箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

聞く態度、話す態度

2019年12月16日 07時25分00秒 | 教育・子育てあれこれ






授業で、当然すべき基本技術なのですが、できていないことが多いのが、相手の方に体を向けて、視線を合わせることです。

授業をしている教師が、生徒の方を向いて、生徒の目を見て話す。

発表する生徒は、聞いているクラスメートの方を向いて、視線も向ける。

聞く生徒も発表している生徒の方を向き、相手の目を見る。

生徒の聞く態度や話す態度は、授業での習慣やルールとして、小学校のときから「約束ごと」として、指導する学校が増えています。  

ところが、授業者(=教師)が、生徒をまんべんなく見渡し、視線をすべての生徒に向けているかといえば、そうなっていないことがあります。

つまり、教室の一方向だけを見て、授業をしていることが、とくに授業経験の少ない教員に散見されます。

体を相手に向けて授業をすると、生徒に「あなたに話していますよ」というメッセージを送ることになります。

相手の方を見て話すか、見ずに話すかでは、生徒の受け取り方がちがいます。

また、経験を積んだ教師なら、正面を向いて生徒に話していても、廊下側の生徒たちもベランダ側の生徒たちも視界に入っており、何か変わった動きがあれば感知できます。

ところが、私がいま市内の8中学校をまわり指導している教員のなかには、発表しようと手をあげている生徒に気がつかない人とか、ある一方向しか見ずに授業をしている人がいます。

