
人生活発の気力は、物に接せざれば生じ難し。
福沢諭吉の言葉です。
明治時代になり、民衆は支配されるものではなく、主権者であることを自覚しなければならない。
自由を得た民衆への戒めの言葉です。
そして、自らが主役であるために、不断の努力と勉学、多くの人たちとの親交を心がけなさいと、諭しています。
これは、130年ほど経ったいまの学校教育での中学生にも、そっくり当てはまる言葉であるのです。
努力、勉学、親交をもとに学校生活を送る。
かつ、いまの自由は、当然あるべきものではなく、不断の営みにより維持発展させていくことができるのです。
いまの世相は、一部の権力者がその権限を行使しており物言わぬ大衆は巻かれていく。
いま、あらためて、かみしめたい福沢諭吉の言葉です。
敵か、それとも味方かの二分法で分断を深める手法が世界で台頭しています。
多数派は、本来、異論との間で隙間を埋め接点を探るべきなのに、実際は多数派の論理で異論を排除する光景が日常化しています。
人生を活発に生きる気力は、物事に接していないと生まれにくいのです。
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