カルロスゴーンは、経営が斜陽化していた日産をV字回復させ、手腕を振いました。
その後、会社法違反に問われ、日本から姿を消しました。
そのことの是非について、わたしは論じるつもりはありません。
わたしが注目するのは、彼の放った言葉です。
「正しい答えではなく、正しい質問を見つけることがもっとも大事である。」
企業経営では問題を見つけ、その解決法を提案していく商品を開発することが大切だと言っていると解釈します。
しかし、彼の言葉は学校教育関係者に深い意味を考えさせます。
私は、授業について
「正しい答えではなく、正しい発問を見つけることがもっとも大事である。」と言い換えます。
「質問」とは、わからないこと、知りたいことを相手に聞いて確かめるための問いです。
「質問」では、事実があるかないかや正しいか、あやまっているかを確かめたり確認するたに行います。
YesかNoだ答えることができる場合も多いです。
「質問」では、事実があるかないかや正しいか、あやまっているかを確かめたり確認するたに行います。
YesかNoだ答えることができる場合も多いです。
また「○○です」など一問一答で済むものもありますし、理由や状況を説明しなければならないものもあります。
一方、「発問」(はつもん)は、授業者(教師)が学習者(児童生徒)へ意図をもって問いかける問いのことです。
授業の基本用語であるため、日常で使われることはあまりありません。
「発問」は、授業者が児童生徒の知らない課題について問いかけ、児童生徒が自ら考えて答えようとする力を起こさせるものです。
生徒の学習意欲を高めることが「発問」のねらいです。ふつうYes,Noでは答えられない問いかけです。
「なぜこんなことが起きているのでしょうか?」
授業の基本用語であるため、日常で使われることはあまりありません。
「発問」は、授業者が児童生徒の知らない課題について問いかけ、児童生徒が自ら考えて答えようとする力を起こさせるものです。
生徒の学習意欲を高めることが「発問」のねらいです。ふつうYes,Noでは答えられない問いかけです。
「なぜこんなことが起きているのでしょうか?」
「この二つはどんなところが似ているのでしょうか」
これに学習者は答えなければならないですし、その答えを出した根拠や理由の説明が求められます。
具体例を示します。
質問:コロンブスがアメリカ大陸を発見したのは、何年ですか?(1492年ですか?)
答え:1492年です。(はい、そうです。)
ところが
発問:コロンブスがアメリカ大陸を発見したことにより、世界はどう変わりましたか?
答え:ヨーロッパ諸国が新大陸に領土を求め、植民地にしようとしました。
答え:ヨーロッパでの感染症が世界に広がりました。
答え:トマトの栽培を知り、ヨーロッパに持ち帰り、料理の幅が広がりました。
その根拠となる歴史的事実や史料とともに、児童生徒が考えを深めていくのです。
視点が広がりすぎる時には、授業者は児童生徒が考える範囲に制限をかけます。
文科省が学資指導要領でいう、「主体的で対話的で、深い学びの学習」とは、授業者である教師が、いかに正しい発問をするかが授業づくりの一つのキーになります。
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