また、発表している生徒に対して、授業者は他のことをしないで、その子の方に体を向けて、目を見て聞きます。

これは、「あなたの言っていることを聞いていますよ」という態度ですので、生徒は安心して、いきいきと話すことができます。

聞きあえることができる授業は、しっとりとした人間関係に満たされ、子どもは落ち着いて学習に向かい、よく考えることができ、学びの深いものになります。

このような授業づくりの基本も、いま私は授業参観をして、経験年数の少ない教員を指導しています。



子どもの心に耳を傾ける

2019年12月15日 18時38分00秒 | 教育・子育てあれこれ







話すよりも聴くことが大切、コミニケーションの秘訣は聴くことにあるというのは、その通りだと思います。

では、「聴く」とはどういうことでしょうか。

それは相手から話を引き出そう、聞き出そうではないように思います。

子どもの言葉に耳を傾けることでないかと思います。

ということは、子どもの心に、聴き手の心を傾けるということでしょうか。

とくに思春期の中学生から聴くのには、配慮がいります。

思春期になると、子どもは自分のことについて、あまり話さなくなります。

それは自立にむけて、先生や親から離れようとするからです。自分の世界をもとうとするからです。

大人から離れようとするという意味です。

それは、孤独になろうとしているとも捉えることができます。

話そうとしても、「何もない」「別に・・・」という返答が返ってきます。

そんな答えしか返ってこないとき、大人は余計に突っ込んで話を引き出そうとせず、今までと同様に、大人は心をいつでも開いておくといいのです。

先生であっても、親であっても、平素から相手があまり話さなくても、会話を絶やさないようにしておく必要があります。

平素からコミュニケーションをとっていないと、話題がないのでうまくいきません。

うまくいかないので、先生やお父さんが自分の学生時代の経験を話して、「だから、がんばりなさい」と結びます。

大人の方は、いい話ができたと満足するかもしれませんが、子どもは聴いてもらえたという満足感が薄いのです。

子どもの話、子どもの心に寄り添うのは、話すことよりも、子どもの話すことに耳を傾け、「聴く」ということに徹するということです。

話すことよりと聴くことで、人を支えることができる場合が多いのです。




時間は後戻りしない

2019年12月14日 08時08分00秒 | 教育・子育てあれこれ






時間は前にしか進まない。


失敗をする。
ミスをする。
過ちをする

こんなとき、なぜそうなったかを考えることは、たしかに大切です。

その点を改善したら、次回はうまくいくことも期待できます。

ところが、失敗やミス、過ちをしたこと、そのこと自体だけをいつまでも悔やみ、クヨクヨと思い悩んでいても意味はないのです。

時間は前にしか進まないのだから、過去に戻して失敗がなかったことにはできないのです。



また、過去を慈しむこともあまり意味がないのです。

「あのときは、がんばったよね。よかった」と思っても、時間は前にしか進みません。

ただし、「よかった」という過去から、なぜ「よかった」と思えるのかを人が学んでいれば、前に進むしかない時間にその学びを生かすことができます。

つまり、過去は見つめるものです。私は、よく中学生に言ってきましたが、「過去こそがすべて。未来はまだ何もないゼロの状態」です。


過去の集積が現在につながっており、現在は未来・将来を拓くのです。

中学生には、過去を見つめることができる人になってほしいと考えています。


自分の感情を大切にする人

2019年12月13日 08時26分00秒 | 教育・子育てあれこれ








個性を大事にするのはいいことですが、人のなかには、個性的で、芸術的で、直感的で、美しさを志向することに価値を置く人がいます。

その人は、明確な好みをもっていて、自分の感覚・センスに自信があり、何よりも自分の感情を大切にします。

自分は他の人とは違うという意識が強めで、周囲にすんなりと溶け込むのが苦手である場合もあります。

かといって、人と関わりを持つのが嫌というわけではなく、声をかけてくれた人には、楽しく話したいという願いをもっています。

そんな人が子育てをするとき、とくにわが子を注意して導くときには、感情ではなく、ものごとの善悪を基準にして、自分の気持ちはドップリとはまらないのがいいのです。

また、このような感情を大切にする人は、自分に対して正直であることが多く、子どもが出くわす葛藤を真っ向から受け止めます。

子どもの悩みをごまかしたり、他に目をそらさせたりしません。受容するのです。

ものごとは考えようです。

その親が自分の個性を大事にするのと同様に、わが子自身の個性を理解します。

暴力とは

2019年12月12日 06時57分00秒 | 教育・子育てあれこれ







いまは少なくなりましたが、以前の中学校では生徒の暴力が問題行動の中心を占めていました。

生徒が暴力をふるうのは、自分を表現する方法が暴力になっているという捉え方をします。

思春期の生徒が心の中にたまった複雑な思いをあれこれ自分で考えて、思いを巡らせるには言葉が必要です。

その言葉による自己表現が十分に身についていない子が暴力という方法にうったえる。

この捉え方が、学校での生徒の暴力という事象に対する基本的な考え方です。



言葉で表現する力は、言葉の世界を広げる読書や人間同士の関係などで磨かれて育ってきます。

しかしながら、そのような環境に置かれなかった生徒は、自分の気持ちや思いをうまく言葉で表すことができません。

そのもどかしさを他者に伝えるために暴力に走ってしまうという考え方です。

心が揺れ動くことが思春期の子どもにはよくあります。

気分がむしゃくしゃする心の揺れは、思春期になるまでは体験しなかったことで、それが言葉にできないままで、整理がつかず、いら立ちや焦りにつながっていく。

ついに我慢できなくなって、暴力という形に転化されるのです。

この暴力にいたるまでの、生徒の一連の心のありようをみるとき、論理では説明できません。
「腹がたち、むしゃくしゃして、いら立っていたら、つい友だちに手をだしてしまった」というふりかえりになり、論理性がないのがわかります。

つまり、暴力とは「論理」がないところに生まれるのが普通です。だからこそ、自分の心情や心理状態を言葉にして表す方法が、中学生に求められるのです。

教師による生徒への体罰も同様です。体罰には「論理」がないのです。

「あの生徒をよくするために」とか「生徒に反省を期待して」とか「相手への愛のムチ」だと論理があるように説明しても、教育現場には愛情があるのが当然で、もし教師から生徒への「愛」があるなら、「ムチ」という暴力は無用です。

