箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

VRで災害を体験する安全教育

2021年02月14日 08時14分00秒 | 教育・子育てあれこれ
昨晩、午後11時09分ごろ、東北地方で最大震度6強の地震がありました。

東日本大震災のあと、人びとの防災意識は高まっていて、今のところ、幸いにも被害は最小限におさえることができていると聞きます。


日本では大きな自然災害が起こるようになりました。

阪神淡路大地震、東北大地震、その他の地震、台風による川の氾濫、洪水などが起きています。

防災意識を高め、防災訓練を充実させなければなりません。



わたしは小学生6年生のとき、大阪万博のパビリオン「三菱未来館」で3Dの映画を初めて見ました。

自分は客席に座っているのですが、スクリーンから火山の溶岩が飛び出してきて、自分に迫ってきて、今にも自分がマグマに覆われそうでした。

また、洪水がものすごい勢いで溢れ出し、今にも自分は吸い込まれそうにたなりました。

当時としては、最新の科学技術で、そのリアル感は今でもはっきりと覚えています。

その後、わたしは教職に従事しましたが、学校では避難訓練の重要性が増してきたのでした。

避難訓練には、火事や地震、不審者侵入などのケースに応じて、何に数回は全校生徒を対象に行います。

その避難訓練は、いわゆる平時に行うのですが、いかに臨場感やリアルさを出すかが、一つの課題になります。

中学生にもなると、小学生のような無邪気さをなくし、火事を知らせる火災報知器が鳴っても、「訓練だから」ということで緊張感に欠けることもあるからです。

そのとき、わたしは三菱未来館でのリアリティに富む体験を思い出すのでした。


どころが、最近、災害体験ソフトウェアがあるのを知りました。

三徳コーポレーションという会社が出している「RIMM(リム)」というものです。

これは、たとえば、VRのゴーグルをつけて現場にいると、映像に加え、大きな振動を感じ、自分が転落事故にあうという仮想現実を体感できます。

実際に、「怖い」という体験をすることで、記憶にとどまるだけでなく、他人事ではなく自分事として安全を意識する効果があるそうです。

RIMMは、今、たくさんの企業が安全教育として、導入しているそうで、その数は300社以上になるそうです。

予算の問題はあるでしょうが、学校の安全教育の一環として、児童生徒も避難訓練等で体験できるようにすればいいのでないかと思います。



いのちを預かる学校

2021年02月13日 09時21分00秒 | 教育・子育てあれこれ

「危機管理」と「リスク管理」はよく似ているようで、本来は違うものです。

危機管理は、すでに起こってしまったトラブルについて、それ以上悪化しないとか二次被害を出さないように状況を管理することです。

一方、リスク管理は、これから起こるであろう危機に備えておくための取り組みということです。

コロナショックは、それ以前のバブル崩壊、阪神・淡路大震災、リーマンショック、東日本大震災よりも、経済面での深刻さがうかがえます。

2020年の4~6月期の実質GDPは前期と比べて約3割減少しました。これは第二次世界大戦後では最大の落ち込みでした。

これほどの経済危機が新型コロナウイルス禍で起きたのです。危機としては最大の危機です。

新型コロナウイルスの流行は、疫学の専門家ならある程度予想できていたのかもしれませんが、経済界や政界の人は専門外なので、予測はできなかったのは仕方がありません。

その意味で、新型コロナウイルス禍では、日本のリスク管理ではなく、危機管理がどうであったかを見ていくことになります。

新型コロナウイルス対応に従事した政治家からは、「夏には収束すると思った」「見通しが甘かった」という釈明があり、危機管理の意識が低かったことがあらわになりました。

政府がとった最初の補正予算は、指示してから2か月近くたった4月末でした。

PCR検査を増やすべきだという声があるのに、厚生労働省についた予算は7270億円、それなのに「GoToトラベル」には1.7兆円もつきました。

個人や企業への現金給付は遅れに遅れ、オンライン申請でトラブルが起きました。

リーマンショックとは違って、コロナ危機は感染拡大を防止するため、人為的に経済活動を制限するものです。
だから、困っている企業と個人の収入を優先的に補うことは政府がするべきことです。

