箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

教師との生徒の距離

2021年03月17日 07時23分00秒 | 教育・子育てあれこれ
学校は、生徒に学力をつける場であるのはもちろんですが、生徒が他者と豊かな人間関係を結べるよう手助けしていく場でもあります。

実際には、たくさんの生徒が集う学校という場では、人間関係にかかわる問題や相談が交錯することも多いものです。

だから、人間関係や友だち関係に対しても指導や支援を行う教師の役割は、けっして小さいものではありません。

今回のブログでは、自分を認めてほしいという欲求を満たすことにおおいに関係する「自己有用感」についてとりあげます。

自分が他者に対して役に立つとか、他者から感謝される、他者が認めてくれると感じることができる子どもは、「自己有用感」が高い状態です。

自己有用感の高い子は、自分と他者(集団、社会)との関係を肯定的に考えます。
肯定的に考えるので、他者(集団、社会)に支えられているという安心感をもちます。

いっぽう、自己有用感が低下している子は、支えを感じにくい分、不安に押しつぶされそうになりながら学校生活を送っています。

友だち関係がうまくいかなかったり、クラスでの居場所が見つからないこともあります。

そのように自己有用感が低迷している子どもに対して、教師はどうかかわるべきなのでしょうか。

まず、その子にとって、信頼できる(「この人はわたしを裏切らない」)教師でなければなりません。

「困ったことがあるなら、いつでも相談においで」

「つらかったね。わかるよ。話してくれてありがとう」

「そのままのあなたでいいんだよ」

このような教師からの声かけがあると、子どもは「認めてほしい」という願いが満たされたと感じます。

また、自分を支えてくれる人と交流したいという願いも満たされます。

こうして、子どもと教師の距離が埋まっていくのです。

このようなかかわりができる教師が、いま現場には求められています。授業だけできればいいという人では務まりにくいのです。

というより、学力と人間関係は別物ではなく、人間関係が安定している子は学習意欲も高まるのです。

つまり、学校生活で人との出会いや友だちづきあいを楽しみにしている子は、授業でも意欲的で、学ぶ意欲も高いのです。

教師とは子どもの可能性を信じて、学習指導と生徒指導の両面を、車の両輪のように進めていく人です。

国技はインターナショナルなもの

2021年03月16日 08時47分00秒 | 教育・子育てあれこれ


「コロナが怖いから休場したい」と表明した力士が引退を表明しました。

日本相撲協会は今年1月末に14人の引退を発表しました。「コロナが怖い」ので休場は無理である。「出場するか、やめるか」の選択を本人に迫った結果、引退をせざるをえなくなったのです。

新型コロナウイルスに感染すれば、年齢が若くても後遺症に苦しむこともあると言われています。

なぜ休場が許されないのでしょうか。

それだけではなく、大相撲界で外国人力士は冷遇されます。モンゴル人の横綱に休場が多いからという理由で、横綱審議委員会は実質引退勧告に近い「注意」をしました。

NHKの大相撲中継では、「日本人に優勝してほしい」「日本人が横綱になってほしい」という願いと受け取られる発言がテレビで流れています。

「評議員や親方は日本国籍を有するものに限る」などの規定が通る日本は、あまりにも時代遅れであるように思います。

「国技」だから日本固有の規定に則るというのは、いまや受け入れられない慣習であると思います。
世界的、グローバル的な通念に合致するのが国技ではないでしょうか。

男女の権利と性的マイノリティの問題

2021年03月15日 08時21分00秒 | 教育・子育てあれこれ
性的マイノリティの存在が注目され、性は多様であるという認識が少しずつ広がってきており、好ましい社会の流れとなっています。

たとえば、学校にも、自分の性に違和感を感じる児童生徒が一定程度います。どうしても制服のスカートをはきたくない「女子生徒」、黒色のランドセルよりも赤色のランドセルを好む「男子児童」・・・。

