東京などの中高一貫校から東大に入ってきた人たちからは、経済的にも、心理的にも余裕があります。
しかし、一方で今までの勉強で疲れてしまい、入学時には、すこし息切れしているような側面もあるようです。
今後も首都一極集中が続くなら、東京大学は首都圏の中高一貫校からの入学者が主流になる傾向は変わらないでしょう。
中央教育審議会初等中等教育分科会は、2018年に「令和の日本型学校教の構築を目指して」という「中間まとめ」を発表しています。
そのなかで、新しい時代として将来が予測困難な時代を掲げて、それに応じた教育の役割を提起しています。
「将来の変化を予測するのが困難な時代を前に、子供たちは、現在と未来に向けて、自らの人生をとのように開いていくことが求められているのか・・・」
以上の指摘を受けて、わたしが考えるのは、これからの時代は、従前とは異なり、かなり複雑な、単純ではない教育内容が、求められるようになるという課題意識です。
そのうちでも、どんな人財が必要になるかという点では、集団やチームが高まるための、リーダー像も変わってくると思われます。
予測困難な時代に、自分らしくアクションを起こせる人が、リーダーになります。
先頭に立ってグイグイとメンバーを引っ張っていく統率型リーダーというよりも、メンバー一人ひとりの個性を見きわめ、心配りをしながらチームとして最強になれるかを考える人がリーダーとなります。
学校のクラスの中でなら、「オレについてこい」という学級委員ではないのです。
児童生徒一人ひとりに目を配り、丁寧に意見や考えを尋ねて、合意をつくって、いっしょに活動していく学級委員です。
つまり、いわゆる「サーバントリーダーシップ」のある人です。
不安を感じたり悩んだりした時に仲間とともに考え、寄り添いながら前に進んでいく。そのうちに気がつけば周りからまとめ役やリーダーとして認められている。
そのような児童生徒がいま、これからののリーダーになります。
そのことだけを見たとき、新しいリーダーにふさわしいのが男性か女性かという固定的な見方ではありませんが、女性がリーダーになる可能性を広げていくことになるのはたしかです。
そのような広がった可能性が。ほんとうの意味での「女性活躍の時代」の到来なのでと考えます。
大学の研究成果は論文や学会での発表がほとんどです。
一般の人びとがその研究成果を知ろうと思ったらかなり手間がかかります。
関西学院大学の「音楽学レクチャーコンサート」は、音楽学を専攻する大学院生の研究を、一般の人びとが市民講座的に気軽に知ることができる機会になっています。
そもそも人文学の研究は生活を豊かにするものであり、一般の人びとに伝えることは大切です。
音楽を楽しむとは、知識よりも感性で聞くものという考えもあります。
それでも楽しめるでしょうが、作曲家や楽器について知識をもっていれば、より深く味わったり、思考が深まったりします。
知識は「荷物」にはならないのです。
そもそも音楽は、歴史的な背景と切り離されるものではないのです。
なぜこのクラッシック音楽が作られたかなどを知れば、何も知らずに聴いたときよりも、思索が深くなるのです。
ほとんどの人びとにとって、被爆地を訪問するのは一生に一度の機会です。
原爆資料館を訪れて遺品と対面し、被爆者の証言に耳を傾ければ、そのとき受けた印象や平和への願いは深く心に刻まれるのです。
このような惨劇に至ったのはなぜなのか、核兵器が使われたら、どんなことが起きるのか。
知識と考えを深めて平和の願いを持ち帰り、おのおののフィールドで平和を広げるのです。
国際情勢や状況がどうであれ、ヒロシマ・ナガサキが訴えてきた普遍的な平和とは何でしょうか。
それは国家という論理を超えた非戦・非核・非力の願い・理念だと思います,
1年に1度、8月6日・9日の平和式典に集った人々は平和の理念とそれを守っていく責務を改めて共有しなおし、連帯しあうのです。
紛争・戦争が起きるどうしようもない世界情勢に行き詰まったとしても、それぞれの地に帰って行動する。
それが平和式典が国という枠を超えた「市民の式典」といわれるゆえんです。
一方、平和と核兵器廃絶のメッセージを世界に発信するならば「唯一の被爆国という被害者の立場だけでは不十分です。
戦争を起こしアジアの人びとを死に至らしめたという過去の歴史に向き合い、戦争を二度と起こさないという決意を固めなければなりません。
学校の教員志願者が減っています。
じつは、保育士や幼稚園教諭を目指す若い人も減っています。
志願者が減るとともに、保育者を養成する教育機関が閉校したり、募集を停止したりしています。
保育士を養成する大学や短大はここ5年間で22校が開校しました。
さらに、2025年度に募集を停止することがきまっている23校のうち19校に保育科や幼稚園教育科があります。
その背景にあるのは志願者の減少です。
2024年度の私立大学の一般選抜の教員コースの志願者は、2023年度の87.9%でした。
しかし「保育」は83.9%で、保育系の減少のほうが深刻です。
保育園や幼稚園の実習で、「一人でこんなにたくさんの子どもを見る自信がない」と保育志望をやめる学生が少なからずいます。