教師は、体罰ではなく、話しにくい、言葉にしにくい生徒の思いや心情を理解して、できるだけ言葉で表すようしむけて、生徒の複雑な思いを整理させ適切な行動へ導いていく指導をするべきなのです。



努力の先にあるもの

2019年12月11日 08時47分00秒 | 教育・子育てあれこれ








努力しても報われないことがあるのは事実でしょう。

ただし、それは報われるかどうかで結果だけを見ているからです。

「努力した人は、その過程で必ず何かを得ているのです」

北京オリンピックとロンドンオリンピックで銀メダルをとったフェンシングの太田雄貴選手は上の言葉を残しています。

彼は、インターハイで三連覇を達成しました。大学時代にはスランプに陥りましたが、努力を続けることで脱出しました。

努力が結果となって表れないこともありますが、いつかは努力してよかったと思えることがあります。

そのことを太田選手は教えてくれます。




喜びをわかちあう

2019年12月10日 08時36分00秒 | 教育・子育てあれこれ





たとえば、アスリートが入賞や優勝をしたとき、受賞後のコメントでよくいうことばに、「応援してくれたみなさん、ありがとうございます」があります。

トップアスリートには、世間の期待が高く、メディアも取材して大々的に取り上げ、報道します。

アスリート自身は、応援や声援はたしかに、自分のプレーを後押ししてくれるのは知っています。

しかし、同時に、なによりも本人自身が自分の力を発揮しないと、よいプレーができないことも知っています。

周囲の期待に応えるためのプレーは、本来的には大きな力を与えてくれません。

だから、「自分らしい演技やプレーをしたいと思います」とか「自分らしいプレーができてよかったです」という言葉が、ときどき本人の口から出ます。

では、応援や声援を必要としていないかというと、そうではありません。

応援や声援は、自ら引き出した自分の力を後押しして、その力を最大限以上に引き立てる効果はあります。

しかし、自らの力を引き出すのは、まず自分自身であることを、痛感しているのは選手本人であるのです。

翻って、子育てにおいても同様です。

親の期待に従って子どもを育てるのは、子どもにとって過酷なことがしばしばです。

そうでなくとも、子どもは親の期待に応えよとするものです。

だから、親は自分の満足でなく、子どもの喜びを育てることに留意するべきです。

80点をテストでとった子に、「よくがんばったわ。次もがんばって90点、いや満点をとりなさい」ではないのです。

「80点をとれたのね。よかったね。毎日コツコツと学習してたからね」と、子どもの喜びをわかちあうのです。

周りの期待に応えるための行動は、子ども本人に大きな力を与えません。

でも、喜びは次もがんばろうとする、子ども自身から生まれる最大のモチベーションです。

ほんとうの自己肯定感

2019年12月09日 12時47分00秒 | 教育・子育てあれこれ






「自己肯定感」が、教育・子育て、心理学の分野で大切だと言われて久しくなりました。

自己肯定感の高い子は、失敗をおそれずチャレンジするとか、自分への自信をもつので、積極的に学校生活を過ごすことができるとか、対人関係でも良好で、豊かな人間関係を広げることができる。

これは各調査の結果からも真実です。

しかし、私たちが自己肯定感のとらえ方を誤っているように、私が感じることがあります。

そもそも、自己肯定感とは、良い点もよくない点もすべてひっくるめて私であると思う感情です。

よくない点も自分であるとして、ありのままの自分を引き受けて、そのような自分が好きだと思えると、意欲が生まれるのです。

ただし、ここに「落とし穴」があります。

ありのままの自分でいいというのは、よくない点をそのままにしておいていいということではないのです。

たとえば、私は粘り強い方だと自分で思っていますが、一方で物事をするときのタイミングを逸することがあると、自分では思っています。

粘り強いという強みとタイミングをのがすことがあるという短所をふくめて、自己を肯定しますが、ありのままの自分でいいからといって、なにも努力しなくていいとはならないのです。

