箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

学校教育のこれからの役割

2022年07月16日 07時44分00秒 | 教育・子育てあれこれ
新型コロナウイルス感染症は、爆発的な感染拡大の傾向を示しています。

おそらく、今後もスッキリと「収束」することは望めないのではないかと思ってしまいます。

新型コロナウイルス感染症のような動物から人へ感染が広がるリスクの発生は、人類による自然環境の破壊や過度な負荷をかけていることが原因だと言われています。

その意味では、このようなウイルスの発生はある程度予測できていたのかもしれません。

野生動物、天然資源の取りすぎ、経済優先の森林開発・農業推進、土壌の劣化、生態系の破壊をやめ、持続可能な世界・社会を創る時代を見据え、その大切さや地域で活動する人を育てなけらばならない。

これからの学校教育の役割の大切な側面になってくることでしょう。

それは今まで学校でやってきたような、たんなる「環境教育」ではありません。

持続可能な開発を行なっていくために、新しい時代にむかうための準備が学校現場で十分になされる必要があります。

十分な準備といえば、政府をあげて取り組んでいる学校のデジタル化についても、教師にたっぷりとした研修の機会を与え、環境整備を保障しなければなりません。

現場になかば押しつける形でデジタル化を進めていけば、被害を受けるのは次世代を担う子どもたちであるのです、



変化の大きい時代のなかて

2022年07月15日 07時45分00秒 | 教育・子育てあれこれ
テレビの最大の弱点は、自分の好きなときに、好きなものを見ることができないという点にあります。


ところがYouTubeをはじめとする動画投稿サイトは、いつでも見たいときに、見たいものをみることができるという強みをもっています。


それを見る人は今までは若い世代が多く、若者のテレビ離れが言われていました。



そこへコロナ禍が押し寄せたのでした。

年配の人は、行きたいところへ行くことができなくなり、「おうち時間」が増えました。ためしに動画を見るうちに、テレビにはない面白さを知ったのでした。

その結果、いまは若い世代だけでなく、高齢者世代にもテレビ離れが進んでいるのです。

こういった事情が昨今のテレビ離れを生んでいます。

また、中学校教育に関係する者として思うのは、中学生のテレビ離れは世間が思う以上に進行しています。

20年以上前に、わたしは中学生のテレビの視聴時間の長さが、家庭での学習習慣の形成に大きく影響することを、自校の調査結果をもとに、保護者への啓発を行ったことがあります。

しかし、それも今は隔世の感をもちます。

これだけ中学生にスマホ所持が定着した今、彼らがテレビに戻ることはないと確信します。

今さら、中学生が居間やリビングで家族といっしょにテレビを見るなんてことはないと考えます。

少し前に地デジにテレビ放送が変わったとき、テレビをみんなが買い替えました。

そして、今はそのテレビはネットフリックスのような定額制動画配信サービスで動画を見るツールに移行しつつあるのです。

好きなときに好きなものを見ることのニーズは、若い世代だけでなく、高齢者世代もやはり同じなのです。

いまや60歳代、70歳代の約3割がPCも持ち、さらにスマホを持つ人はもっと多い時代です。

テレビ放送の復権はかなり難しいと言わざるをえません。

よほど番組の質を向上させるとか、多くの世代をひきつける内容でないと視聴者は戻ってこないでしょう。



それにしても、この50年の間に、今まで当たり前とか「常識」だったことが大きく変わってしまいました。

テレビ放送の衰退だけでなく、気候変動や温暖化、感染症、自然災害など、わたしは半世紀の間に大きな変化に遭遇するようになりました。

今の中学生世代が成人して、社会人として社会に出るときなは、どんな変化が起こっているのだろう。

少子高齢化も進行するし、それ以外にも予想できない環境変化が起こるかもしれません。

その変化の大きい時代を、どう生きていくことになるのだろうと心配になります。

希望をもって未来を切り拓く人であってほしい。

学校教育の今の最大の課題は、ここにあります。





わかりやすい授業とは

2022年07月13日 07時45分00秒 | 教育・子育てあれこれ
児童生徒にとって、必要となる授業が「わかりやすい授業」であるというのは、いつの時代でも同じだと思います。

