新型コロナウイルス感染におびえ、台風の勢力が巨大化し、いずれはやって来ると言われる東南海地震、南海地震、東海地震におののき、人びとの最近の気持ちは休まるときがありません。
こんなときは、心の余裕も失いがちになります。
感動という感情は、心に余裕があるときにこそ生まれるのでないかと思います。
相田みつをさんは、「感動とは感じて動く」と解釈されています。
心に余裕がないときには、心がギシギシに張りつめ、一杯になっているので、何かを感じたとしても、動きがとれないのかもしれません。
さて、芸術、つまり音楽、演劇、ダンス、美術などが感動を伴うのは、心に余裕があり、その素晴らしさが入りこむスペースがあるからでないかと思います。
そして、その感動は個人だけのものではないのです。
同じ芸術に感動している人が、自分の周りもいる。そこで、共感が生まれます。
その点で、「自分はひとりではない」という思いにもなれるのです。
あくまでひとりだけの体験なのに、同時に他者とつながっていることを実感できるのが劇場の最大の魅力です。
これが、劇場やホール、美術館で芸術を鑑賞する意味であり、醍醐味ともいえるでしょう。
どれほどオンライン化やデジタル化が進み、リアリティが高まったとしても、生で感動する空間には及ばないのではないでしょうか。
学校教育に音楽や美術、図工の教科があるのも、生で感動する基本的な資質や素養を育んでいるからです。
そこで培ったセンスは、生涯にわたり芸術を楽しむ基盤となります。
この学習があるからこそ、私たちは大人になっても劇場や美術館に行ってみようとするのです。
この度、新型コロナウイルスは、人びとからその感動を享受する機会と空間をなくしてしまいました。
いま、少しずつですが、劇場が感染防止対策をとりながら再開しています。
ウイズコロナからアフターコロナに移行していくのにまだ時間はかかりそうですが、生で味わう芸術の光を絶やしてはならないと切に思います。
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