タイミングを逃さないように自己を改めなければなりません。

「もともと特別なオンリーワン」だからといって、なにもしなくていいというのではないのです。

つまり、良くない点を改め、克服しようとすることを担保しながら、ありのままの自分を受け入れることが、自己肯定感を高めるということです。


子育てでも、わが子のよい点も悪い点もひっくるめて、そのままのわが子が好きだと思えるとき、私たちはわが子の自己肯定感を育むことができます。

ただし、悪い点をみとめ、よくしていこうという子どもの努力を認め、子どもを愛するのです。

そのように愛された子は、ほぼ例外なく高い意欲をもち、日常生活、学校生活に臨みます。






多様性の尊重

2019年12月08日 15時35分00秒 | 教育・子育てあれこれ





今、多様性(ダイバーシティ)をいかす組織の運営や企業の経営が、必須となっています。

性別や国籍に関係なく、お互いの多様性を尊重するという点で、日本の社会は課題が歴然としています。

多様性を尊重する会社や組織では、自由で前向きな話し合いや議論ができる職場環境や風土があります。

その点でも、学校では中学生が冷静に自分の意見を述べる方法を学ぶ機会が必要になります。

人の意見を非難したり、圧力をかけてもいけない。

全員が公平に考えや意見が言えるような環境でこそ、多様性が尊重できます。

男女雇用機会均等法が施行されて30年以上経ちますが、男女の雇用格差は歴然として残っています。

男が仕事で、女が家庭を守るというスタイルで、日本は高度経済成長を成し遂げました。

本来なら、その後の30年間で、性別役割分担を変えなければならなかったのに、それまでのやり方にしがみつき、変わらなかったのです。

しかし、外国人と共に働くことが増え、性別を問わない働き方、障害のある人と働くことが求められ、多様性の尊重が必要になってくる今の時代、中学生が多様性尊重の学習を重ねることは、喫緊の課題です。

中学校でほ、「男女共生教育」や「在日外国人教育」「インクルーシブ教育」を、生徒が学習する機会を持っています。











聴いてほしいことを聴く

2019年12月07日 08時56分00秒 | 教育・子育てあれこれ





子どもが、家に帰ってお母さんに言います。

子ども:
「今日、合唱の練習をしていて、クラスの列から外され、◯◯くんと二人だけ横に出された」

母:
「あなた、何をしたの!」

このように、お母さんが答えたとしたら、お母さんはわが子の話を聴いているとは言えません。

この時点で、母は子どもが何か良くないことをしたのだと思いこんでいます。

また、子どもが母にきいてほしいと思っていることとミスマッチしています。

では、どうしたら、子どもの話を聴くことになるのでしょうか。

子ども:
「今日、合唱の練習をしていて、クラスの列から外され、◯◯くんと二人だけ横に出された」

母:
「先生が怒ってそうしたの?」

子ども:
「そう、二人だけに怒って」

母:
「二人は何かしてたの? ちゃんとうたってなかったの?」

子ども:
「うん、よそ見してうたっていた。でも、キョロキョロしてたのは、ボクらだけでなかった。ほかにもいたのに、ボクらだけが怒られて、クラスの横へ出された。なんでボクらだけ・・・」