では、このわかりやすい授業について、教員と児童生徒の間で共通理解がなされているでしょうか。

授業者がひたすら話し続け、児童生徒がうなずき、疑問を感じることなく、納得して授業が終わる。

それがわかりやすい授業でしょうか。

授業の本質は、児童生徒のもつ「問い」です。

「なんで」「どうして」「本当なの」と感じることから問いが生まれます。

その問いから課題ができ、その課題を解決していく中で、理解が深まる。

それがわかりやすい授業であるというのは、今の授業では当たり前になっています。

中学校でなら、教科担当の教師はその教科のプロです。

生徒に考えさせたい問いが生まれ、生徒が自分で考えを深めることができる。

そのためにどんな発問を入れ込むことができるか。

そして、自分ごととして、課題を解決するために、いかにクラスメートとつながり、考えを深めていくか。

そのような授業が必要不可欠な時代です。




分配と言うなら、さらなる待遇改善を

2022年07月12日 07時18分00秒 | 教育・子育てあれこれ
政府は「分配」と銘打って、看護・介護・保育に携わる人の報酬を改善する公約をかかげました。

そして保育士の場合、たしかに給料は9000円増えました。

ただ、報酬は上がりましたが、手付かずの課題が残ったままです。

それは、保育士の配置基準です。

配置基準とは、子ども○人に対して、保育士が1名配置されるという基準のことです。

たとえば、3歳児に対しては、子ども20人に対して保育士が1名配置されます。

この配置基準は1969年から変わっていません。

少子化が進み、子どもの数が減ってきても変わらないままです。

もっとも、その間に共働き夫婦が増えているという実態はあります。

しかし、保育士一人がみる子どもの数は親の就労とは関係がありません。

育ち盛りのこれから集団でのルールを覚えていく子たちの成長は、保育士の自助努力でささえられているのです。

たとえば、食物アレルギーの子が増えています。

誤食がないように、調理員と担任で気を配り、ほかの子の分を食べてしまわないように、目印をつけたりします。

保育は小さな子どものいのちを預かるハイリスクな仕事です。

その一方で、保育日誌をつけたり、毎月の保育計画をつくり、自治体に提出します。

お昼寝の時間や、子どもたちが帰ってから書きますが、勤務時間内で終わらせるのは難しいのです。

自宅へ持ち帰らなければならないことが多いのです。

それなのに、フルタイム労働者の平均月収は307,400円に対し、すこし上がったとはいえ、保育士は256,500円で大きく下回っているのです。

本当の意味での待遇改善が強く求められるのです。



競争を強いる社会に抗って

2022年07月11日 10時33分00秒 | 教育・子育てあれこれ
新自由主義が日本社会・日本経済を取り巻くようになり、久しくなりました。

市場原理に基づく競争を重視する経済・社会は、数の限られた正社員のイスを争うフルーツバスケットのようなものです。

競争を強いられ、人はバラバラにされ、つながりは切られ、格差は広がり、貧困は深刻化しています。

そんな生き方には、つらいものがあります。

学校教育は、子どもたちに学力をつける役割もありますが、それだけではない。

平たい言い方ですが、協力しあうこと、人とつながること、助けあうことを子どもたちは学んで成長します。

しかし、その環境を終え、社会に加わると、競争を強いられます。

競争をすると、必ずと言っていいほど、勝者と敗者が生まれます。

そして、今の社会では一度負けたらそのままで過ごさなければならない。

今は、敗者復活戦はない社会になってしまいました。

そして、敗者になった人には、「自己責任だからしかたがない」と言わせるのです。

しかし、格差や貧困が生まれるのは、個人の責任ではない、それらを生み出すという社会のしくみの問題なのです。

