わたしが以前に勤務していた中学校の担当学年に、車いすで一日中生活する、全面介助の脳性マヒの女子生徒がいました。
大阪府は「ともに学び、ともに育つ教育」を以前から実践していました。
インクルーシブ教育、特別支援教育を全国的に展開する今の時代の前から、可能な限り通常の学級で学習や生活を送ることで、仲間関係を育て、障害のある子もない子も、ともに成長していくという理念で、教育の実践を進めていました。
その脳性マヒの生徒は、一見寝たままで何もできないように、周りは思いがちです。
でも、ある日こんな光景を目にしました。
ずっとリクライニングの背もたれを倒しているのでなく、ときどきは背もたれを起こして、身体ほぐしをします。
そのとき、介助の教職員が「少し起きようか」というと、その子は体いっぱに力を入れて、腰を曲げようとするのです。
このとき、わたしは教職の重要さを思いました。
一見すれば、何一つ自分ではできないように思える重度の障害生徒が、ただされるままでなく、自分の意志で体位をかえようとしている。
そこにいのちの輝きがあったのです。生き抜こうとする精一杯の努力をしているのです。
体を自由に起こせないという点で見れば、赤ちゃんのまま成長が止まっているかに見える人も、その発達段階の中身が豊かに充実していく生き方があるのです。
その充実の過程に、教育者はかかわることができる。
能力の向上をみる「縦の軸」ではなく、かけがえのないその年齢・段階での成長をみる「横の軸」で子どもの発達をとらえる視点を、わたしは教えられたのでした。
障害があろうがなかろうが、何らかの点で困っていたり、生きづらさをもった子が懸命に生きようとするのを支え、光を当てるのが教職であると、いま思います。