この記念館は、鈴鹿から23号線を
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走って行って・・津から松阪に入った地点にあります。
(正確には、其の地点から右折して1キロ先に建っています)
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松浦武四郎
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(1818~1888)は、三重県三大偉人の一人なのだそうです。
生涯にわたり全国を歩き続けた「探険家・作家・出版者・学者」で、数々の業績を残した方・・・
そして「北海道の名付け親」
記念館内の写真撮影は禁止されているので、私は時々メモしながら真剣に見て回りました!
パンフレットや入場券に(館内は照明が落としてあります)走り書きしたので、何を書いたのか判らない文字も
1818年、今の松阪市小野江町に生まれる
1845年、初めて蝦夷地に渡る
開拓判官として、アイヌの人々を守る為に努力したそうです。
6つの名前の案の中から「北のアイヌ民族が暮らす大地」という意味の[北加伊道]をあげ、のちに「北海道」と改められたそうです。
アイヌは「人」「人間」「男」という意味なのだそうです。
和人は「シサム」がなまって「シャモ」と呼ばれていたそうです。
館内には「テタラペ」というサハリンアイヌの伝統的衣装が展示されていました。
(イラクサの繊維で編んだものだそうです)
アイヌの人々の暮らしを大切にしたいと努力した武四郎は、新政府になり「アイヌの人々を守る政策を期待していたのに、アイヌの人々を苦しめることになった」と憤りと悲しみを感じ・・・
辞職後「二度と北海道には行かなかったそうです」