAY
170か国で事業を展開しているIBM。
世界で働く43万人の従業員を対象に成果重視の評価システムを導入している。
この会社では従業員が自ら目標を設定。
目標をどれだけ達成できた画で年収が大きく左右される。
成果が出た場合収入は増えるが
成果が出なければ減ることもある。
(日本アイ・ビー・エム 下野雅承副社長)
「良い成績を出した社員にたくさん給与を取ってもらって
自分が1時間でどれだけ効率よく仕事をするか。
生産性を改善することにより人間は努力をする。
長く働くことより。」
企業の情報ネットワークの構築を担当する部署の部長である原寛世さん(43)。
原さんが今年設定した目標は
スマートフォンを使った大規模なシステムを作り上げ億単位の契約を複数獲得すること。
こうした大きな売り上げ目標を任せられるのは限られた社員だけである。
連日顧客との打ち合わせに追われている。
(日本アイ・ビー・エムITS事業部 原寛世部長)
「これをまかされてこれに対するペイ(給与)という考え方なので
どれぐらい時間をかけて働いたかは関係ない。
取り組むべきプロジェクト与えられた職責を全うしたかどうか
それに対する支払いという観点で成果主義だと思っている。」
家族と食事をした後も自分の部屋で仕事。
アメリカにいる上司から売り上げの達成状況を問われる。
プレッシャーを感じながらも目標達成を目指す日々。
(日本アイ・ビー・エムITS事業部 原寛世部長)
「仕事はすごく厳しい環境だが
それを乗り越えて実現できた時のイメージをするとそれだけで
達成していないのにワクワクして苦しい時から楽しんでいる感じ。」
6月29日 BIZ+SUNDAY
東京 渋谷の繁華街の一角に6月にユニークな図書室がオープン。
人気を集めている。
約5000冊が70畳ほどの店内を埋め尽くす“森の図書室”はまさに本の森。
絵本から学術書まで様々な本が並ぶ。
500円の席料を支払えばだれでも利用可能。
営業時間は夕方6時から深夜1時まで。
お酒を飲みながら読書を楽しむことができるまるで図書館とバーが融合したような空間である。
「仕事が終わった後にお酒を飲みながら家にない本を
あまり時間を気にせず読めるところが面白い。」
「ふらっと来ることが出来ていいなと思って。
夜までやっているのがうれしい。」
オーナーは子どものころから自分の図書室が夢だったという森俊介さん(30)。
職場と自宅以外に居心地のいい自分の場所
“サードプレイス”がほしいと考える人は少なくないと考えこの図書室を開いた。
(森の図書室 森俊介さん)
「本が好きでお酒が好きで好きなものに囲まれて暮らせたらいい。
僕の“あったらいいな”がスタートライン。」
本の紹介分が印刷されたコースターは
自分の好きな本をたくさんの人に読んでもらいたいと企画した。
開業にあたり森さんはインターネットを通じて出資者を募るクラウドファンディングのシステムを使って資金を集めた。
出資をすると図書室は無料で使うことが出来る。
するとわずか1か月間で1700人を超える出資者から合計9,500,000円が集まった。
サードプレイスに対する需要は予想以上に多かったのである。
出資者にはもう一つ特典がある。
お勧めの本を1冊この図書室に置くことが出来るのである。
出資者の一人IT関連企業で働く星野光慶さん。
「僕がお勧めした本がこういうところにあると感動する。
自分が本棚づくりに参加できる。
みんなで店を作っていける感じがわくわくする。
読みたいけど出会えない本もある。
来るたびに新しい発見があるので心地よい。」
サードプレイスに商機あり。
出資者の一人一人が参加してつくりあげる夜の図書室はまだまだ進化を続ける。
(森の図書室 森俊介さん)
「友達の家みたいな空間になれたらいいと思う。
友だちの家に遊びに行ったときにおしゃべりや飲んだりしていると
ふっと友達の家に置いてある本が目に入って『この本貸して』みたいなことが結構ある。
そんな場所になったらいい。」
6月24日 キャッチ!
