箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

議会でのハラスメント防止のために

2023年03月15日 08時19分00秒 | 教育・子育てあれこれ

福岡県議会は20226月にハラスメント根絶条例を可決しました。

 

この条例は、地方議員の政治活動・選挙運動に対する嫌がらせやハラスメントを絶つために制定されました。

 

女性が政治の分野に出ようとすると、想像以上にハラスメントに多く遭遇するのが現状です。

 

地方議員、なかでも市町村議会では女性が議員になろうとすると、「パワハラ・セクハラは当たり前の世界だぞ」「子どもがいじめられるかも」という言葉が投げかけられ、立候補を取りやめるよう迫られました。

 

「もし当選したら同じ会派にはいらないとかわいがらない」という発言もありました。

 

当選後、議会で質問すると『早く終われ』と周りの議員から言われた。

 

このような実例がありました。

 

その議員の声を聞いて、福岡県議会はハラスメント根絶条例を制定したのでした。

 

大阪府議会でも20232月に同様の条例が制定されました。

 

じっさいにハラスメントが議会の中であるという事実は、議会に女性が進出するのをためらわせて、日本での女性議員の少なさにも影響していると思われます。

 

202110月の衆議院選挙で45人の女性議員が当選しましたが、全体では1割に満たないという状況で、世界200ほどの国の中で、164位というというありさまです。

 

男女共同参画社会を標榜する国会議員がこの状況なので、男女雇用動産各推進法(政治分野)を改正し、議員や候補者へのハラスメント対策を新しく盛り込みました。

 

その流れを受け、いま多数の自治体が条例の制定を検討しています。

 


日本の場合の「多様性」の使われ方

2023年03月14日 17時21分00秒 | 教育・子育てあれこれ

日本では東京オリンピックを契機に、社会で広く「多様性」(=diversity)という言葉が使われ出しました。

 

そして、それを多用したのは経済界・産業界でした。

 

「多様性に基づく人材活用を進める」というように、経営的視点で理解されてきました。

 

しかし、それでは多様性の本質に迫ることはできません。お金もうけをするためとか、会社などの組織を強化するために多様性を導入するのではないのです。

 

たとえば、学校教育で多様性を学習するときには、よい社会づくりの手段として、児童生徒が多様性をとらえるようにしむけます。そして、その社会づくりに参画していく資質を児童生徒に育むのです。

 

日本は社会でも職場でも学校でもたいへん同質性が求められる傾向があります。

 

人種にしても、言語にしても人びと間でちがいが少ないのです。

 

だからこそ、学校教育では「在日外国人教育」とか「多様性教育」とか「多文化共生教育」とかいうネーミングで、「外国につながる人」とのちがいを受け入れ、ちがうからこそ全体で豊かになれることを児童生とが学び、行動する力を育む取り組みが進められているのです。

 

ものごとの本質を見きわめる必要があります。

 

いま、SNS等で、このブログもそうですが、「在日」とかいうタグを付けようとするならば「『在日』は受け付けられません」という警告が出ます。

 

それは本質を見ていません。「在日」とは日本に在住しているという状態を表した言葉です。

 

ところが「在日」という言葉を悪意をもって人を攻撃するために使うケース(ヘイトスピーチ)があるために、禁止用語になっているのです。

 