政府に限らず、組織を回すには、ふだんから危機意識を高め、危機管理の体制を整えておくことが必要です。

学校でも危機管理の重要性がよく言われます。特に管理職はその意識を高くもち、体制の整備を行わなければなりません。

なぜなら、学校は教育活動の管理下で、多くの大切な児童生徒のいのちを預かっているからです。

以前に、韓国の高校生が乗る大型旅客線が転覆、沈没した事件があり、大勢の高校生がなくなりました。

残された多くの家族、肉親の悲しみは察するにあまりあるものです。 

より豊かに、しなやかに、長く

2021年02月12日 07時58分00秒 | 教育・子育てあれこれ


私が子どもの頃、東京-新大阪間に東海道新幹線が開通しました。開通後しばらくは東京と新大阪を3時間10分ほどで結んでいました。

そしていまや2時間50分ちょっととなりました。

その50年以上の期間に日本経済は高度成長を遂げ、その後のバブルの時代(このころ、商品は高品質化、種類の多さがきわだっていました)、バブル崩壊、「失われた30年」、大きな地震、新型コロナウイルス感染症というように経済・社会は変遷してきました。

この時代を貫いてきた価値やキャッチフレーズは「より速く より高く」だったのではないでしょうか。

でも、これは、今の時代、私たちが目指す共通の目標ではありません。

世界の流れでは、目指す価値は「より豊かに、よりしなやかに より長く」に変わってきています。

つまり、生活の質や柔軟さ、持続可能性に価値を置くようになってきました。

大きなイベントではなく、地域を大切にしたまちづくり、コミュニティ醸成を進めていき、ポストコロナの時代へつなげていくという展望です。

日本人は、より速く、より密度の濃い仕事をすれば生産性が上がると信じてきました。

しかし、時間を効率的に使うことで、結果的には貧しくなってきたのです。

これからはゆったりとした時間のなかで、持続可能な社会へ変わっていかなければなりません。

恋はときめき、愛は貫き〜「花束のような恋をした」を観て

2021年02月11日 20時35分00秒 | 教育・子育てあれこれ
映画のDVDを観た感想ではないですが、公開中の『花束のような恋をした』を観た感想です。

お互い大学生の麦(菅田将暉)と絹(有村架純)は、考え方やポップカルチャー志向という趣味があい、恋仲になります。

二人はいっしょに住むようになります。

キラキラとした仲睦まじい日々が続きます。

その後、イラストレーターを目指していた麦はやがてサラリーマンになり、忙しい日々を送るようになります。絹も資格をとり、事務職に就きます。

二人の時間が合わなくなり、やがてすれ違いが起こり、口論をするようになっていく・・・。

花束はキラキラで華やかだけれど、痛んでくるのも早いのです。

この点では、リアル感があり、映画を観る多くの人の共感を集めるようでした。

わたしは、このシーンを見ながら、「いちご白書をもう一度」の曲を思い出していました。

「就職が決まって 髪を切ってきたとき もう若くないからと言い訳した」というフレーズと重なってきたのです。

この曲は1975年のナンバーで、「花束のような恋をした」は、2010年代の後半4年間の時代設定でした。

時代は変わっても、社会に出るにはある程度は理想をひっこめ、現実にあわせていく価値観では同じかなと、私は感じました。

もっとも、すれ違いは、多くのカップルで生まれるのですが、それを修復していったり、「妥協」して、愛を熟成させていくという価値があるのも事実だと、わたしは思います。

そうしながら、夫婦を続ける場合が多いのです。

中学生にも伝えた言葉があります。

恋はときめくもの、愛は貫くもの。









自慢話にならないように

2021年02月11日 10時22分00秒 | 教育・子育てあれこれ

中学生のわが子への親、とくに父親のかかわり方について思うことがあります。

 

それは、父親がわが子に、自分の若いころの苦労話を教訓的に話すことは、あまり子どものためにならないということです。

 