中国東部浙江省の中心都市杭州。
今年4月 大きさが2万㎡に及ぶ白いドームが突然姿を現した。
2009年まで農薬工場があったこの土地の土壌からは有毒な化学物質が見つかった。
強烈な異臭が漂っていたため約2億円かけてドームを建設。
匂いを拡散させずに今土壌を浄化する作業が進められている。
「毎日 車でこの道を通りますがひどい匂いがします。」
「匂いが無くなるようできるだけ早く事態を収拾してほしいよ。」
土壌汚染が人の健康に深刻な影響を及ぼしたケースも湖南省で報告されている。
リベラルな論調で知られる“財新”は化学工場などによる重金属汚染の実態を繰り返し報道している。
カドミウムの汚染が深刻な地域では骨がもろくなって激しい痛みに苦しむ日本の“イタイイタイ病”と似たような症状が出る患者がいるとも指摘している。
土壌汚染はどれほど広がっているのか。
中国政府は全国で実施した土壌汚染の調査結果を今年4月に初めて公開した。
全国で調査対象となった耕作地や建設用地などの土地のうち16%で基準を超える汚染が確認されたということである。
このうち工場跡地に関しては34%で基準を超える汚染が見つかったとしている。
しかし土壌汚染問題に取り組む弁護士は
公表された情報は9年も前の2005年から行われていた調査のごく一部であり
急速な経済成長を続けて日々汚染が広がっている現状が充分に反映されていないと指摘している。
(弁護士)
「この報告書は今の中国の土壌汚染の実情を正確にとらえているとは言えない。
発表された被害のデータは実際の程度よりも軽い。
中国の土壌汚染の現状はかなりひどいと考えるべきだ。」
中国各地では今 生産性の低い古い工業団地などを取り壊し商業施設やマンションとして再開発する動きが活発になっている。
ところがそうした工場の跡地で土壌汚染がたびたび確認されることもあり再開発の足かせになってきた。
上海市で来年末のオープンを目指して建設が進む中国大陸初のディズニーランド。
この敷地の一角にはかつて化学工場や印刷工場があり土地は重金属などで汚染されていた。
そのため上海市政府が中心となって汚染を浄化。
ディズニーランドの着工へとこぎつけた。
汚染の程度によって変わるが中国では1㎡の土地を浄化するのに日本円で1万5000円程度かかると言われている。
広大な土地が汚染されている中国において土壌浄化の市場は2020年には年間約2兆円に達すると言う推計もある。
こうしたなか5月に開かれた中国最大の環境展示会は熱気を帯びていた。
国内外の環境関連企業約1000社が参加した。
このうち江蘇省にある日中の合弁企業で日本側の代表を務める山内仁さんは
近く土壌浄化市場は急激に拡大し日本の技術が生かせると考えている。
(日中合弁会社 日本側代表 山内仁さん)
「中国では汚染されている面積は非常に広く汚染の程度も深刻。
来年には日本の土壌汚染対策法に近い法律が出来てくると思う。
市場は今の10倍以上に広がるのではないか。」
汚染の問題を抱える各地方政府に対して国内企業のほか日本やアメリカなど海外の企業も自社の実績や技術を熱心にアピール。
すでに激しい競争になっているという。
「みな非常に激しい営業活動を行っているし技術開発にも力を入れている。
今の時期に技術と実績を発注者側に示さないといけない。」
6月23日 キャッチ!