それもまた、多様性の本質を見あやまることにもなります。


失われた2年間

2023年03月13日 08時53分00秒 | 教育・子育てあれこれ
新型コロナウイルス感染拡大からまる3年が過ぎ、大学生活は以前に戻りつつあります。

大学生の実感を聞いた調査では、2019年度の頃に近づいています。

学生生活は「充実している」または「まあ充実している」と答えた比率はおよそ88%で、2019年度と同程度に回復されました。

2021年度から9%ほど上がりました。

キャンパスへ通うのは、平均して4日程度で2019年度の水準に近づきました。

それに伴い、対面授業実施も大きく増えました。

ただし、部活・サークル活動は10%近く落ち込んだままです。

2021年度・2022年度と2年間活動できなかった学生が、今から入ろうとするには無理があるのでしょう。

またサークル活動に関しては、今も大学側の感染防止のための規制が厳しく、思う存分にはできないという事情を反映していると思われます。

わたしも最近大学4年生の学生に聞きましたが、2年生の頃はほとんど大学に行くことはく、オンライン授業を家で受けていたとのことでした。

彼女にとっては、「失われた2年間」の大学生活だったのです。

しかしながら、「その2年間で何もしていなかったのか」と問いました。

たとえ困難に直面して、制限のある学生生活やサークル活動にどう対応しようとしたかを率直に答えればいいと伝えています。

その対応しようとした自分自身の意欲や態度を見つめれば、「失われた2年間」は「得るものがあった2年間」になるのです。

その学生自身の考え方次第です。

無駄なことはなかった大学生活を終えるみなさん、ご卒業をお祝いします。



学校教育での動物園・水族館

2023年03月12日 08時11分00秒 | 教育・子育てあれこれ

兵庫県宝塚市にわたしの子どもの頃から宝塚ファミリーランドがありました。

 

閉園して今はもうありませんが、昔は遊園地と動物園が併設されていました。

 

それはわたしにとって、初めての動物園でした。

 

また、水族館との最初の出会いは伊勢志摩の鳥羽水族館でした。

 

楽しい時間を過ごしたことを覚えています。

 

ただ、その頃の動物園では、ほぼすべての動物が檻に入れられていて、わたしは子ども心に「窮屈そうだな」と思いました。

 

おそらく、その当時は動物園も水族館も「見せるため」の展示になっていたのでしょう。

 

上野動物園のパンダ・シンシンは、とてもよく太り健康な状態で2月に中国へ返還されました。

 

それと引きあいで話題になるのがアメリカに貸し出され4月に返還予定のヤーヤーが痩せ細っていると批判が中国のSNSで拡散されています。

 

上野動物園をはじめとして日本では、最近は動物優先つまり「動物らしくいられる」施設へと、大きく変わってきています。

 

いま日本で考えられている動物園・水族館の4つの役割とは、①種を保存する ②教育・環境教育への活用 ③調査・研究 ④レクリエーションとして、その4つの役割を果たすため変わってきていると聞き及びます。

 

その点でいうと、④のように学校から児童生とが動物園・水族館を訪れると楽しい時間を提供してくれます。

 

でも、それだけではありません。①②のように、子どもたちにとって、動物が生きていくための環境、人間と動物が共生していく視点での環境づくり、命の大切さを考え、学ぶ機会を与えてくれるのが動物園であり水族館です。


いま、SDGs学習に取り組む学校が増えてきていますが、持続可能な社会づくりを志向する学びの場として、動物園・水族館を訪問する価値は増していると言えるでしょう。

 


恩には恩で返す

2023年03月11日 06時56分00秒 | 教育・子育てあれこれ
今日で東北地震からまる12年になります。

地震の当時のことが東北以外の人びとの脳裏から風化しないように、あらためて当時を思い起こしたいところです。

さて、トルコという国は親日国として知られています。

1890年にトルコの船エルトゥールル号が本国に帰還する途中で、台風に遭遇し和歌山県沖で座礁し沈没しました。

地元の串本の人びとは、誰から言われることなく、海に投げ出されたトルコの人たちの救助にあたり、不眠不休で看病し、食事や休息を提供しました。

しばらく滞在したトルコ人は帰国するとき、串本の人びとに深く、深く感謝を伝えました。

そのときの恩をトルコは忘れていませんでした。

1985年にはイラクがトルコから飛行する飛行機はすべて撃ち落とすと宣言して、トルコに日本人が取り残されていました。

まさにその期限にさしかかっていたとき、トルコ機が緊急着陸し日本人216名を成田空港まで送り届けてくれたのでした。

また、12年前の東北地震の際には、約3週間にわたって日本に救助チームを派遣し、捜索活動にも加わってくれたのでした。

外国から派遣された救助チームのなかでも、トルコがいちばん長く滞在しました。

そのトルコがいま大地震に見舞われ、人びとが苦しんでいます。

日本政府は今回、医療チームをトルコに派遣しました。

日本の医療チームは、オーゼリアの学校の敷地内にテントを設営し、総合病院を今運営しています。

現地の被災した医療機関と連携し、診察を続けています。

被災地は医者が不足しています。当初は地震でケガをした人の手当てが業務の中心でしたが、いまは、避難生活の影響で患った風邪や腰痛などの一般の病気の診察も行っています。

