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たとえば、同窓会の案内文を一からつくるとき、日時や場所、費用など必要な情報を伝えれば、AIはさっと文案を作ってくれます。
それなりに気が利いていてスマートな文章で、自分でもなかなか、このようにうまくは書けないとも思います。
それとともに、自分の言いたいことをAIに先取りされた気持ちにもなることもあります。
自分の中から湧きでた言葉ではないのに、「これでいいか」となってしまいます。
そういうことをを繰り返せば、何かを考えてやっと言えたという経験をしないままの日常に慣れてしまうという危惧をするのは、わたしだけでしょうか。
案内状に限らず、人の言葉はただの音、記号ではありません。
同窓会の案内を思うとき、学生時代のいっしょに同じ時間と空間を過ごした相手と自分の風景、その当時の活動の感想、そのときの感情までもが脳内に浮かんだ未に言葉が出てくることがあります。
じつは、その風景や当時の感想、感情を思うことのほうが多いのが人間だと思うのです。
つまり、AIは言葉の編み出し方が人間とは違うのです。
人間は自分の中にある記憶や気持ち、感情、思考、その集合体でもある直感に頼って言葉をつづります。
でも、AIはもっとも適切な文のつながりを確率的に導き出し組み立てるのです。
AIを全否定するわけではありません。ただしAIと人間が折り合いをつけながら、言葉をつむいでいくのが、これからの時代ではないかと思います。
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