また、以前は「小さい子どもが好き」という若い人がいました。しかし、少子化で家庭で小さい子どもに接する機会と減ってきている現実も関係しているようです。
さらには、保育現場で起きた事故が相次いで報道され、「現場はたいへん」という印象が広がったからとも考えられます。
教員と同じく、保育者は人の成長にかかわることのできる仕事で、子どもの成長を親御さんと共に喜びあえる仕事です。
また、最近は不評だった給料面でも待遇改善が進んでいます。
子育て支援の高い専門性をもつ保育者の大切さと保育職の魅力が、社会全体に広がることを願っています。
わたしは、大阪府のなかでも過疎化が進む町に住んでいます。
日本のすべての自治体の4割が「消滅可能性自治体」である。
3カ月ほど前に、そんな試算が発表され、話題になったいます。
過疎化が進み、少子化、高齢化、そして人口減少が社会問題となっています。
ただ、その論議を通して過疎は悪いことと決めつけられているようでモヤモヤする気持ちをいだくのは、わたしだけでしょうか。
何かしら、大都市からの上から目線も感じます。
実際に人びとが暮らしている地域、自治体に「消滅可能性」という言葉を使うのは、過疎地に住む住民にしてみれば、負の烙印を押され、生きることを否定されたように感じるのです。
地方に軸足を置く、そんな生き方を否定されているように感じるのです。
小さいからこそ小回りが利く。医療・介護・福祉がヨコの関係でつながり、スタッフも使命感を持ちます。
顔が見える関係の中でいっしょにやっていくという機運が醸成されていて、住民は安心感をまちます。
そのような自治体もあるのです。
「人口減=終わり」ではありません。
人口が減った中でどう住みやすくするかが大切であり、住民たちが自分で考えて決めていくしくみをつくることが大切ではないでしょうか。
もの言わぬ被爆者である被爆遺構は可能な限り保存していってほしいと願います。
ときには、被爆遺構は生きた人間が言葉を語るかわりに、存在そのもので核兵器使用を廃絶しなければならないという、無言のメッセージを送り続け、私たちはその声に耳を澄ますことができるのです。
日本は、世界から核の脅威を減らし、その廃絶に向けて総力を挙げることこそが、被爆国としての責務であることを再認識しなければなりません。
被爆遺構のメッセージは、そのことを訴えかけているように、わたしは思うのです。
2023年8月に国連子どもの権利委員会が環境問題に関する子どもの権利を示しました。
私たちは温暖化防止と聞いたり、環境問題にとりくむときには、とかく大人の生活への影響に視点を置いてしまっています。
その点で国連が、温暖化対策や環境問題について子どもの権利に目を向けさせようとしたことには、意味があります。
将来にわたり、若い人ほど大きな影響を与えるようにになるのが気候変動です。
気候変動によって、いま子どもたちの生活は深刻な影響を受けかねない状況になってしまっています。
気候変動は子どもたちの将来の生活を脅かす大きな要因になっています。
また、気候変動に声を上げる子どもは増えてつつありますが、この問題への対策を決める意思決定プロセスにおいて、子どもの意見は尊重されているといえない。
そのような考えを国連が示したのでした。
その提起を受け、国内でも気候変動と子どもの権利をテーマにワークショップの取り組みをしている団体も生まれています。
環境負荷を減らすアイデアや、環境問題対策への子どもの参画の仕方などについて意見を交わしています。
私たちは、次世代の子どもたちに、少なくとも今の現状の環境の状態や気候状態を維持、または改善して引き継いでいかなければなりません。
そうでないと、今より悪化した環境を子どもたちは引きつぐことになるのです。
「子ども食堂」は、そのような子どもたちやその保護者たちに栄養のある食事を無料か低価格で提供することを通じ、地域の幅広い世代の人々が交流する場をつくるボランティア活動です。
新型コロナウイルス感染拡大期には、閉鎖に追い込まれた食堂もありましたが、いまはまた全国的に展開されています。
家庭環境によっては、家にいづらい家族関係の子がいますが、そのような子どもたちにとって、子ども食堂はは一つの居場所になっています。
それだけではなく、人と人をつなぐ効果もあります。
というのは、おいしいものを食べると人は自然と笑顔になるからです。
苦しいときに「助けて」と言える人が身近にいる。
子ども食堂は、そのような地域をつくる一つの手段なのだと思います。
運営側は、子ども時代に食べておいしかったと思えるものを提供したいと考えます。
「ありがとう」「こんにちは」など、言われてうれしいと思える言葉を伝えていく役割も子ども食堂が担っています。
50代から60代にかけては、とくに自分の体の変化に加えて親の介護やわが子の自立、職場での立場の変化など激動の時期に重なります。
肉体的にも、精神的にもつらい時期になります。
ただし、つらいけれども、だからこそ考えられることもあります。
つらいときこそ、孤立しないようにしたいものです。人に頼ることで、自分で自分を助けることにつながります。