教育関係者は、その点を見誤ってはならないのです。

私たちの年齢になると、新自由主義がはびこる前の時代を知っているので、今の時代の問題性を比較のなかで見通すことができます。



子どもの声を聴く

2022年07月10日 09時03分00秒 | 教育・子育てあれこれ
子ども家庭庁が、来年の4月から設置されることになりました。

これは、今まで文科省や厚労省、警察庁、内閣府などが担ってきた子どもにかかわる行政事務を集約するはたらきをすることになっています。

国連の「子どもの権利条約」に基づいています。

この権利条約は、子どもは健全に成長し、安全な生活が保障され、守られる権利があることを国際的にうたっています。

日本では、従前から、子どもは未熟で何もできないからという理由で、子どものための施策を大人が考えて、「転ばぬ先の杖」のように、「子どものためによかれ」と進めてきました。

そこに、どれだけ子どもの声や意見が聞かれ、反映されてきたかというと、心もとない限りです。

新型コロナウイルス対応では、感染防止のための方策をほとんどすべて大人が決めてきました。



給食は机をくっつけないで、みんなが前を向き、「黙食」するように強いてきました。

楽しいはずの給食の時間が苦痛になっている子がいます。


日本社会や日本の学校教育のなかでは、子どもは教えられたり、指導される対象であるという考えが根づいています。

子どもはたしかに手がかかります。友だちともめごとも起こします。

しかし、存在そのものを受け止められ、見守られるべきものです。

人として大切にされ育まれた子は、大人になると他の人の意見を尊重して、共に生きる人になるのです。

子どもの願いや思いを聴き、それに応えていくことは、心ある教育関係者なら、今まで実践してきたことです。
 
そして、大人と対等な関係を築き、子どもの声を聴き、子どもの願いに応える教育を進めるのに子ども家庭庁が貢献するなら、新しい庁をつくる意味があるというものです。



満足できない生活 日本の子ども

2022年07月09日 10時51分00秒 | 教育・子育てあれこれ
日本の子どもは、生活に満足できていない子が多い。


ユニセフが2020年に行った調査結果をもとに、報告書を出しました。

38カ国の15歳の子に、生活の満足度が10段階のどれくらいかを聞きました。「6」以上であると答えた人が90%いたのがオランダでした。

日本の場合、62%にとどまりました。

他の質問もあわせて、身体的な健康度は38カ国中で日本は1位でした。ところが精神的な満足度は37位に低迷しています。

家族の仲がよくない、言いたいことが言えないなどの理由で満足度が低いようです。

校則が厳しい、おとながなんでも決め、それにしたがうという大人との関係。

こんな不満をもっているようです。

それと関係があるかどうか、自殺率の高さは精神的な満足度の低さを表すとも考えることもできます。

また2020年度では、不登校の児童生徒が19万人と、過去最多になりました。

多くの生徒が、受験のための勉強を強いられ、抑圧された生活を送り、生活に不満をもつ子が多くなるのかもしれません。




長引くと生活様式は変わっていく

2022年07月08日 07時37分00秒 | 教育・子育てあれこれ

新型コロナウイルス対策としての営業自粛があけて居酒屋等の客足は戻りつつあります。

先日、3年ぶりぐらいに、高校時代の仲間と夕方から会い、食事をしました。

17.00に店に入ると、もう先客がおられました。

その後も、お客さんが次々とやってきて、店はほぼ満員となりました。

私たちは8時前に店を出ましたが、長居するお客さんはおらず、店主の話によると、

「お客さんはほぼ元に戻ったけれど、みんな長居はしないですね。2時間ほどいたら、会計を済ませて、次々と帰って行かれます。9時を過ぎると、ほとんどお客さんはいなくなりますよ。」