いままで、学校では一律に「男の子」「女の子」、「男子」「女子」という固定的な性別に基づき、教育を行ってきました。

昔は、男子生徒がスカートをはき、会場からの笑いをとるというコントや劇が行われていたこともありました。

でも、いまは性の多様性を理解させる教育が、各校で実践されるようになりました。

テレビでも、性的少数者のことを正しく理解する視点での特集番組もあります。

このように、性は多様であるという認識が社会全般でも広がってきています。

それとともに、「いまの時代、もう男とか女であえて分けなくてもいいだろう」という考えや発言をする人に出会うこともあります。
「性別を男女で分けて論じるのは時代遅れだ」という声を聞くこともあります。

なかには、その一方で、女性が不平等に置かれていることを利用して発言する女性もいます。

この前は、「女はうそをつく」と発言した女性議員がいました。

こんな例を引き合いに出して、「(平等を主張するのは)けしからん」とささやく男性もいます。

しかし、そうでしょうか。

日本国内を見てみます。

管理職になる人は圧倒的に男性が多い。
賃金は男性の方が多い。
パート・アルバイトへの従事は、女性の方が男性よりも多い。

歴然とした男女間格差があります。これは、社会のしくみの問題です。男女で分けた場合、いまでも女性の方が圧倒的に低い立場にあります。

この現状を踏まえずに、「いまさら男・女で分けるは時代遅れ」という主張は、名ばかりの男女平等を言っているのではないでしょうか。

そのうえ、女性の権利を正しくとらえ、配慮できない社会が、性的少数者の権利を尊重できるかと言えば、難しいのではないでしょうか。

性的少数者の問題と男女の平等の問題は、別の次元で論議され解決されるべきものです。

揺らぐ学校の「聖域」

2021年03月14日 08時39分00秒 | 教育・子育てあれこれ


私が教師になった頃には、「3年B組金八先生」が学園ドラマの主流でした。

この番組を見て、私は当時、大学生でしたが教師になりたいという思いを膨らませたのを思い出します。

このドラマは、教師と生徒の人間的な人格のふれあいをテーマにしていました。

このテーマは、40年近くたっても、教育の王道であるし、本質であると、わたしは今でも思いますし、信じています。
しかし、今、時代の要請はそこにはないのでないかと思ってしまいます。

今、同じテーマで学園ドラマの番組をつくっても、視聴率が取れないのでないかと感じています。

「3年B組金八先生」の第2シリーズで、校内暴力を取り扱った回がありました。
加藤という生徒をはじめとした非行グループが校内で暴れ、鎮圧のため警察が入り、逮捕をしました。

このことについて、ハートのある教職員や地域のおとなが、学校に警察を入れることに抵抗拒絶しました。

「教育の放棄」を断固受け入れることはできないと金八先生をはじめ大人たちが生徒を守りました。

その主張には、「教育とは生徒を信じぬくこと」という教育哲学が流れ、学校は「聖域」であるという考えが社会の根底に位置づいていました。

わたしは、教育の本質はこの点にありといまでも考えています。

その後、わが国の中学校では生徒の校内暴力は鎮静化していき、かわって、いじめ・不登校の問題が多くなって、暴力・非行件数は激減し、現在に至っています。

そして現在では、今年の1月から「青のSP-学校内警察・嶋田隆平-」が放送されています。

SNSをめぐるトラブル、盗撮、教師のセクハラ、薬物乱用などの問題が起こる学校に警部補が常駐して、学校は「聖域」(sanctuary)ではなく、生徒も教師も法に触れる行為は容赦なく逮捕するというフィクションです。

このドラマの基本的考えは、「学校に警察が常駐することは教育放棄ではない、社会の厳しさや実相を知らせる教育になる」というものだと思います。

学校で起きるもめ事・トラブルなどの問題にも、法の規範が適用されるという主張で、今の学校の制度を問題提起していると言えると思います。

現実には、学校でのもめ事、紛争に中立的な立場で助言をするスクールロイヤー(弁護士)の配置が進んでいるのは、「青のSP」ほどの極端さではないにしろ、学校でも法が厳しく執行されるという時代が来るのかもしれません。

不滅の逸品 カツサンド

2021年03月13日 11時16分00秒 | エッセイ
大阪府の千里中央にある喫茶「ニューアストリア」は長年地元で愛される店です。カフェとは言わずに、あえて喫茶です。ここのカツサンドは美味しくて、有名です。

