恵理の日記帳

平凡な日々の中で、ささやかな出来事を書いています。

春が「突然!」

2013-03-09 19:25:35 | Weblog

寒い!寒い!と凍えるような日々の中、震えながら仕事をしていたのに・・?

ほんの数日前までの当たり前の光景であるのに、どうして春を飛び越えたように「急激な夏日」になってしまうのでしょうか?

  

春の「そよ風」を運ぶ野の花=タンポポ&星の瞳  グランドマザーが愛した八重の水仙も

              本日、ジャガイモ(男爵)を植えました~~

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打ち勝て~~

2013-03-09 09:39:59 | Weblog

一昨日、数人と雑談中に「本当は怖いOOの医学」の内容になり・・その際に「知人に大人になるまで心臓に穴が開いていると知らないまま、陸上で賞を取ったりしていた人がいる」「なんやかんやと病院に行く人は、よっぽど暇なんじゃないの~?」と私の顔を見つめながら言われたんです~

ええ、確かに、次男は三ヶ月に1度は三重大付属病院に(定期健診)通っています。

最近も、急激な貧血(14の値が7に激減)の原因を調べるために、数々の検査を行っています~

でも、ず~っと「三重大付属病院には通い続けなければならない」のです~~

次男だけなら、いざ知らず・・全国の同じ病気と闘う子供達や大人になった人達の為にも「これは黙ってはいられない」「声を大にして言わなければダメだ」と感じました~

 

今まで市の保健課や様々な窓口に通い続けても、病名すら知らない職員さんもいたのが現実です。

また、病名は知っていても、どのような病気なのかは全くと言って良いほど解ってくださっていない!

        (決して、TVドラマのようなお涙頂戴ではありません)

次男は生後直ぐに盛岡の日赤病院の小児科に移され、検査に継ぐ検査の日々を過ごしましました。

生後84日目に、岩手県立中央病院で「東北大付属病院の〇〇教授による手術」で生きる未来の路を授けられました。

胆道閉鎖症という病名の次男は、胆のうは存在していたものの・・その先の胆道は欠損していました。

ですから、小さな胆のうも全て取り去って、小腸を胆道の代わりにして肝臓に繋いだそうです。

「手術して治るものではなく、手術してからが病気との闘いになります」「でも、お母さん、頑張りましょう」

手術してくださった教授は、汗を拭きながら力強く励ましてくれました!

 

術後、何度も何度も高熱を出し、その度に胆汁が出なくなって「便は真っ白になりました」

2歳の時には、三重大付属病院に転院して数時間に及ぶ手術を受けました。

小学校高学年になるまでは、入退院の繰り返し! 生命の危機に陥ったこともあります。

食道静脈瘤の破裂、輸血、塞栓療法も何度も受け、痛い痛い脾臓塞栓術も行いました!

それでも、県立高校に入ってからは休まずに通学して、今も頑張って働いています。

税金も払っています!が・・・難病(医療費)支援は受けられずにいます。

                    

                決して希望を捨てずに未来に向かって

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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