人の性には多様性があります。
私は教師になりたての頃、「男子は・・・、女子は・・・」とよく生徒に言っていたものでした。
その当時は、クラスの生徒名簿や出席簿は、最初に男子をかためて五十音順、そのあと女子が五十音順に並んでいました。
しかし、教職36年間の途中で、自分の性に違和感をもつ生徒に出会い、わたしの「固定観念」は、大きく揺すぶられることになりました。
その生徒は女子としての自分の性ではなく、男の子として扱われたいという思いをもっていました。
制服についても、スカートははきたくない、ズボンをはきたいと言いました。
性の多様性に触れ、私の考えは大きく変わりました。
性的少数者の課題やLGBT(Q)への理解が、社会でとりあげられるようになり、世の中もかなり変わってきています。
なかには、親しい友だちや仲間に、自分のことをわかってほしいという願いで、自らの性指向について打ち明ける当事者もいます。
打ち明けられた人がどういう反応をしてくれるかにより、その当事者が
「わかってくれた。言ってよかった」
となるか
「わかってくれない。言わなければよかった」
と思うかは、打ち明けられた人の反応により変わります。
「そんなこと関係ない。わたしは気にしないから」
そしてこの後、友だち関係が疎遠になっていくことがよくあります。
石川啄木の詩にあります。
「打明けて語りて
何か損をせしごとく思ひて
友とわかれぬ」
そうではなく、「よく、わたしに言ってくれた。ありがとう。大切なことをいう相手にわたしを選んでくれた、その気持ちがうれしい」
後者のように言われたら、打ち明けた当事者は「わかってくれた」と思いをもってくれるでしょう。
打ち明けた相手が信頼できる人でないと、当事者は打ち明けたことを後悔することがあるのです。
一青窈の曲に「受け入れて」というナンバーがあります。
この曲は、一青窈さんが知り合いの人から自身が性同一性障害であることを打ち明けられた経験をもとにして作詞した曲です。
「受け入れて」(作詞 一青窈)2008年
背もたれの助けを借りないで
大きな伸びをした
春が経つ
大きな伸びをした
春が経つ
変わりゆく僕を
変わらない君が信じているから
どうか隠れずにいられるのならば
行き過ぎた夢でも
なりたい何かなりたくて
変わりゆく僕を
変わらない君が支えているから
どうか泣かずにいられるのならば
愛すべき人たち
お願い強くなりたくて
even if the world ain't ready for you
まだまだ足りない僕だけど
受け入れて
意味の深い歌詞です。
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