中学生にもなると、家庭では日ごろからわが子との会話が少なくなりがちです。とくにお父さんとの会話が少なくなります。

 

そんな父親ほど、いまがその機会とばかりに、自分の苦労話を語りだします。

なかには、酔った勢いで、弾みをつけてとうとうと説教のように話す人がいます。

 

こうやって、苦労してきたが、その苦労の賜物として今があるのだ。その点、おまえは苦労が足りないと言っているように子どもは受け取ります。

 

ふだん話さないのに、唐突に親の苦労話を聞かされることに、子どもは閉口しているのにも気がつきません

 

母親が傍らで父親のその話を聴いていて、「あなた、自慢話をしているように聞こえますよ」と言います。

 

「何を言っているんだ。今が大切な時期だから、オレは息子に自信をもたせようとしているのだ」と父親は返します。

 

そして続けます。

 

たとえば、「家が貧しかった。ほしいものも買ってと言えなかった。両親が共働きで忙しく、十分な愛情も受けなかった。

それでも、別の道にそれることなく勉強してきたのだ。おとうさんがしてきた苦労からすれば、いまのおまえはしあわせだ。恵まれているぞ・・・

 

聞いているうちに子どもの表情は暗くなっていることに気がつきません。

 

そして、ついに子どもから「そんなに得意そうに話さなくてもわかる」と言われて、ハッ驚きます。

 

「そうか。自慢話になっていたのか・・・」

 

恵まれているとか幸せだというのは、人がきめるものではありません。

 

それは子ども自身が感じるものであり、きめるものです。


感染防止対策下での高校入試

2021年02月10日 08時29分00秒 | 教育・子育てあれこれ
きょう2月10日は、京阪神地区での私立高校入試日です。

明日11日も入試日になっている高校もあります。

早朝より、たくさんの中学3年生が阪急電車の駅に集まっていました。

電車の中で、参考書を開いて、最後の見直しをしている中学生がいました。

新型コロナウイルス感染拡大下での入試であり、高校側も感染防止に細心の留意をして実施します。

また、受験する側も、今日まで体調を整え、感染防止に努めてきました。

自分が積み上げてきた学習の成果を十分に発揮して、合格を勝ち取ってくれるよう願ってやみません。

性差でなく個人差 多様性の尊重

2021年02月10日 08時08分00秒 | 教育・子育てあれこれ
今回は2月6日のブログの続きです。

森喜朗東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の発言が女性蔑視・女性差別であり、辞任を求める声が高まっています。また、大会ボランティアを辞退する人もいます。

私は辞任すべきかどうかについては、どうこう言うつもりはありません。

ただ、今回の発言についての問題を指摘する論議に対して、ある違和感を覚えます。

それは、森会長の「女性が入った会議は長くなる」という発言を不適切だとする側も、人間を男性か女性かの二分法を前提にしているという点です。

私たちの社会には、性的マイノリティの人もいます。

たとえば、生物学上は男性でも、自分は女性だと性自認する人もいます。

また、その逆もあります。どちらにも決められない人もいます。

この実態に照らして、いま性的マイノリティ理解の学習をする中学校が増えています。

当事者の方を呼んできて、子どもに性的マイノリティの友だちの存在に気づかせる講演をしてもらったり、体験談を語ってもらったりする学習を行います。

性のグラデーションを考慮せず、「男性」「女性」という分け方だけで、この森発言のことを話題にされるとき、当事者は「わたしはどちらに入るの」と苦しむのではないでしょうか。

「わたしのことは論議の枠外に置かれている」という疎外感をもつのではないでしょうか。

その考えに対しては、「いいえ、私たちは一般的な男性、女性について、森発言を問題にしているだけである」という反論がありそうです。

しかし、人権尊重というとき、「誰一人として取り残さない」ことが大原則です。

マイノリティの人権を尊重するとき、多くの人(マジョリティ)は「わたしには関係がない」と思っています。人権を侵害されるのは、常に少数派なのです。
だから、マイノリティというのです。