新型コロナウイルス対策で、大阪府では長期にわたりお酒の提供時間をきめたり、営業時間を9:00までとしたりしてきました。

長く続いた営業自粛で、利用者にもこの習慣が定着してしまったようです。さっと集まって楽しんだら、「では、帰ろうか」となるのです。

もう、人々の暮らしは、夜に外食したり、居酒屋へ行ったりしても、以前のように遅くまで飲み歩きや食べ歩きはしなくなったように思われます。

生活様式は変化してきているようです。

長期間にわたり、何度か繰り返したことは、のちに習慣化したり,行動様式の変化となって現れるのです。

世界経済の影響を受け、日本では値上げが続いています。それなのに、賃金は上がらない。

ということは衣食住以外のお金の余裕がなくなり、人びとは外食代を削ろうという動きになるのかもしれません。

七夕の思い出

2022年07月07日 07時09分00秒 | 教育・子育てあれこれ
今でこそ、夜空が少し白いモヤがかかり、夜空の星が見えにくくはなりましたが、わたしの家からは今でもたくさんの星を見ることができます。

子どもの頃は、まさしく満天の星を見ることができました。

七夕が近づくと、家の竹やぶから笹を切ってきて、色紙で作った星や網飾りをつけ、願いごとを記した短冊を吊るしました。

「いつまでも家族が元気でいられますように」。

夜には、庭に出て、ネオンなどに遮られることなく、空いっぱいに広がり、輝く星の中から天の川をさがしました。

両親の横で、「笹の葉さらさら・・・」と歌ったりしました。
 

子ども心に至福の時を過ごしたことを思い出します。

今は父は亡き人となり、母は車いすの生活をするようになりました。

七夕が終わると、七夕飾りのついた笹は家の前に流すというのが流儀でした。

今も、家の前に川は流れています。星も見えます。

子どもの頃の経験は、今もわたしのなかで楽しかった思い出として息づいているのです。

昔からの伝統行事はなくさないで、続く限り続けたほうがいいと思います。

情操や情感を育むという意味で大切な体験になると思うのです。



大学の授業料と奨学金

2022年07月06日 07時07分00秒 | 教育・子育てあれこれ


学習したいと思う人が、希望する進路を選ぶときに、経済的事情であきらめなくてもすむように支援するのは、行政や国の責任です。

そこで、奨学金の制度があるのです。

国の大学奨学金には、貸与型(これが多い)と給付型(少ない)があり、給付型は返す必要がないものです。

どちらも利用できるかどうかは親の年収が基準になります。

そこへ、今回新たに「出世払い型」という大学奨学金が創設されます。

この出世払い型奨学金は、親の年収に関係なく借りることができるようになる予定です。

貸与型を利用している大学生が多いのですが、卒業後の返済に苦労する例が多いのです。最近では、大学を卒業してから非正規の雇用先へ就職し、奨学金の返済は結構な重荷となります。