揚げたてのトンカツにソースを仕込ませ、レタスなどを挟んだ、いわゆる正統派のカツサンドです。カツは分厚く、柔らかいです。

幸せを感じるには

2021年03月13日 08時39分00秒 | 教育・子育てあれこれ
幸せは本人の心の中にある。
幸せは本人の胸の中にある。

御巣鷹山の日航機事故で亡くなった坂本九さんの曲「上を向いて歩こう」では、幸せは雲の上や空にあるという歌詞になっています。


幸せは 雲の上に
幸せは 空の上に
上を向いて歩こう
涙がこぼれないように
泣きながら 歩く
一人ぽっちの夜

(「上を向いて歩こう」作詞 永六輔)

ということは、幸せは空の上から私たちを見守ってくれているのです。

人がくじけそうになったり、悲しいできごとに遭遇したときでも、上を向いていることを教えてくれます。


これを90度下に動かして、「大事なことは前を向いていることだ」という歌詞もあります。


何もわからないまま
夢を見てた私に
手を差し伸べてくれた
「一番 大事なことは
前を向いてることだ」
うなづいて元気が出た

(「あなたがいてくれたから」作詞 秋元康)


つまり、幸せは下を向いたり、後ろを向いたりでなく、大事なことは上を向いたり、前を向いたりすることにあるのです。

次の世代へ伝達する

2021年03月12日 08時25分00秒 | 教育・子育てあれこれ
本日は箕面市立中学校の卒業式です。

晴れの門出を迎えられた生徒のみなさん、卒業おめでとうございます。

新型コロナウイルス感染防止対策をとった上での式となります。通常の卒業式よりも短時間で挙行されます。
 
 
さて、卒業式の答辞(卒業の言葉)で、ときどき親への感謝を言う中学3年生がいます。
 
「お父さん、おかあさん、ありがとう」。聞いている親御さんにすれば、ジーンとくる場面です。 
 
その言葉は、答辞を指導する教員が「お家の人への感謝の文面も入れなさい」と言って、答辞を読む子が書くのではないのです。 
 
それは卒業を前にして、「そういえば、忙しいのに朝ごはんや晩ごはんをいつもつくってくれたよね」「時間をぬって、遊園地にも連れて行ってくれた」と思い出し、素直に親への感謝の気持ちを表しているのです。 
 