それに、国際オリンピック委員会が唱える多様性の尊重とは、性差、年齢、人種、国籍などに一切関係なくお互いに尊重しあうというものです。

それは、性的マイノリティの人たちも包摂しています。

つまり、個人(個性)として人間を大切にするのです。

個人差は性差を超えるのです。

その視点に基づき、本当は国際的な非難が森発言の日本に向けられているのだと、わたしは考えています。

だから、日本国内で今回の発言を女性差別だと批判するときには、性的マイノリティの存在を意識した上で、個人個人で人は異なるのに、「女性は」ときめつけ・偏見で発言したことの問題性を指摘するべきです。




音楽発表にオンラインの限界

2021年02月09日 08時20分00秒 | 教育・子育てあれこれ

新型コロナウイルスは、この1年間で私たちの研修や学習のもち方を大きく変えました。

たとえば、講演会やライブがオンラインで行われるようになったのは大きな変化です。

教職員の研修会もオンラインで行うことが増えました。

私は、教員、校長時代にたくさんの研修に出席しました。

とくに教職に就いて16年目以降は、学校全体や箕面市の教育全体の仕事にかかわっていたので、たくさんの研修会や連絡会議に参加することが多くありました。

それらは関係者を一堂に集めて校外で行われていたので、出かける機会も多くありました。

いまも、教職に関係する研修会や講演会に参加しますが、その多くが「リモート」や「オンライン」で行われるので、会場に出かけることがぐっと減りました。

テレワークは、研修講師と受講者が離れていても、画面上で研修を受けることを可能にしました。

また、一方的に講師の先生の話を聴くだけでなく、Zoomの「チャット機能」で質問ができます。

研修会の中で、参加者同士が意見を交流しあうグループ活動も、Zoomの「ブレイクアウト・セッション」を活用すれば一定程度の話し合いはできます。

今まで、会場を往復する多くの時間と交通費を使っていたのが、何だったのだろうと思います。

このように、新型コロナウイルスは、研修会や講演会では、参加者を一つの会場に集める、研修を受ける者はみんなが参集するものものという固定的な考えをみごとに覆したのでした。