母:
「なるほど、それが言いたかったのね。自分たちだけが怒られて、納得いかないのね、悔しかったのだ」



子どもの話を聴くとは、相手がきいてほしいこと、つまり伝えたいことを聴くということです。

親が子どもの話したいことに沿って聴いていけば、子どもが何を伝えたいのかがわかります。

親の「思い込み」(また、なにかよくないことをしたのだという思い込み)が、子どもにすれば「そちらへ話をもっていくのか」となるのです。

その子は「自分たちだけが」という不満をきいてほしかったのです。

「悔しかった」という気持ちをわかることで、子どもの気持ちはくみとってもらえるのです。

それがないと、「では、合唱の練習でどうしていたらよかったのか」ということを考えることはできません。

思考停止して、前に進むことはできないのです。





迷って、悩んで育てる

2019年12月06日 13時09分00秒 | 教育・子育てあれこれ







今の時代の子育ては、けっこうたいへんです。

自分の子を育てるときは、母でれ、父であれ、多かれ少なかれ、自分の親がしてくれた子育てを頭の中で描いているのではないでしょうか。

自分が中学生のときは、親はこう言ったとか、やってくれたということを思い出しているのです。

つまり、知らず知らずのうちに、自分の親の子育てのやり方がモデルになっているのです。

しかしながら、いまの時代は、自分の親の世代がやってきたのと同じことをやっても、いまの子どもには通用しないことが多いのです。

自分が親にしてもらったことをわが子にしても、あまり役に立たないのです。

なぜなら、子どもが育つ環境がまったくといっていいほど、変わっているからです。

社会が大きく変わりました。たとえばスマホをもっている中学生は一人もいなかった時代から、今のように多くの中学生がもっている時代になりました。

子どものスマホの取り扱いについてどうするかを、いまの親は考えなければなりません。

その場その場で、一つずつ「こうするのがいいのかな」と迷いながら、子育てをしていくのです。

だから、いまの親にとって、子育てはけっこうたいへんなのです。

みんながどう子どもを育てるかに迷うのです。

ただ、子育てについて迷いがあることや悩みのあることが問題なのではなく、問題があるのに、ちゃんと迷ったり、悩んだりしないことこそが問題なのです。

今の時代、人びとは、「これは正しい、これは間違い」、「これが問題の原因だ」というように、白黒をつけることや原因をきめるがいいように考えがちです。

子育てでも、子どもが問題を起こすのは、親が悪いから、または子どもが悪いから、というように決めてしまえば、ある意味で楽なことです。

それをきめずに、父親がよくないのだろうか、母親のせいだろうか、いや子どもがちゃんとしないから問題が起きているのだろうか・・・。

ああでもない、こうでもないと迷いながら子どもに向き合うのが、いまの子育てだと思うのです。



ゆとりの大切さ

2019年12月05日 08時33分00秒 | 教育・子育てあれこれ








いまは仕事に関して、能力主義・成果主義が主流になっており、その方針で経営を進める企業が多くなっています。

企業間の競争があるので、のんびりしていられないのは確かです。

でも、結果だけを求めるため、メンタルに負担がかかれば、人は何のために生まれたのか、何のための人生なのかという課題に行きあたってしまいます。

競争社会で生きることが好きで、それでモチベーションが上がるという人がいます。

でも、すべての人がそうではありません。結果だけを追求することに疲れたら、自分にあった働き方を探して、ゆるやかな考え方をすると、楽になる人もいます。

人の考え方には、大別して2通りあります。

何ごとにおいても、数字(データ)にこだわり、結果がすべてで結果が出ないとすべてが無駄である、またシロかクロをはっきりしないとダメであると考える。

それに対して、数字(データ)にはあまりこだわらず、結果が出なくても人生が終わるわけではない、シロかクロにとらわれない考え方をする。

ゆとりを持ちやすく、ストレスがかからないのは、後者の方です。

いま中学生である人も、将来は社会に出て活躍する「人財」です。ゆとりがあり、ストレスがあまりかからないような生き方ができる人であってほしいと考えます。




子は親に似る