人はとかく親にしてもらったことを、つい忘れてしまいがちです。 
 
ただ、だからと言って、「ありがとう」を言おうとキャンペーンを張ったり、道徳の時間に「親に感謝しよう」と説諭するのは、考えものです。 
 
卒業式の答辞のように、いま新しい門出を迎えるときに、過去のことを振り返り、自然と湧いてくる感情や気持ちを大切にした方がいいように思います。
 
そしてそのような感謝の気持ちが起こったならば、今度は将来自分が親になったとき、わが子にも同じようにしようと思うのではないでしょうか。 
 
わが家の場合、わが子をおじいちゃん、おばあちゃんが可愛がってくれました。

だから、自分がその立場になったら孫を可愛く思い、「こうしてやろう」「こうしてあげたい」と自然と思います。 
 
じつは、このお世話になったことを思い出したとき、次の世代に伝達していくという習慣や感覚は、人としてとても大切なのでないかと思います。

周りの人たちに感謝しながら、きょう中学3年生は卒業していきます。

被災地のことを忘れない

2021年03月11日 08時20分00秒 | 教育・子育てあれこれ


東北地震から10年になります。

関連して亡くなった人をふくめると、犠牲者は22000人を超えます。

被災地では、土地を造成して、家を建てるなど、ハード面での復興は進みました。

しかし、コミュニティの回復、悲しみや喪失感などつきあっていく問題は、依然として残っていると聞きます。

また、原発事故で、福島をいったん離れた人たちは、いまだ帰れず、多くの人が避難生活を続けています。

多くの人びとが、東北に関心を寄せてきた10年間でしたが、昨年からの新型コロナウイルス感染により、被災地のことが忘れられがちになっています。

このまま忘れられていくのではないかという不安感や危機感を被災地の人たちはもっています。

学校教育では、児童生徒に震災のことを知らせていき、知らせなければならないと考えます。


震災当時、ボランティアで被災地支援に向かった学生が多くいました。

その後「社会のために何か役立つことがしたい」と思う人が、震災前より70%ふえましたが、それも徐々に減り続けています。

私たちは、被災地のことを忘れてはならないのだと思います。

地元から人が流出するという被災地の課題は、過疎化が進む日本の他の地域の課題を端的に象徴的に表しています。

どのようにコミュニティを回復するかについてともに知恵をめぐらせることは、被災地のためになるだけでなく、自分たちの直面する課題解決にもなると思います。

そのために、学校教育の果たす役割は大きいものがあると考えます。


高校入試 自己の力を発揮する日に

2021年03月10日 08時44分00秒 | 教育・子育てあれこれ
本日は大阪府公立高校の一般入試です。

私立高校へ進学する生徒が増えてはいますが、大阪府の中学生に公立高校志向が強い傾向は歴史があり、ずっと以前からです。

その中でも、今日の一般入試には多くの生徒が受験します。

34903人の募集に対して38374人が出願しました。平均倍率は1.10倍となりました。

この倍率だけを見ると、広き門に思えるかもしれませんが、実際はそうではありません。

たとえは、有名進学校が集まる文理学科の平均倍率は1.35倍であるのに対して、工業・工科関係の高校は多くが定員に満たない状況です。

つまり、倍率の高倍率と定員割れの二極化が進んでいるのが昨今の大阪府の公立高校入試なのです。

普通科の倍率が高い学校は1.70倍を超えますし、1.50倍を超える学校もあります。

私が中学3年の学級担任をしていたかなり前なら、ふつう1.15倍を超えるとその実力では通る可能性の高かった生徒が不合格になりえるというのが、進路指導の経験則でした。