将来返せるかどうかが気がかりで、奨学金の利用をあきらめる人も少なくありません。

そのため、創設されようとしているのが出世払い型奨学金です。

いま、その制度設計が検討されています。

本人の年収がいくら以上になれば返済が始まるのか、その年収額をいくらにするかは慎重に決めなければなりません。

高めの設定なら返済の猶予を受ける人が多くなりますが、国の財政的負担が大きくなります。

低めの設定なら、返済しなければならない人が多くなり、この奨学金の意味が薄れていきます。

もともと、日本は高等教育へ公的支出が少ない国です。ですから、高等教育機関が徴収する授業料が高すぎるのです。

おおざっぱに言えば、国立大学は年間54万円、私立大学は年間93万円です。

保護者の大きな負担になっています。

奨学金の充実はもちろん必要ですが、大学が授業料を下げることができるような国からの支援が一方では必要です。

みんな同じでなくてもいい

2022年07月05日 11時58分00秒 | 教育・子育てあれこれ
多くの人がマスクをするようになって2年と半年が経ちました、

この影響は、大人より子どもの方がより強く受けるのです。

同じクラスの子がどんな顔をしているかがわからない。友だちをつくりにくいという子がいます。

また、マスクを外したとき、「えー、そんな顔だったの。だまされたみたい」

こう言われて、深く傷つき、マスクを外せなくなった子もいます。

以前から、不安感を感じやすい子はいました。その子たちは、みんながマスクをするようになり気が楽になったという例もあります。

2年半に及ぶコロナ対策の学校生活は、さまざまなところで歪みが出ています。

給食はずっと黙食で、楽しいはずの給食がつらい時間と感じる子もいます。

オンライン授業は、みんながいる教室に入ることが苦手な子や不登校の子には、おおむね好評です。

一方で、オンライン授業になじめない子もいます。

日本の学校は、画一的な点が強いのが特徴です。

「みんなが同じ」を求めすぎる傾向があります。

いろいろと、子どもによって変えることが必要であることをコロナ禍は示しているという見方もできるのです。






まわり道にも意味がある

2022年07月04日 08時33分00秒 | 教育・子育てあれこれ

私が20代だったころは、日本は景気がよく、日本経済や社会は「イケイケ」ムードでした。

でも、今の時代は閉塞感がたちこめ、経済も社会もしぼんでいき、人が生きるには厳しさを感じることも多くなりました。

その中で、ビジネスの世界では効率が重視されるようになっています。

少しでもいいポジションにいたいという気持ちになりがちです。

さらには、今の時代の余裕のなさや「あそび」の少なさも、若い世代に影を落としています。

「失敗できない」というプレッシャーが、どの人にものしかかってきます。



そんな中で、大学生にしてみれば、新卒採用からこぼれ落ちると、一生フリーターになるか非正規社員になってしまうという恐怖感を感じます。

当然のように、若い世代がコストパフォーマンスやタイムパフォーマンスを意識するようになります。

また、ネットが普及し、SNSが浸透した今の時代、若い世代にはたくさんの実業家や有名人のコメントを見聞きすることができます。

一昔前までは、スポーツ選手や有名な俳優、アーティストなどの声しか聴く機会がなかった頃とは違うのです。

そのようなコメントや声を聞いていると、学校での学習も仕事も人生も、効率的に、回り道をせずまっすぐに進むのが成功の秘訣であるというプレッシャーがかかります。

そして、ふと横を見れば、起業している、ユーチューバーとして活躍している同世代がいる。

以前なら、勉強ができる、スポーツができるという二大評価軸しかなかったのに、成功の仕方が多様化してきています。

ただ、効率化や近道は悪くはないですが、人がする経験・体験は一見無駄なことのように見えますが、私ほどの年齢になると、「あのときの無駄だと思ったことが、今にいきている」と思えることもあります。