2019年12月04日 08時24分00秒 | 教育・子育てあれこれ







子どもが中学生のうちは、まだあまり気がつきませんが、成人を過ぎる頃以降年齢を重ねてくると、容貌が親に似てきます。

とくに中年以降、ますます似てきます。

容貌だけでなく、話し方や所作が親にそっくりだということは、よく思うことです。

科学的には、それは遺伝子が関係していると解釈できます。

ふだんはあまり気がつかなくても、ふとしたときに、話し方や声が親にそっくりだと思うことは、じっさいにあります。

これは、親といっしょにいることで、知らず知らずのうちに、親をモデルにして、同じような言い方をしたり、振る舞いを学ぶからです。

つまり、人間はモデルから学習するからです。

意識して真似をしようとしているのではなく、知らず知らずのうちに真似ているのです。

私は、父によく似てきた、そっくりだと、最近、家族からよく言われます。

たしかに、たとえば畑をつくり、野菜を育てていて、ふと気がつくと、そういえば父もこうやってクワを使っていたなとしみじみと思うことがあります。


親子関係が良好な場合には、とくによく似るように思います。

中学生のわが子にこうなってほしいと願うなら、「勉強しろ」とか「努力しなさい」とか言うよりも、親自身が毎日を一生懸命に生きることです。

親が毎日、充実して意欲をもって生活していると、わが子も自分の生活で意欲を蓄えていきます。

親の姿がほかのどんな言葉よりも、力強く子どもの成長を後押ししてくれます。



過去が想い出になる

2019年12月03日 08時29分00秒 | 教育・子育てあれこれ









過ぎ去った日のことを、人は「過去」と呼びます。

過ぎた時間や日は、二度と帰ってきません。

過去は「過ぎ去る」と書くのだから、その時には自分が過ごした時間があることです。

私は、4,5歳の頃、膝の病気で母に連れられ、詰めて病院に通ったことがあります。

家から電車の駅まで、いっしょに歩きました。

その日や時間は、二度と戻って来ません。その過ぎ去った日々や時間のことは、思い出すことしかできません。

過去は唯一、想うことで再現できます。

そんな日々や時間のことを人は「想い出」と呼びます。





わが子のいいところを言葉にして言う

2019年12月02日 09時27分00秒 | 教育・子育てあれこれ











小学校3.4年生の頃まで子どもは、自分が人からどう見られるかは、ほとんど気にせずに育ちます。

でも、思春期になると子どもの意識は他者に向くようになり、自分がどう見られているかを気にするようになってきます。

このように、子どもの意識が他者へと広がりを見せますし、自分の将来のことや学習での成績、将来の自分を考えるようになってくるのです。

つまり、いろいろなところに意識が向くのです。

ところが、子どももさまざまで、自分を一定程度自己評価できる子もいれば、自分のことを見つめることができにくい段階の子もいます。(じつは、多くの子が自分のことを見つめることができません。)

自己評価ができにくい子は、自分って何もできないとか、自分とはたいした存在ではないとか考え、一時期ですが不安になるのです。

こんな自分でいいのか、これでいいのだろうかと悩み出し、不安定な時期となります。

ですから、各調査で、小学生まで自分に自信のあった子が、中1になると一時期、自分に自信がなくなるという結果が出たりすることが多いのです。

思春期は自立に向かおうとする時期ですが、一方で不安定な時期で、不安になりやすいのです。

この子たちは、乳幼児期からずっと親の愛情を受けて育ってきて児童期を終えたのですが、思春期の時期には、もう一度親からの愛情を必要とします。

親は子どもが自分自身を評価できるように、大人として扱い、その子が存在していきていることの意味づけを行っていくのです。

意味づけという言葉を、もっとくだけた表現にすれば、要は子どものいいところを見つけて言葉にして表すことです。

家に帰ってきたら必ず「ただいま」と言うし、車に乗せたら降り際に「ありがとう」と言うなど、当たり前のことかもしれませんが、とても大切です。

だって、何も言わずに家に帰ってくる子や、黙って車から降りる子は、今の時代けっこう多いのです。

そして、日常生活の中のふとした機会に、「そうやって言えるあなたが、とっても好きなんだ」「おまえはほんとうに優しいね」と言葉で伝えるのです。