しかし、今では1.20倍を超えるのは「当たり前」になり、たいへん厳しい状況です。

だから、この春、残念ながら不合格で涙する生徒が多く出ることになります。

できるなら不合格になってほしくないのが、中学3年生を担当する教職員の共通の願いです。

入試だからしかたがないたいう考えかたもありでしょう。

しかし、中学校3年間、学習や学校行事、部活にがんばってきた生徒が、

*合格だと「中学校3年間充実していた」という思いが高まり、高校でもがんばろう。

*不合格だと、「中学校3年間がんばったが、入試はだめだった」という失意のもと、高校へ入学することになります。

つまり、合格か不合格は、その生徒にとっての中学3年間がどうだったかという総括や自己評価につながることが多いのです。

これは、暖かくポカポカ陽気の桜満開のなか、高校の門をくぐる、本人のモチベーションに影響することもあるのです。

どうか合格することを強く願っています。がんばってください。






新型コロナウイルス 偏見・差別の問題

2021年03月09日 08時10分00秒 | 教育・子育てあれこれ


新型コロナウイルス感染が広がる中で、医療従事者に対する偏見・差別のまなざしが向けられ問題となりました。

これに対して、文部科学省やメディアは「新型コロナウイルスに関係した偏見や差別はあってはならない」と情報発信しました。

学校でも新型コロナウイルスについての偏見・差別をなくす学習をしています。

しかし、日本ではこんな偏見や差別は、ついこの前にもあったことを、人びとは覚えているでしょうか。



福島原発事故の被害者が偏見の「きめつけ」にさらされ、中傷・誹謗が投げかけられたことはついこの前のことでした。

「たくさんの賠償金をもらっているだろう」

「パチンコばかりしている」

悪意のある言葉が当事者に突き刺さります。
「いつまで避難者づらしているんだ」

被害者は原発事故で苦しんだうえに、さらに人びとの偏見・差別に苦しみます。

原発事故直後に、福島の人が避難場所を求めて他県を車でまわっていると、埼玉県で見知らぬ女の人がウインドウをたたいてきました。

「福島から放射能をもってきているじゃないの」と言ってきた実例が報告されていました。


福島にしても新型コロナウイルスにしても、またその前のハンセン病に関しても「うつされるのでは」という不安心理が働きます。

不便な日常生活や経済状況が厳しくなると、人びとはその理由や原因を誰かに求めたくなる心理になるのです。

不安な心理は、さらに虚偽の情報を拡散させることになります。それを支えるものは「正義感」や義憤です。「自粛警察」はその典型です。

差別はふだんは現れていなくても、自分に利害が及ぶときには、むくむくと起き上がってくるのです。

利害関係が絡んでも、差別しない側に回ることが結局は本人の利益につながるような社会のしくみを作らなければなりません。

「先生」という言葉

2021年03月08日 08時19分00秒 | 教育・子育てあれこれ
世の中に「先生」と言われる人はたくさんいます。

政治家、医師、弁護士、教師など、人は相手をに対して、「先生」という場合が多いようです。

でも、学校の先生だけはちょっとかわっています。

学校の先生のなかには、自分のことを指して、児童生徒に「先生は」と言う人がいます。

私は教職35年以上の中で、自分のことを「先生は」と言ったことは、皆無といっていいほどありません。

自分から「先生は」と言わないのは、理由があります。

人間関係において、「先生」という言葉は、必然的に力関係につながりやすいのです。

「先生」は教える人、子どもは教えられるものという関係に無頓着になってしまうと、命令的になったり、圧迫的な言動になったりします。

「先生」であるが故の、強引な指導になります。

先生と児童生徒は、対等な関係であると思います。

「わたしは」でいいと思います。






許すこと

2021年03月07日 08時47分00秒 | 教育・子育てあれこれ

人間関係は難しいものです。

 

相手が自分に言ってくれたことやしてくれたことで、うれしくなったり、幸せな気持ちになったりすることがあります。

 

しかし、ときとして感情がぶつかり合っていさかいが起こり、腹立たしくなったり、悔しくなったりすることもあります。

 

そこで、かりに相手に腹が立っても、いつまでも腹立たしい気分でいてもしかたがないと思うのです。

 

自分の気持ちや心の状態を大切にしたいなら、相手を許すことも大事でないかと思うのです。

 

相手を許せないときは、自分の気持ちは相手によって縛られていると言えます。


許すことによって、自分が相手の束縛から解放されるのです。

 

私はよく中学生が自立に近づくことの大切さを言っていますが、おとなにとっては、相手を許すことで、自分が自立できるのです。

 

許すということは容易ではないでしょう。でも、人間関係のいさかいがあっても、しばらくいすれば許す気持ちになります。

 

許すことで、相手に支配されている状態から解き放たれ、自由になれるのです。

 