しかしながら、便利になればなるほど、「遠隔」では難しいことがあることもはっきりとしてきました。

たとえば、いま合唱や合奏は感染防止のため、制限されていますが、学校の合唱コンクール・合唱発表会や演奏会では、「遠隔」には限界があります。

音楽は、場所・空間を発表側・演奏側と聞く人(児童生徒、保護者等)が共にすることと、それに思いを寄せることで成立します。

わたしには、先日、このことに気づく機会がありました。

卒業生が、プロの吹奏楽団に入り、人数を減らした有観客でコンサートをしたので行ったときに、その思いを強くしました。

演奏者の発する音が、その場の空間で聴く人に受け取られて変化するという「想像」のなかに、音楽が位置づくという感覚は、なにものにも代えがたいのです。

オンラインで演奏や合唱をやった後の演奏家や歌い手がどういう状態になるかを考えてみればよくわかるのではないでしょうか。

発表後、鳴りやまない拍手や声援がない中で、発表者はどんな気持ちになるでしょうか。どことなくむなしく、いたたまれないような気持ちになるのではないでしょうか。

すぐれた演奏家であっても、広い大野原で演奏したら、青い大空、大自然に吸い込まれてしまい、音はほとんど響かないのです。

ホールや体育館という建物があり、目の前には聴く人がいる。これが音楽を発表する側が渇望するシチュエーションなのだと思います。

受けとめ、気持ちに応える

2021年02月08日 08時57分00秒 | 教育・子育てあれこれ


思春期の中学生と接していると、就学前の教育の大切さを実感します。

親の子育てとは一線を画して、保育はたいへん専門性が高い営みです。子どもの育ちに関してのさまざまな点を考慮して行われています。

これから先のことも展望して、たとえば「この子が小学生になったときには、こうできたほうがいいので」と考え、保育士・保育者は子どもとかかわっています。

たとえば、園内の運動会の朝のことです。

子どもたちは運動会を楽しみに登園しています。ところが、あいにくポツリポツリと雨が降り出しました。

その雨を見ながら、ある幼児が「外へ出れなくなった」と泣き始めたのです。運動会を楽しみにしていたのです。

その様子を見ていた担任の保育士は、その子に近づき、「外を見に行こう」と言いました。

手をつなぎ、大粒の雨が降っているのをいっしょに見ながら、「雨が降ってきたね。残念だね・・・」。

こんな言葉を交わしています。

すると、その子は泣き止み、室内に戻ってから遊具をとり、ほかの子と遊び始めました。

この保育士がとった行動は、①子どもの気持ちを受けとめること、そして②その気持ちに応えることです。

①:子どもの「外へ出れなくなった」という気持ちを受けとめ、いっしょに外へ出ました。

②:子どもの「残念だ」という気持ちを、言葉にして表し、同じ気持ちだよと応えています。

このような場面対応が「自然体」でできるのがいいのです。

「ここは受け入れて、次に気持ちを表して・・・」と計算して行うと、うまくいかないことが多いようです。
自然体でできるのは、その保育士に専門性があるからこそできるのです。

盲導犬を理解する

2021年02月07日 08時11分00秒 | 教育・子育てあれこれ


次のTVのコマーシャル(ACジャパン「世間の誤解にほえさせてもらいますわ」)をご存知でしょうか。

信号待ちの横断歩道で
通行人A:「盲導犬ってたいへんそうだよね」
通行人B:「ストレス多そう」
通行人A:「かわいそう」
と通行人の二人が話しています。

それを聞いた盲導犬が「話し」ます。

盲導犬:「世間の誤解のほえさせてもらいますわ。うちらいつもいっしょにおるのがしあわせやと思てんのに そんなん言われたら相方も悲しむわ どうかそんな目で見やんといてや  ほんまお願いしますわ」

相方:「ストレート、ゴ―」
盲導犬:「ほんな 行こか」

ナレーター「ワンダフルなご理解を 日本盲導犬協会」


わたしも最近、通勤で利用する電車内で、視覚障害者が盲導犬を連れているのを見ました。

その盲導犬が電車内、あるいは電車の降車時にどのような動きをしているかを観察したのは初めてでした。

電車のホームから、ユーザーを導いた黒の盲導犬は車内の空いているところをさがして、その電車の床におすわりをします。4駅目が終点で、それまでは動かず、鳴かずじっとしています。

終点の駅が近づくと立ち上がり、ドアが開くほかの降車客といっしょに、飼い主を連れて車外へ出ます。

盲導犬とユーザーが一体となり、スムーズな動きでした。
わたしは、感心してその様子を見ていました。

日本国内で活動する盲導犬は約900頭と数が少なく、一般の人びとが目にする機会が圧倒的に少ないのです。

ときどき、盲導犬に対して「たいへんね」と声をかける人がいると聞きます。なかには「かわいそう」と言い人もいます。

でも、コマーシャルが言うように、盲導犬もユーザーも、「おたがいに助け合って、喜んで生活しています」という気持ちが実際の本音ではないかと、わたしは思うのです。

頭数の少なさから、実際に盲導犬を見かけたりすることが少なく、それが誤解を生み、盲導犬の理解につながりにくいのでないかと思います。

また、盲導犬を連れて食事にレストランへ入ろうとすると、今でも「犬はお断りします」といわれ入店を拒否するケースもあると聞きます。

盲導犬は「身体障害者補助犬法」に基づき認定された犬です。

特別な訓練を受けていますから、公共施設や交通機関、飲食店、スーパー、ホテルなど、さまざまな場所へ同伴することができると規定されています。

盲導犬について、もっと社会での認識が進むように願います。

「女性の会議は時間がかかる」に思う〜感覚だけでなく意識も必要〜

2021年02月06日 08時38分00秒 | 教育・子育てあれこれ


森喜朗東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の発言が波紋を広げています。  

2月3日にJOCの臨時評議員会で、「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかります」と発言したとのことです。