トルコの人は初めてマッサージを受けて、痛みが楽になったと笑顔を見せてくれます。

お互いに、相手が困ったときには助け合うという日本-トルコの友好関係は、あまり日本国民全体には浸透していないかもしれませんが、恩を受けた当事者はその恩をけっして忘れはしません。







地域の健康を支える保健師

2023年03月10日 09時17分00秒 | 教育・子育てあれこれ
保健師の仕事の大きなものは、地域の健康相談や健康診断を担い、住民の病気を予防し、高齢者等の生活の環境を整えたりすることです。

つまり、保健師さんは地域住民の健康を支えるというのが本来の仕事になるのです。

また、学校教育にもかかわってくれ、大阪府箕面市の場合は、学校を巡回してフッ素塗布をして歯科衛生の分野でも活動をしてもらいます。

ところが、新型コロナウイルス感染が広がったこの3年間は、保健師さんはそちらの対応にかなりの仕事の時間がとられたと聞きます。

コロナ感染者の入院調整はもとより、住民からのコロナに関する相談はひっきりなしに入るので対応しました。

検査を受けたいのに受けることができないという苦情の電話もあり、クラスターが発生した高齢者施設からの相談もあり、長時間の勤務となりました。

このように、地域の保健活動にやりがいを感じる保健師さんは多いのですが、それよりもコロナ対応に追われた人が多い3年間だったのです。

もっとも、2021年夏頃には、コロナに関連する業務は一部が外部委託されたり、コロナ感染者数の把握も保健師が担うことが軽減されました。

そこで、いまは通常の地域保健増進の業務に戻ろうとするのですが、地域の保健活動はいまは停滞したままです。

保健師さんもコロナ禍の間に若い人が入り、住民を家庭訪問して、地域の保健を支えるという使命が薄くなりつつあるという場合も聞きます。

今まで保健師さんが地道に積み上げてきた活動を、アフターコロナの時期には蘇生させる必要があります。


少子化対策の今

2023年03月09日 08時28分00秒 | 教育・子育てあれこれ

ついに日本の出生数が1899年(明治32年)に調査を始めてから初めて80万人を下回りました。

 

昨年の出生数は799728人だったそうです。

 

人口の将来予想で思い描いていたのよりも、8年早く到来しました。

 

学校の関係でいうと、地域に子どもが少なくなるということで、学校の統廃合がいやおうなく進みます。

 

雇用の関係でいうと、働き手がへり、産業の現体制を維持するのが難しくなります。 

 

また、高齢化の問題でいえば、労働のいわゆる「現役」が少なくなり、高齢者を支えていくことができにくくなります。

 

政府は子育て予算を増額し、扶養手当を増やそうとしています。

 

雇用の形態が大きく変化し、雇用が安定しない状況では結婚できない、結婚しても子育ての費用が高すぎて、子どもをもつ余裕がない。

 

一般に幼稚園入園から高校卒業までに少なく見積もっても600万円、多く見積もって1800万円かかると言われます。

 

所得格差は教育を受ける機会にまで影響します。

 

また、女性の就労が広がり、1990年代以降、共働き世帯が増えました。

 

では、働きながら子育てをできる条件整備や環境づくりは充実しているかといえばまだまだです。

 

現役の子育て世代に最近聞きました。共働きで保育圓に通う子どもが1名いる家庭です。

 

共働きで両親ともに公務員なので収入は安定しています。保育園へのわが子の送迎はあります。

 

二人目をとは思うが、今まで一人の子を育ててきた経験からいうと、「また、あの日々を繰り返すのか」と二の足をふんでしまいます。

 

母方の両親や父方の両親も近くには住んでおらず、夫婦ふたりだけで子育てをしてきました。

 

これほど、働きながらの今の子育てはたいへんなのです。


保育園の数は増えましたが、親の多様な働き方にはマッチできていません。


また、育休は非正規雇用の人はとりにくいです。


 

また、恋愛をしたいと思わない若い世代が増えているとの見方もあります。


これも少子化の一因になります。


少子化は複数の要因が原因であるため、総合的な対策を政府先導で動員し、社会全体で子育て世代を支え、子どもを産みやすい、育てやすい環境整備が強く求められています。




スポーツ離れが進んでいる

2023年03月08日 08時09分00秒 | 教育・子育てあれこれ
日本ではワールドシリーズを控え、とりあげるメディア活動は活発です。

また、侍ジャパンのワールドカップに向け、応援する熱のボルテージはたいそう高まっています。

侍ジャパンの強化試合の応援は多いに盛り上がり、記念グッズの販売は売り切れ続出です。

ただし、報道するメディアの記者やアナウンサーに若い人は少なく、おもに中高年以上の人たちの中で盛り上がっていたのてはないでしょうか。

アメリカでは、1990年代後半から2010年頃までに生まれた若い年齢層、いわゆる「Z世代」のスポーツ離れが進んでいると聞きます。 

自分をスポーツファンだと思う人は、いまの10代から20歳代前半が23パーセント。

25歳から40歳までが42パーセント、40歳代から50代前半が33パーセントとなっています。

いわゆる「Z世代」は年齢から考えるとスポーツを好まない人がアメリカで多いと言えそうです。

日本でも、スポーツを観戦したかについての質問には、年齢層が下がるほど低くなっています。

25歳よりも若い人は小さいときからインターネットが近くにあり、SNSを使います。

アミューズメントが広がり、多様化した今、スポーツを観て楽しむことが主流ではなくなってきているのかもしれません。

事実、20代はスポーツ観戦を趣味としないのはもちろん、テレビやネット配信も半数以上がしません。

たしかに、以前の若い子は野球やサッカー観戦をよくしました。

とくに野球は男の子のいちばんの人気スポーツでしたが、今はそうではないというのは中学生をみていても実感します。

中学校の部活では、運動部に入っている生徒が減っているわけではありません。

しかし、もう少し年齢が上がるとスポーツから離れていく割合が増えるのです。

このままいけばスポーツ産業の未来が危うくなります。

また、学校教育では体育のねらいを生涯にわたってスポーツを楽しむ習慣を形成することになっていますが、それも難しくなりそうです。

動画の倍速再生や飛ばしてみる「ダイパ世代」のなかで、スポーツをしたりみたりする価値観をどう育んでいくかは、学校教育の運動に関する面での課題となります。

法は意識を変える

2023年03月07日 08時20分00秒 | 教育・子育てあれこれ
先日なブログで、悪質な人を傷つけるインターネット上の書き込みや投稿を抑制するとともに被害者救済のための法の改正のひとつとして、刑法の侮辱罪の厳罰化に言及しました。

インターネット上の悪質な書き込みに、1年以内の懲役か禁錮と30万円以下の罰金が加わったのです、

それを受け、昨年11月にYahooはヤフコメに投稿する際の携帯電話番号の設定を義務化しました。

それにより、まったく匿名での投稿はできなくなりました。

結果、どうなったのか。

「投稿停止措置」を受けるユーザーが12月・1月で56%減りました。

やはり電話番号の登録があると、不適切な投稿が減るのです。

ということは、極論すれば今までは意図的に人を傷つける書き込みを、投稿者が特定されないことに乗じて行っていた人がいたということです。

無意識で気づかず投稿していた人ばかりではないということです。

法改正は、一定の効果があるということになります。

法が整えば、さまざまな事情はあったとしても、犯罪は減ります。

それにより、行動が定式化されるようになり、人びとの意識が変わるのです。











学校こそ多様性を学ぶ場

2023年03月07日 07時16分00秒 | 教育・子育てあれこれ

同質性が強くはたらく日本社会で、多様性をつくり出す第一歩はかなり勇気のいることです。

 

だって、ひとりだけちがうと目立ちます。

 

まっ白いテープルクロスにソースを一滴こぼしたようなものです。

 

学校でなら、みんなが「ここは厳粛な場面だから、じっと聴くもの」と子ども全員が合意しているなかに、一人声を出してしまう黙っていることができない障害のある子の声が響くようなものです。

 

わたしも職場で他の職員が忙しそうに事務仕事をしている中、勤務時刻の終わりが来たので「お先に失礼します」と退勤するのは、ちょっと後ろめたさを感じます。

 

でも、ソースのこぼれ以外に、だれかがケッチャップをこぼしたり、子どもがみそ汁のお椀をひっくり返し、お姉ちゃんがデザートのケーキの生チョコクリームを落としたりするテーブルでは、ソースをこぼしたのが目立たなくなります。周りから自分だけが浮くということがなくなります。

 

そして、みんながワイワイガヤガヤと話が弾み、楽しい食事が進んでいく。

 

そうなると、少数派がいなくなり、マジョリティもいなくなるのです。

 

これが多様性でないかと思います。

 

世界全体は、多様性尊重にシフトしていますが、日本社会が多様性尊重社会になるには、同質性を強く求め過ぎないことが必要で、それは若い子が活動する学校でまずちがいを認め、いっしょに活動する経験を積んでいくことができればいいと思います。

 


知識は身につけるだけでなく

2023年03月06日 07時00分00秒 | 教育・子育てあれこれ
今の学校での授業では、「主体的・対話的で深い学び」が成立する活動を行います。

また、知識・技能を身につけるだけでなく、その知識・技能を実生活で活用できる力を児童生徒に求めることになります。

その通りなのですが、学習を通して知識を身につけることは、学習の基本であり、それはいくら時代が変わっても、知識の大切さは不動のものです。

その知識に関して、『論語』には次のことばが書かれています。

子(し)曰わく(のたまわく)、
知はこれに及(およ)べども仁(じん)これを守ること能(あた)わざれば、
これを得ると雖(いえ)ども必ずこれを失う。

いくらたくさんの知識を得ていたとしても、仁愛を抱いていないなら、いずれは知のたはらきもむなしくなる。

ですから、人間愛に下支えされた知識こそが大切なのだと説きます。

これは、教育の本質をついていると考えます。

児童生徒に人間愛をもって授業をする教師でなければなりません。

また、その得た知識を人間愛をもって活用する児童生徒になることを求める言葉だと、私は考える次第です。



他者に厳しく自分に甘い この頃

2023年03月05日 08時39分00秒 | 教育・子育てあれこれ
す以前(昭和のころ)は、電車内で子どもはよく大声で泣いていました。

それでも、親御さんは平然としていた人が多かったですし、まわりの乗客も「子どもだから仕方ないね」という受けとめでした。

また、デパートでは親から離れてしまった迷子がしょっちゅういました。よく館内放送で迷子のアナウンスが流れていました。

たとえば「黄色の帽子をかぶった3歳ぐらいの男の子が、お母さんをさがしておられます。お心当たりの方は○階の総合案内所までお越しください。」

このような放送がしばしば流れていました。

その後時代は移り、迷子になる子はめっきりと減りました。

子連れの親はマイカーで移動することが増え、電車利用も減ったかもしれませんが、電車利用はおもに都市部では移動手段として健在です。

迷子が減ったのは少子化で子どもを連れていても、親御さんの目が行き届くようになったからかもしれません。

時代の流れとともに、「親がしっかりと自分の子をみているべき」と周りの人は考えるようになりました。

そしていまや、電車やバスの中で子どもが泣くと、周りからの視線には厳しいものがあります。

冷たい視線や顔をしかめた表情が、親に突き刺さりそうです。「あ〜あ」という周りの人からはため息も聞こえてきそうです。

だから、親御さんは必死でなだめて、泣かないようにあやします。

それでも泣いてしまった場合に申し訳なさそうにしている親御さんが気の毒です。

泣かすと、「親は何をしてるねん!」と言われかねません。

なぜ周りの人は、こうも子ども連れに対して厳しくなったのでしょうか。

昭和の頃は、みんなにもっとゆとりがありました。

もちろん車内で睡眠をとりたい人もいるでしょう。子どもが好きでない人もいるでしょう。

それでも、「子どもやからしゃーないね」と、人は他者に寛容だったはずです。

ところが今は、みんながひたすらスマホを見て、さわり、自分の世界に浸っています。

他者に話しかけることはほとんどなく、無言の人が大半です。コロナ禍による感染防止のため会話を控える人も増えました。

静寂を邪魔するヤツは許さん。

失敗したら叩かれる。

でも子どもはそんなこととは関係なしに無邪気に生きています。

お腹がすくと泣きます。暑ければむずがります。じっとしているのが長くなれば、動きたくなります。

不寛容社会では、人は多くの点で生きづらさを感じると思うのです。

失敗は許されないのでしょうか。

でも、失敗せず生きれる人はいません。

人はまちがいや思いちがいや感ちがいもします。

それでも自分も含めて、他者には寛容でありたいのです。

「このことは、こう決まっているもの。なぜそうしなかったのか」と相手を責める人が増えました。

でも、そんな人は自分や身内に甘く、他人には厳しいこともよくあります。

思い通りにいかないのが世の中であり、失敗したり、うまくいったりして、行ったり来たりしながら、失敗して後悔しながら奥歯をかみしめながら生き、他者にも寛容なのが生きるということだと思います。








ネット上の誹謗中傷とは

2023年03月04日 08時31分00秒 | 教育・子育てあれこれ
学校現場では、1990年代にパソコンこそ導入はされ文書作成をしたり、生徒の成績算出に使っていました。

でも台数は少なく、多くの教師は私物のパソコンを持ち込み仕事に使っていました。

私がインターネットを始めたのは2000年ごろで、パソコンからでした。

その頃は人と情報がつながり、人と人の間が対話でつながることに大きな期待を寄せたのを思い出します。

それから20年以上が経ち、いまやネットからは必要な情報を手に入れるのがいともたやすくなららました。

しかし、その一方で人を誹謗中傷する書き込みであふれています。

人と人がつながるツールというメリットはありますが、人と人を分断する側面が深刻化しています。

なかには、悪質な誹謗中傷を受けた人が傷つき、みずから命をたつ事案も起きています。

いかにしたら、誹謗中傷が減るのでしょうか。

現在のところ、悪意のあるまたは悪質な人を傷つける書き込みや投稿を抑制するとともに被害者救済のための法の改正が行われています。

一つは、プロバイダー責任制限法です。

これにより、発信者が誰であるかを情報開示する手続きが簡単になりました。

傷ついた人が匿名の加害者に賠償を求めるときには、その人の身元を特定しなければなりません。

従来はコンテンツのプロバイダーとネット接続のプロバイダーの両方に情報開示を求めなければならなかったのですが、1回の手続きでできるようになりました。

もう一つは刑法関係で、今までも侮辱罪はありましたが、罰則は軽いものでした。

それが厳罰化され、1年以内の懲役か禁錮と30万以下の罰金が加わったのです、

このような情勢の変化を受け、たとえばYahooはヤフコメに投稿する際の携帯電話番号の設定を義務化しました。

それにより、まったく匿名での投稿はできなくなりました。

ところで、人はなぜ他者、それも見ず知らずの人を中傷する書き込みをするのでしょうか。それはどういう心理で行われるのでしょうか。

このあたりの点は、学校教育でも児童生徒に考えさせ、悪質な書き込みや誹謗中傷を防止する学習をしなければなりません。

だれかについての情報や意見、感想、コメントなどにふれたとき、人は「これを置いておいては(放置していては)いけない」と思いこみます。

そして独善的な「正義感」がはたらき、「これは許していてはいけない」という心理になり、ブレーキがきかず、匿名を武器に誹謗中傷するのではないかと思います。

このあたりの事情や心理を疑似体験して、「それでもわたしは他者を傷つけない」という学びにつながる学習や啓発が必要になります。

なお、誹謗中傷、悪質な書き込み防止の議論を進めていくと、必ずと言っていいほど「表現の自由」を規制してはならないという言説があらわれます。

しかし、知る限りでは、公権力が個人の発言を封じたり、制限する問題点を視野に表現の自由を保障しているのです。

個人が別の個人を誹謗中傷し、死に至らしめるような表現の自由が許されるはずがないと、わたしは考えます。


中学校完全給食9割の舞台裏

2023年03月03日 06時28分00秒 | 教育・子育てあれこれ
今の中学生の保護者世代の人にすれば、小学校は給食だったけど、中学校ではお弁当持参だったという経験をお持ちの人は、けっこう多いのではないでしょうか。

少なくとも、大阪では多くの中学校がそうでした。

なかには、中学生時代はミルクの給食だけはあったという場合もあると思います。

しかし、今は全国的に見て、中学校も約9割の中学校が完全給食を実施しています。

完全給食というのは、ごはんまたはパンにおかずがあり、ミルクが付いている給食のことをいいます。

時代のながれで共働き世帯が増え、完全給食のニーズが高まったためと考えられます。

自校調理方式をとっている自治体もありますし、給食センターで調理したものを学校に運搬して、給食を提供している場合もあります。

いずれにしても今では9割の学校で、生徒は給食を食べる時代になったのです。

ただし、今の給食実施にあたっては、学校もさまざまな配慮をしています。

新型コロナウイルス感染が拡大したときには、グループで机を寄せて食べる方式をとりやめ、全員が前を向いて黙食を強いられました。


また、最近ではアレルギー体質で、アレルギー物質を取り除いた除去食の対応が必要な場合があります。

生徒によっては、たとえばエビを食べただけでアナフィラキシーショックを起こし、じんましんが出て、皮膚が赤くなります。

その後、呼吸が困難になり、重篤な場合では意識がなくなる段階にまで進行します。

そうなると、時間とのたたかいになり、エピペン摂取や救急搬送にまでつながります。

そこでは、アレルギー対応として、調理の段階から、他の生徒用にエビの調理に使ったなべとは、別のなべで除去食を調理します。

いまは生徒により、食べられないアレルギー食材がさまざまに広がっています。

ピーナッツがダメな生徒、そばアレルギーな生徒、たまご、乳製品・・・。

人為ミスが起こらないよう、給食を調理する人は、細心の注意を払い調理をしています。

その努力により、完全給食9割を実現しているのが現状です。

何もしなかった人はいません

2023年03月02日 08時50分00秒 | 教育・子育てあれこれ
わたしは、大学で教員志望の学生が受講する教員採用試験対策の講座を担当しています。

教員採用試験は、どの自治体もふつう大学4年の夏に実施します。

そのため、対策講座には現在大学3年の学生が多く受講します。

その講座の中で、採用試験で実施される面接の練習もあります。

面接の中で面接官からよく尋ねられる質問として、「あなたは学生時代にどんな活動に力を入れてきましたか?」があります。

これは面接での質問の中でもいわゆる「鉄板質問」です。

必ずといっていいほど聞かれるので、受験生はあらかじめ回答を考えておくものです。

しかし、この質問をされたとき、とまどう学生も少なくないようです。

なぜなら今の大学3年生は感染防止のため、入学と同時にオンライン授業が始まりました。

ずっとキャンパスにも入れず、サークル活動もできず、同級生や先輩とも知り合う機会がない2年間を過ごしてきた人たちです。

言うならば「フルコロナ学年」の学生です。

「大学時代にどんな活動をしてきたか」と問われても、なんて答えればいいの?

このようなとまどいを感じる学生が多いのです。

たしかに、とくに大学3年生にとっては切実な問題です。

しかし、わたしは次のようにアドバイスをしています。

採用側が見たいのは、結果よりもコロナ禍にどう対応しようとしたかという過程であり、その学生の主体的な態度です。

困難に直面しても、制限のある学生生活やサークル活動にどう対応しようとしたかを率直に答えればいいと伝えています。

今後、教育では予測不可能なことが起こりえます。あらたな感染症が発生したり、大きな災害に遭遇するかもしれません。

児童生徒の安全やいのちにかかわる困難に出会うかもしれません。

その困難に直面したとき、屈せず対応し児童生徒を支援する教師が求められているのです。

その視点で、3年間の大学生活をふりかえり自らの経験を掘り下げていきます。

すると、たとえば
「実家にいる時間が多くあったので、おばあちゃんの家に毎日介護に通った。
病気がちだったので、よくなってくれるように父といっしに四国八十八ヶ所まわりをしました。」

このような経験を語ってくれた学生がいました。

これとて、「よくなってほしい」という強い思いで起こした行動であり、教師として必要な資質です。

自分はコロナ禍で何もできなかったのではなく、何かをやってきたのです。

その点では、人にとってすべてのものごとに無駄なことや無意味なことはあまりないのだと思います。

自分を見つめると、自分のしてきた経験に意味づけができます。

ただ、コロナ禍で学生は他者と話す機会や時間が減りました。

ですから、客観的に見る視点や他者から見た視点が必要となります。

だから、こちらも対話を重視して、学生が自分を見つめることのできるサポートをしていく必要を自覚するのです。

過去こそはすべてであり、未来はまだ何もないゼロです。

過去の経験を見つめると、現在につながります。

そのつながりをみたとき、その人に未来は開けてくるのではないでしょうか。