地震から10年 いまできること

2021年03月06日 08時25分00秒 | 教育・子育てあれこれ


もうすぐ東北地震から10年になります。

地震の当日、私は大阪の中学校校長で卒業式が終わり、一息ついているときでした。職員室が大阪にいても大きく揺れているのを感じました。

あれから10年になり、おとなたちは10年の節目に意味を見いだそうとします。

10年という節目を東北の人たちや子どもたちがどうとらえているか、私は東北地方に思いを巡らせます。

当時、小学校1年生だった子どもは、もう高校生です。

東北の子どもたちにとって、「震災からまる10年」という言葉は、なにかの節目や回顧ではありません。記念日でもありません。

地震による被害、津波による被害、放射線漏れによる被害、風評被害、風化しかねない心配など、今もずっと被害は続いているのです。

震災から10年、特に子どもたちは、みんなが言葉にならない気持ちでいると思います。なかには、言葉にすることをあきらめて過ごしている様子が浮かんできます。

かりに教室の中で笑顔でいたとしても、心の中は笑顔ではない子が多いのです。

子どもたちは、もう元には戻らないことをよくわかっています。悲しいのは自分だけではなく、家族やまわりの人たちも同じであることも理解しています。

言葉にできない子どもたちも気持ちや声に、教師は耳を傾けようとしてきた10年間だったのではないでしょうか。

その気持ちや声に教師が耳を傾け、言葉にしたくない気持ちや声を認めることが、おそらく東北地方の教師たちに求められことでしょう。

そして、認めることで、のちに言葉として表現する力を育んできたのです。それが子どもたちを支えることになってきたという意味で10年間を、捉えるべきだと思います。

東北の若い子たちは被災した子どもという見られ方をするつらさを感じてきました。「支援するべき子」として見られることをつらく感じてきました。

そんな子どもたちにおとなができることは励ましだけでなく、「問うこと」です。

苦しくつらい経験をして、その傷口がふさがり、やがてはかさぶたに変わっていく。

その途中で、「きみたちはどう生きるか」という問いをもらいたいのです。

問われることによって、自分で考え「また、歩き出そう」という行動することができるのです。

悲しみは乗り越えられるものではないのです。悲しみを抱え、それでも、自分はどう生きるのかと自己を見つめるのです。

教師をはじめとする大人たちが問うことで、子どもの中に希望や光が射してくるのではないでしょうか。

学生が教職に魅力を感じるために

2021年03月05日 08時43分00秒 | 教育・子育てあれこれ


2020年度に、各都道府県が実施した公立学校の教員採用試験(2021年度任用)の採用倍率が低下しています。

2019年度が4.2倍で、2020年度は3.9倍と下がっています。

受験者数でいうと、2020年度が138042人で、これは前年度から10423人も減っています。

各都道府県の教育委員会は、試験方法や会場の便宜を図り、教職の魅力のPRに力を入れているのですが、受験者数が下がり続けています。

とういことは、教職を希望する大学生が減っているということを意味しています。

数年前から教員の長時間労働の実態が報道されました。その火付け役になったのは、OECD国のなかでも、日本の教員の長時間勤務が突出しているという報道でした。

「学校がブラック」というイメージが定着してしまったからかもしれません。

なかには、教育実習を体験して、多忙な学校、疲弊している教職員を見て教職を躊躇してしまう学生がいるのかもしれません。

また、長時間労働、個人の生活を犠牲にする側面を見て、自分の時間を大切にしたいという学生の要望にそわない仕事と思われるのかもしれません。

わたしは、自分の出身中学で教育実習を受けましたが、感動の体験で、「なんとしてでも教師になる」という意志を固くしました。

だからといって、その自分の体験を持ち出して、教職の魅力ややりがいを前面に出しても、いまの学生さんの胸には届かないでしょう。

教員をとりまく労働環境や労働条件を改善する必要があります。

また、いきいきと楽しく働く教員を自分の目で確かめ、教育への魅力、子どもの成長にかかわる楽しさを知ってもらうためにも、教育実習生を受け入れる学校の果たす役割は大きいと思います。

採用する側は、ともすれば「即戦力」を期待しますが、教員としての資質と「伸びしろ」をみて、この人は現場で自身を伸ばしていけるというポテンシャルをみて、採用するべきでしょう。

じっさい、校長を務めた経験でいうと、初任者は失敗することもありますが、大きく成長した教員に、わたしは何人も出会ってきました。


うばいあえば・・・

2021年03月04日 07時38分00秒 | 教育・子育てあれこれ


新型コロナウイルスは、世界の各国を自国第一主義に走らせました。

自国第一主義とは、言い換えるとナショナリズムと言っていいでしょう。

各国が真っ先に行ったのは、国境を締め、入国管理の強化でした。

こうして、各国が国境という枠の中に入る自国民を守りにかかったのでした。

ふだん、あまり意識することのなかった「国境」の意味を際立たせたのです。



そして、次には国同士の比較が始まりました。感染者○○人、死者○○人で多い、少ないが人口比に照らして加え、コロナ対応がうまくいっていない、いっているという判断材料になりました。

それだけではありません。国民性まで話題になりました。

あの国は法治の意識が強いので、罰則つきの法律が有効だ、この国は衛生的なことを好むので、マスクをちゃんと着ける、要請だけで国民は自粛の態度をとることができるなどです。

また、これは国難と言える非常事態だから、国や自治体の決めたことに従わないのは、「非国民」だと非難や攻撃の対象になりました。

一歩間違えば、第二次世界大戦中の国民を統合し、動員させるナショナリズムにつながる危険性を含んでいます。

そもそも、新型コロナウイルスの感染拡大は、人、もの、かね、情報などが国境を超えて行き来するグローバル化が生んだものです。

ところが、感染拡大がグローバル化にブレーキをかける皮肉なことになったのです。

今後、このナショナリズムがもっと勢いを増すのか、国同士の協調意識が高まるのか。

新型コロナウイルス対策のワクチンの分配が、自国優先になるのか、分け合うのかにも、現れてくるでしょう。

相田みつをさんが詩で言っています。

うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる。