箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

「自由」がもたらした弊害

2023年12月27日 05時57分00秒 | 教育・子育てあれこれ


私の地域では、子どもの頃と比較すると、近所の人や地域の人とのつながりは、格段に薄くなりました。

昔は、同じ組の中で、誰かが亡くなると、お葬式はその組の人が協力しあい、式を運営しました。

でも、今やお通夜も告別式も家族葬が9割以上で、式への参列もなくなりました。

コロナ禍も重なり、地域の夏祭り、秋祭りは中止された3年間でした。

地域の中での人と人の人間関係は濃く、助けられたぶんもありましたが、濃すぎる関係は煩わしさを感じることもありました。

その頃に比べると、人はある意味での「自由」を手に入れたと言えるでしょう。

今の時代は、個人が尊重され、一人でいること、好きなことをできることが認められて、周りの人が個人を束縛することがなくなってきたのです。

その反面、弊害も出てきているのではないでしょうか。

みんなが、家族の中でも、みんなが自由になり、好きなことをそれぞれができます。

子どもがスマホで外の人と自由にやりとりができます。

いったい、どれほどの親がわが子のSNSを介しての人間関係を把握しているでしょうか。

つまり、今という時代は、みんなが自由であるために、周りの人がどんな言動をとるかの予測が立たないのです。

昔の日本社会では、お互いの人間関係は縛りが強かったぶん、勝手なことはできませんでした。

その最たるものは、勝手なことをした人にあてがえられる「村八分」でした。

だから、コミュニティの中で、誰がどんな言動をしているかはみんなが知っていたのです。

自由は否定されるべきではありません。

しかし、今の世界は、国さえもが自由になります。

うちは、移民は受け入れません。

他国と戦争するのも自由です。

今の世界は、縛りがなくなり、世界規範も薄くなっているのではないかと危惧します。

自由が競争に結びつく息苦しい時代を、いま私たちは生きているのです。

人類が、封建時代や絶対王政時代の過去から求めてきた自由とは、そのような自由でなかったはずです。

個人が自立し、いざという時には助け合い、共に生きる。

そのような自由を渇望します。


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