これについて、女性蔑視につながる問題発言としてメディアがとりあげ、謝罪会見が開かれました。

その後の森会長の釈明が、謝罪になっていないとか、辞任の意向を問われると逆ギレした、とニュースやSNS上で非難されています。

この会見で森会長は「女性を蔑視するつもりはまったくなかった」と釈明されています。

これは、政治家や官僚が問題発言をしたとき、「差別するつもりはなかった」としばしば釈明しますが、差別するつもりがないのは当たり前です。
差別するつもりで意識的に発言するなど、たいていは誰もしません。

そうではなく、言った発言そのものに問題性があるから、まわりがとりあげるのです。

ただし、「この発言は問題だ」というのは、多くの人が感覚的に「それを言ったらだめだろう」とらえて言っているように、私は感じます。

このケースの場合、「なぜ女性蔑視なのか」を理論的に述べている人はあまりいないのではないでしょうか。

そもそも、感覚とはあやふやなものです。

感覚だけでは「それは言ったらダメだから言わない」で終わってしまい、また別の問題が起こるかもしれません。

じっさい、森会長のような考えをしている人は、世間にはほかにもいると思います。

たとえば男性同士の会話で、「女は・・・だからなあ」。それに対して「そう、そう」というやりとり。こんなことはあるのでないでしょうか。

また事実、森会長のこの発言のあと、会場では笑いが起きたと報道されています。

これが同じように考えている人は、他にもいることです。

こんな現状があることをふまえたとき、「心の中ではそう思っていても、公式の場でそれを言えば具合悪いだろう。あの人、下手をしたな。自分も言わないよう気をつけよう」となってしまいます。

これでは同じことがまた起こってしまいます。

事実、この間、たくさんの政治家や官僚が心の中で思っていることを公式の場で発言して問題になり、謝罪しています。

最近の「女性は生産性がないから」などの発言もそれにあたります。

だから、今回の森会長の発言を感覚的に「女性蔑視」だと問題にするのではなく、ちゃんと理論立てて、問題性を指摘する必要があるのです。

次のように説明すればどうでしょうか。

「女性は話し好きなところがあり、『井戸端会議』と言われるように、女性同士になると話が長くなることは、データや統計をとればたしかにあるかもしれない。
しかし、女性のなかにも話の短い人もいれば、話の長い人もいる。(このことは男性でも同様である。)
それなのに、『女性は』とひとくくりにして女性がみんなそうであるかのようにきめつけて言うのはジェンダーバイアスによる偏見である。だから今回の発言には、問題があるのです。」

「その発言は問題ですよ」という場合、感覚的に「ダメです」と反応する人が多いのですが、なぜ問題なのかを理論的に説明して、人権を守るために意識して発言者に説明できる人は少ないのです。

わたしがもし中学校でこの問題をとりあげ、生徒たちに考えさせるなら、ちゃんと生徒が問題性を説明できるようになることをねらいにして授業をします。

人権尊重に関しては、「感覚」ももちろん大切ですが、「意識」も必要です。


コロナ禍での自殺対策

2021年02月05日 08時16分00秒 | 教育・子育てあれこれ
国内の自死・自殺者が増えています。

なかでも、女性が増えています。

2010年からずっと減り続けてきたのですが、新型コロナウイルスの感染拡大に、みんなが振り回された2020年には、その前の年よりも3.7パーセント増えました。

総数としては、男性の数の方が多いのですが、男性は1%減ったのに、女性の場合はなんと14.5パーセントも増えました。

その増加の要因は、やはり新型コロナウイルスの感染拡大でしょう。

緊急事態宣言が続くなか、今後、状況がさらに深刻化することが懸念されます。

経済状況の悪化による解雇や雇い止めは男性より女性に現れやすいのです。

パート勤務や非正規労働は女性の方が多く、影響を受けやすいと考えることができます。

とくに、母子家庭の母親の困窮状況は深刻です。

聞いた話では、子どもには何とか毎回の食事をとらせているが、自分は1日1食か、2日に1食で済ませているということです。

また、両親がいる家庭でも、雇用面だけでなく、育児や介護での孤立や行き詰まり、配偶者からのDVが、女性を自死・自殺に追い込んでいるというとらえ方ができるかもしれません。