フィリピンの首都マニラから北に100キロ。
農耕地帯が広がるルソン島中部の山あいの集落 アイタ地区。
30世帯が暮らしているが村には電気は通っていない。
米作で生計を立てている住民の月収は日本円で多くて3500円。
電気が通っても最低料金が月2000円とされる電気代は賄えない。
日が暮れると頼りはランプとロウソク。
それもなくなるとたいまつの火をかかげて夕食をとると言う。
(住民)
「燃料を買うお金がないのでランプはあまり使えません。
教科書も読めないので朝の間に勉強するようにしています。」
この村をあるNGOグループが訪れた。
運んできたのは大量の空のペットボトルと小さな太陽光パネル。
これらを組み合わせて電燈を作り無償で配る活動をしている。
リーダーのイラック・ディアズさん。
住民たちが通っている教会を通じてこの村のことを知り電灯30個分の材料を持ってきた。
伝統はペットボトルにLEDライトを入れ太陽光パネルを取り付けるだけの簡単な仕組みである。
住民たちと一緒に組み立て屋根に取り付けていく。
昼間の充電で一晩は明かりをともせるという。
(NGO代表 意ラック・ディアズさん)
「農村の人々はアジアで最も高いとされる電気代が払えません。
私たちの活動は手軽な方法でこうした地域に明かりを提供することです。」
日が沈むと村のあちらこちらで電灯がともり始めた。
待ち望んでいた夜の明かり。
新たな暮らしに住民たちの期待も膨らむ。
(住民)
「電灯のおかげで今では普通に食事ができるようになり子どもたちはとても喜んでいます。
この明かりはとても大切なものです。
太陽の光に感謝しています。」
国内の貧困地域で無償で電灯を配るディアズさん。
アメリカ留学中にペットボトル電燈のアイデアに出合い3年前 故郷のフィリピンで活動を立ち上げた。
当初は水を入れたペットボトルを屋根に取り付け
そこから差し込む太陽の光を利用して昼の間だけ屋内を明るくすると言う単純な仕組みだった。
しかし夜こそが明かりが必要だという人々の願いを受けて改良を重ね太陽光パネルを使った今の電灯を考え出した。
材料費はすべて企業から集めた募金で賄っていると言う。
今ではディアズさんたちの活動はインターネットを通じて世界各地に伝わり20か国に広がっている。
ディアズさんがいま力を入れているのが去年の台風で壊滅的な被害を受けた被災地の支援である。
家を失った多くの住民は被災から半年以上が経った今も電気代が支払えず明かりのない生活を強いられている。
(住民)
「本当に幸せです。
これですべてが変わります。
私たちの暮らしに色が戻ってきました。」
(NGO代表 イラック・ディアズさん)
「明かりは生活再建のまさに第一歩なのです。
大切なのは自分が人々を前進させることが出来るということです。」
暗闇を照らすペットボトルの小さな光。
貧しくても強く生き続けるフィリピンの人々の暮らしに希望の光をともしている。
第5話 主役は渡さない!(The Role You Were Born to Play)
1. | Hopelessly Devoted To You | ブレイン | 映画「グリース (Grease)」 | |
2. | Blow Me (One Last Kiss) | マーリー、ユニーク | P!nk | |
3. | Juke Box Hero | フィン、ライダー | Foreigner | |
4. | Everybody Talks | ジェイク、キティ | Neon Trees | |
5. | Born to Hand Jive | メルセデス、マーリー、ジェイク、ライダー&ニュー・ディレクションズ、キティ、マイク | 映画「グリース (Grease)」 |
第6話 グリー部のグリース(Glease)
1. | Greased Lightning | ライダー、サム&ND男子、マイク、フィン | 映画「グリース (Grease)」 | |
2. | Look At Me I'm Sandra Dee | キティ&シュガー、ブリトニー、ティナ、ユニーク | 映画「グリース (Grease)」 | |
3. | Beauty School Drop Out | ブレイン | 映画「グリース (Grease)」 | |
4. | Look At Me I'm Sandra Dee (Reprise) | マーリー | 映画「グリース (Grease)」 | |
5. | There Are Worse Things I Could Do | サンタナ、カサンドラ、ウェイド | 映画「グリース (Grease)」 | |
6. | You're The One That I Want | ライダー、マーリー、レイチェル、フィン&ニュー・ディレクションズ | 映画「グリース (Grease)」 |