飛鳥には古墳の他に石造物も多い。地質や石の説明も聞きながら飛鳥を歩く。
平田にある道標

先の尖った形(尖頭角型)(1681年)飛鳥で2番目に古いらしい。
右)地蔵型の道標
おかでらみち・ざいしょみち・いせ・つぼさか・こうや などの文字が見え、昔の街道が想像される。
「金塚」 陵の前まで行けた。
「欽明天皇陵 金塚」の表示板が出ていた。
「欽明天皇檜隈坂合陵」又「欽明天皇 陪塚」としたものもある。
まわりを掘った土を盛り上げて築かれた墳墓

「欽明天皇陵(宮内庁指定)」と言っていた御陵。
最近は「見瀬丸山古墳が欽明陵だ」との見方もあり「梅山古墳」の名が使われているようだ。
「梅山古墳」の名は今日初めて聞いた。 物知らずで恥ずかしい。
梅山古墳の濠は後年に作られたもので、御陵から南に向かって傾斜した地形になっており、御陵の横の「吉備姫王墓」にある「猿石」は低くなった田の中で見つかったそうだ。
最初は「鬼の首」と言われていたのがいつの間にか「猿石」と言われるようになったとのこと。

国道のそばにある道標(1863年)背が高い。初めて「こんごうざん」の文字が出てくる。
国道を西へ渡ったほうねん橋の袂に建つ道標。国道ができた時にこの高取川が付け変わっている。
道標にはそんなこんなで元の場所でない所に建っているものも多い。向きも違っていたり。

岩屋山古墳 横穴式古墳 石室は飛鳥石と言われる花崗岩の切り石を用いて構築されている。 右)黒い模様のある石は飛鳥石といわれる花崗岩。

越の道標 上部にくっきりと彫られた仏像と文字。柔らかい和泉砂岩なればこその細工。
江戸末期の石工職人 丹波佐吉の作ではないかとのこと。

のんびりとした野道から山道へ・・飛鳥から橿原市に入る。
ニュータウンの団地近くの公園で弁当を食べた。

その公園から登ったところにある沼山古墳も初めて来た。
片袖式の石室の中はドーム型の天井になっている。

「岩船」 上部に深さの違う2つの穴が掘ってある。
「益田池の碑の台座」説、「作りかけ石棺」説などいくつもの説がある謎の石。

ショウガ穴といわれる貯蔵庫が山裾を利用していくつも作られていた。。

牽午子塚古墳へは久しぶりに来た。入り口だけが開いており、中を覗く。
墓室は巨大な凝灰石をくり抜いた横口式石棺で、中央部に仕切りを削り出して2室になっている。
天井の隅がカーブを持って削られているのも見えた。
2010年10月隣接する八角墳が見つかり、これが太田皇女の墓ならば牽午子塚は真の斉明天皇陵と言うことになる。
飛鳥の遺跡には花崗岩(飛鳥石含む)・凝灰岩・天理砂岩(凝灰岩質砂岩)・白瑪瑙(結晶質石灰岩または大理石)・緑泥片岩(結晶片岩)・榛原石(室生安山岩)石英安山岩・・などが使われているという。
石のことももっと知っていればより楽しめることだろう。

紅葉も少し薄れ、淋しくなった山の色どり アカネの実 フユイチゴ