また、若い女性(15歳から35歳ぐらい)の自死・自殺も増えています。

また、男性も今後の経済状況の悪化とともに増える心配があります。

学校の教職員は、子どもを通して家庭状況の変化をキャッチしたり、保護者の様子を知ることができます。

その情報共有をもとに、その家庭を福祉や医療につなぐきっかけとなる働きかけができる立場にあります。

それとともに、行政は身近な人に相談できる「いのちの電話」を今以上な充実させるなど、対策が必要です。

また、SNSの会社に協力を求め,とくに困窮している女性に生活支援策の情報を流すなどサポートの体制整備が求められます。

ショコラ+ラズベリーのハーモニー

2021年02月04日 18時20分00秒 | エッセイ
【ポムポムプリンのチョコレートケーキ】
チョコレートの濃厚なおいしさの後、ラズベリーの甘酸っぱい味が口いっぱいに広がるケーキでした。
トップと両サイドはヒョウ柄でチョコレートを引き締めています。

大阪梅田にあるSeason&Co.の「ポムポムプリンカフェ」で賞味できます。TAKE OUTもできます。



持続可能な地方づくり

2021年02月04日 09時21分00秒 | 教育・子育てあれこれ

東京に転入する人が、減っているそうです。
コロナ禍の影響が大きいようです。

2020年7月から5か月連続して転出が転入を上回ったそうです。

地方へ移り住む人が増えてきています。「地方の時代」だという人もいます。

この流れを受ける地方にもやらなければならないことがあります。

私は大阪でも田舎の方に住んでいますが、都会には都会の便利さや良さがあると思っています。

そこで、地方には、移住してくる人たちにとっての魅力づくりが必要になります。

それは「持続可能な地方」です。前から住んでいる人たちにとっても、新しく移り住む人たちにとっても、住みたいと思える地域づくりです。

多くの地方が、人口減少と高齢化の問題に直面しています。
多くの自治体が将来の展望を開けていないのが実情です。

それでも、一部の地方では、時代の先取りをしているケースもあります。

たとえば、熊本です。この新型コロナウイルス感染防止による、全国一斉休校に直面しても、子ども一人1台の端末を活用して、オンライン授業を全面展開しました。

ほかの自治体の多くが、これから一人一台端末を整備し始めたというのが全国の一般的な状況下で、早くから端末の整備に注力してきたのでした。

また、熊本では「シタテル株式会社」というベンチャー企業が成功を収めています。

この会社はインターネットをなどのテクノロジーを駆使して、オリジナル衣服をつくりたい小規模なメーカーのニーズと熟練技術をもつ職人や縫製工場をマッチングさせました。

また、衣服の流通部門でも、この会社が卸売業者の役割も担うため、発注者に短期間で、低価格で商品を納める役割も担っています。

このような地域を創生させる取り組みが、「持続可能な地方」づくりにつながっていくものです。

さらに、子育て世代にとっては、子どもの教育が充実しているかどうかも地方に移り住む一つの条件として考慮する範ちゅうに入ります。

安心して子どもを学校に通わせ、教育環境や教
育条件が一定程度整っていることも必要になるでしょう。

何でも東京という時代から地方に住む時代へゆっくりと移行していくのが、これからの時代です。

新型コロナウイルスが収束しても、地方に移り住む人の流れが止まらないような魅力ある地方活性化の取り組みが必要になると思います。

春はもうすぐ

2021年02月03日 12時50分00秒 | 教育・子育てあれこれ

今朝も霜が降りていました。





立春を迎えても、まだ寒さは続きます。

こんなときには、こんな言葉が支えになります。

以前、中学生にも伝えた言葉です。

高校入試に向け、じっと学習に励んでいる生徒に投げかけたエールです。

何も咲かない寒い日は、

下へ下へと根を伸ばせ。

やがて大きな花が咲く。





受験生にとっては、今が頑張りどきです。