名曲「川の流れのように」の歌詞が言っています。

でこぼこ道や曲がりくねった道 地図さえない それもまた人生・・・

雨に降られぬかるんだ道でも いつかはまた晴れる日がくるから・・・

紅いもソフト

2022年07月03日 12時38分00秒 | 教育・子育てあれこれ
わたしは25年以上前の夏に、初めて沖縄を訪れました。

そのときに初めてたべたのがウベのアイスでした。
紫色が印象的でした。

それ以来、沖縄へ行ったときはかならず、紅いものソフトかアイスを食べます。


修学旅行の引率では、生徒といっしょに紅いもを赤土の畑から掘る体験もしました。

紅いもはアイスにするだけでなく、ポテトチップにしたものを、読谷村でもらったこともあり、塩辛くはなく、ほんのりと甘味がありました。

溢れる情報のなかで

2022年07月03日 08時55分00秒 | 教育・子育てあれこれ

文科省が「教師のバトン」というツイッターのウェブサイトを立ち上げました。

近年の教員志望者の減少を受け、教職のよさを現場の教員から発信してもらい、広く知ってもらい、教師を目指す人を増やしたいというねらいでした。

しかし、寄せられる書き込みはその多くが、現役教師のたいへんさやグチ、管理職の悪口が並んでいます。

これでは、教師になるのをやめようとう学生がかえって増えることになるのではないでしょうか。

「教師のバトン」は、文科省の思惑が誤っていたということだと、わたしは思います。

そもそも、ネットにのせる情報やSNSへの書き込みは、マイナス的なものが多いからです。

実際に教職に就いて、たしかに忙しいけれども児童生徒へのかかわり、成長を見届ける喜びなどを感じている人がいても、打ち消されてしまいます。

その点で、文科省は教職の魅力を伝える手段を誤ったのです。


さて、今の若い世代のなかには、「コスパ」や「タイパ」を重視する人が多いと聞きます。

「コスパ」は、費用に対して得ることができる効果(コストパフォーマンス)であり、いわゆる「費用対効果」です。

「タイパ」とは、タイムパフォーマンスのことであり、時間をかけることに見合った効果です。

それに輪をかけるのが、ネット上に並ぶ洪水のような情報です。

この音楽がいいとか、この映画が素晴らしいとかという情報が豊富に溢れているので、情報が先に届きます。

すると、人は実際に体験してそのよさを感知するよりも、情報が作った既成事実が先になってしまい、感じることが後回しになりがちです。

また、子育てについて、子どもをもつとこれだけお金がかかるとか、成人するまで育てるのがたいへんとかいう情報に接します。

そうなると、それなら子どもをもつとしんどくなるし・・・、熟年離婚もあるのなら結婚もしなくていい。

コスパとタイパを重視する人なら、そう考えてしまっても無理のないことかもしれないと、わたしは思うのです。


音楽を聞くとき、わたしの若い頃はレコードでした。1枚のレコードを何回もすり切れるほど聞き、コスパを得てきたように思います。

それがCDにかわり、今や音楽もデジタルの ストリーミング再生になっていますが、ためにならないものは買わない、出すお金に見合う価値のないものには手をつけない。

時間も惜しいから、映画は倍速で見て楽しむ。

こんな時代です。



「失敗はしたくないよ。一度失敗すると立ち直ることができなさそう。

確実で安全な道を選んでいきたいね。」

そのように考えるのは、若い世代の責任ではないのです。

いまの社会のしくみが、そうさせていることを若い世代より年上の年齢層の人たちはわかって、少しでもみんなが生きやすいようにしていく役割があるのです。

燦然と輝く日本国憲法

2022年07月02日 07時42分00秒 | 教育・子育てあれこれ
日本国憲法は、第二次世界対戦後国内を占領していたGHQに押しつけられたものであるという論調があります。

わたしは、憲法の成立経過について、どうこう言うつもりはありません。

しかし、条文を一つずつ読み込んでいくと、とても大切なことが書かれています。

第9条には戦争放棄、24条には両性の平等をうたっています。

また、24条には、家族に関する法律について「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」と書かれています。

これは、家庭の中での「個の尊厳」を明記して いると解釈できます。

ところが今、これに「家族は互いに助け合わなければならない」を加えようとする動きがあります。

おそらく、児童虐待などが社会問題となっている今日の流れを意識してのことで、わからなくもないですが、これを突き詰めると「子育ても介護もすべて、家庭的で担うべきだ」となってしまいます。

しかし、今の時代、たとえば親孝行するのは当然としながらも、家族の形態は家族それぞれであり、家族について、考え方の多様性が認められるのです。

そのことが憲法により保証されることこそが大切なのだと思います。

現行の日本国憲法には、今の時代では当たり前のことが書かれていて、その大切さに気づいていないことが多くあります。

「今の時代にふさわしい新しい権利を盛り込もう」という主張に対して、燦然と輝く憲法を変えなくても、関連法を整備することでこと足りると考えます。