学校の先生の中には、次のように言う人がいます。
「子どもは、発達途上にあるのだから、いま、自分が何をしていいのか、何をしたらいけないのかがわかっていない。だから、その子が将来困らないように、いま、きちっと指導しなければならない」。
そして、その先生は、子どもに迫り、教師からの指示で言うことをきかせようとします。
そして、その先生は、子どもに迫り、教師からの指示で言うことをきかせようとします。
でも、そんな子どもは社会に出るためにどんな力を得ることになるでしょうか。
言うことをきかせる側か、言われたことをきく側か、どちらかになるしかないのです。
発想は同じで、「一般社会で認められないことは、学校でも認められない」という主張をする人がいます。
たしかに、人に暴力をふるったり、ものを盗むことは社会で許されないし、学校でも許されません。でも、それは刑法に触れる犯罪だからです。
でも、それ以外の点でなら、学校は、基本的には、子どもたちが失敗の練習をする場所です。
学外ではやったらダメなことでも、学校や家庭では許される範囲はけっこう広いはずです。
小さな失敗を重ねて、始末の仕方や立ち直り方を覚えていく所が学校や家庭です。
学校でどんなにそっぽを向いていても、ツッパっていても、子どもは基本的には「弱者」です。
だから、弱者である子どもを、おとなは守るという発想がでてきます。
そのことは、日本が1994年に批准した国連「子どもの権利条約」にも規定されています。
また、その精神を大阪府の中でも、箕面市は「子ども条例」を制定している数少ない自治体です。
教師だって、子どもの頃は、失敗しても許されてきたし、おとなから守られてきたはずです。
ギスギスして、失敗したら責められたり、すぐに「炎上」するなど、個人を攻撃することが多いいま、学校は失敗が許される場所であることを、あらためて確認しておきたいのです。
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